大学一年生の年末年始の帰省の思い出話をしたい。
あの日、つき合いたてほやほやだったまーくんは、ぼくを新幹線に乗せるところまで見送ってくれたけれど、結局一緒には来なかった。
「おれみたいなの連れて行ったら、ご家族も友だちもびっくりするだろ。東京で悪い奴とつるんでるのかって」
「そんなことないよ」
まーくんは笑った。ぼくはぐずぐず、「そんなことないよ」と言った。
今思えば、よその実家に泊まりに行くなんて気も使うだろうし、うちの両親も急にひとりお客さんが増えたら困ってしまったかもしれない。ぼくはまだ幼稚で、そんな当たり前のことにも気が回らなかったし、それにただまーくんと離れがたいだけだった。それに帰省ラッシュで、今から新幹線を取るのも難しかった。
まーくんに見送られて東京を出発してからも、ぼくは寂しくて、どうしてこんなに弱虫で甘ったれなのか自分が情けなくなるくらいだったけれど、ふと、スマホと、同期してあるタブレット、ぼくはやっぱりまーくんに見ていてほしい、と思った。でももう、ぼくとまーくんは恋人同士なのだ。ぼくを見ていなくたって、ぼくはまーくんのものなのだから。ぼくは浮気の心配もされないと思う。ぼくみたいなぼんやりしていてどんくさい不器用な人間に、ふたまたかけるような芸当は不可能だってまーくんも思うだろう。
でも、まーくんは?
「……」
つき合って数日で、恋人を疑う。だってまーくんはカッコイイから。すごく、モテるだろうから。だから……。疑ってるとかそういうわけじゃないけど……。
ぼくは東京都の距離が開くに従い、不安な気持ちも強くなっていき、タブレットで【恋人 浮気 原因】だとか調べて、より一層沈み込んでいた。しかも新幹線に乗っている数時間の間、ずっとそれを調べていた。
地元の駅に着く。ぼくがもたもたと新幹線を降りると、スマホが鳴った。迎えに来てくれるお父さんかなぁ、と思ったらまーくんだった。
『着いたか』
「うん」
ぼくは小さなボストンバッグを担ぎ直して、雪が降りそうな白っぽい空を見上げる。吐く息の白さが、今が年末だということをぼくにヒシヒシと教えている。クリスマスツリーが恋しかった。まーくんはぼくが帰るまで、ツリーを出したままにしておいてくれると言ったのだ。
『お友だちによろしく言っといてくれ、何くんだっけか、あれは』
「遼平?」
『そう、リョーヘイ。おれは浮気はしない男だ、心配するなって』
「…………まーくん、検索履歴も見られるんだね……」
本当は冬休みいっぱい、実家にいたってよかった。でもぼくは年明けして、三が日を過ぎたら東京に戻ろうと思った。
もっとゆっくりしていけば、と言うお母さんに、「バイトがあるから」と言いかけたぼくは、思い直して「ぼく、恋人ができたから、デートしたいんだもん」と正直に答えた。
お母さんよりも、横で聞いていたお姉ちゃんのほうがすごく驚いて、「連れてきなよ!!」と言った。
「一緒に年越しとかしたかったんじゃないの〜? 大学生カップル」
「だって、クリスマスにつき合い始めたばっかりだもん」
「え〜! ねぇおかーさん、聞いた? 記念日がクリスマスだって〜いいね〜」
そうしてお姉ちゃんとお姉ちゃんの旦那さんは、ぼくの分の他にまーくんの分もお年玉をくれた。ぼくもバイト代で、姪っ子のためにお年玉を包んだ。
遼平と、健斗と蓮は、何も言わなくてもぼくがまーくんとつき合い始めたことがわかっているみたいだった。遼平は、アイツ本当に大丈夫なのかよ、といつまでも心配していたので、「まーくんはもうSNSとか見てないよ」と言ったけれど、検索履歴は見ていることは伏せておいた。でも検索履歴ってさ、パソコン共用なら普通に見られるもんね? それと一緒で……や、ちょっと違うか……。
「遼平がまーくんによろしくって」
ぼくが夜、まーくんとビデオ通話を繋ぎながら言うと、まーくんは笑っていた。
ひとたび実家を出てしまうと、暮らし慣れていたはずの子ども部屋はまるで他人の顔みたいに思える。ベッドの寝心地も、枕や毛布の感触も。
「まーくん、ぼく、明日東京に帰るね」
『もっとゆっくりしなくていいのか』
「うん」
『そうか』
「うん……」
ぼくはまーくんと話しながら眠くなってきてしまって、ほとんど寝言みたいな声で、「まーくん、来年は一緒に年越ししようね、ぼく、まーくんがいないと……」と、呟いたところまではなんとなく覚えているけれど、気づいたら朝だった。
まだお正月ムードの濃い一月四日、リビングで朝ご飯を食べていると、ぼくのスマホに、東京へ戻る新幹線のチケットが一度キャンセルになって、別の便に振り替えられていた。
「?」
何かあったのかな。でも、実家での正月休みを終えて東京へ戻る人たちで賑わう駅は、いつもより新幹線の本数も増えていて、ほんの十分遅いだけの便だった。
夏休み、東京の駅までまーくんが迎えに来てくれたことを思い出す。まーくんは言わないけど、今日ももしかして来てくれているのかな、なんて、想像してちょっと嬉しくなる。もし都合が悪くても、それはそれでかまわないのだ。帰れば会えるのだから。恋人とつき合うっていうのは、こういう心のゆとりも手に入ることなのだな、と思う。
ぼくはお土産で、行きよりもぱつん、と膨れたボストンバッグを担ぎ、もたもたと改札へ向かう。また駅の中で、菓子折りを買って荷物を増やしてしまう。送ればよかったかなぁ、と後悔しながらもたもた歩く。何しろぼくは、東京に戻ればこの荷物を持って五階分の階段をのぼる仕事が待っているのだ。
もたもたしすぎて、ギリギリの時間になってしまう。実家が持たせてくれたお土産と、友だち三人と交換したプレゼントと、買い過ぎたお土産で塞がった両手。ホームへ向かう階段を駆けのぼると、もう新幹線は到着している。乗ったら、まーくんに連絡しよう。
ぼくが新幹線の指定の号車に乗り込むと、暖房で温まった空気がぼくの頬っぺたや指先を包んだ。誰かが広げているからあげ弁当のにおい。なんかお腹空いた。お菓子ではなく、お弁当を買ってくるべきだったかもしれない。でもお菓子は、まーくんやバイト先へのお土産になるので大切なのだ。いくらあってもいい。
ぼくの座席は通路側だ。あれ、誰か座ってるかも、ぼく車両間違えたかな……。
「……まーくん?」
東京にいるはずのまーくんが、どうしてぼくの地元発の新幹線に乗っているんだろう。まーくんはぼくの顔を見て笑い、「荷物多くね? 何を買ったんだよ、そんなに」と言った。
「まーくん、どうしたの?」
「迎えに来た」
「ぼくの新幹線のチケット、買い直したのまーくん!? どうやったの!?」
「おまえはおれを信用し過ぎる。やっぱり心配だな、ふわふわで……」
ぼくは菓子折りひと箱だけを残して、残りのお土産を荷物入れに上げた。と言っても、ほとんどまーくんがやってくれた。
「まーくん、いつこっち来たの?」
「一時間くらい前」
「それならやっぱり年末から、ぼくの実家に来ればよかったのに……」
「じゅうぶん満喫できた、駅弁も買ったし。ほら、どっちがいい」
「えっ、いいの? やった〜、から揚げ鮭弁当がいい」
「何買ったんだ、こんなに」
「まーくんへのおみやげ。これね、チョコレートのやつ、賞味期限が短いんだけどね、おいしいやつ……残りは帰ったら食べよう」
まーくんはぼくを迎えに来るためだけに、往復の新幹線代に加え、ぼくの新幹線代も払ってくれていた。常々思うけれど、まーくんはぼくに奢り過ぎる。お弁当も奢りである。いくらぼくがそんなに裕福ではないとはいえ、あんまりどちらかが多くお金を払い過ぎるのは恋人同士として絶対によくないと、ぼくは強く思うところであり……。
「まーくん、ぼく新幹線代払うよ」
「おまえ、気にするのがそこなのか。苦情はないのか、勝手にチケットサイトにログインして、クレジットカードを変更して勝手に支払う彼氏に」
「いいよ、だって迎えに来てくれて嬉しいから……」
積み重なるまーくんの親告罪。
まーくんは笑い、駅弁の蓋を開ける。新幹線の中でデートするの、すごく楽しい。
多分まーくんはわかってる。ぼくがまーくんに、こんな風に見張っててもらうと安心するのだ、というちょっとした歪みに。まーくんは変だけど、(カッコイイのはさておき認める、まーくんは変)ぼくも同じくらい変なのだ。
「……」
「うまいか、弁当。実家で何食った?」
「おせちとおでんとお寿司とカレーと……ねぇまーくん」
「ん?」
「ぼくとまーくん、もしかしてすごいお似合いじゃないかな」
「……」
まーくんはぼくが買ったばかりの、チョコレートのお菓子を齧りかけたまま固まっていた。まーくんはいつも余裕しゃくしゃくに見えるけれど、隙を突かれるとこうなるのだとわかってきた。ぼくはから揚げにタルタルソースを絡めながら、血糖値が爆上がりで眠くなるのを感じている。せっかくまーくんと新幹線乗っているのにな。寝たらもったいない。でも、眠い……。
そして目が覚めたら東京だった。キスされて、目が覚めたのだ。チョコレートの味がした。
それがぼくの、大学一年生の時の年末年始の思い出。
じゃあ今は、というと、三年生になった。そろそろ就職活動。
*
「まーくん、就職してもここに住む?」
去年のブラックフライデーのセールで買ったホットプレートで、まーくんがお好み焼きを焼く。ぼくはそのお好み焼きに、ソースを塗ってマヨネーズをかける。
「おまえは?」
お好み焼きのヘラ、なんて専門的なものはないので、フライパン返しとナイフでどうにかする。
昔はこの手の、鉄板で何か作る、みたいな作業はぼくのほうがうまかったはずなのに、いつの間にかまーくんのほうがうまくなっている。料理まで追い越されてしまっては、ますますぼくのいいところがなくなってしまった気がするけれど、まーくんは「おまえがいなかったら何もしないもん、おれ」と言う。
「ここ、安いし。便利でいいけど、寝坊したりとか、残業して帰ってきたりしてさ、エレベーターないと、大変かな? 社会人はカンタンに遅刻できないもんね」
「まぁ、そうだ。あと、大学には通いやすいけど駅からはそんなに近くないからな」
「……」
確かに、そうなのだ。入学した時は、卒業するまでだと思っていたし、通学の利便性のほうが駅からの距離より重要だった。
駅歩二十分の都会より、駅歩三分の郊外のほうがクオリティ・オブ・ライフが上がるという説。
「……まーくん」
「ん~?」
このマンションは、好きだ。愛着もある。でもぼくが、たとえ不便であっても引っ越したくないな、と思うのは、まーくんがいるからだ。お互いの部屋を交互に行き来して、ほとんど一緒に暮らしているみたいな生活。こんなにちょうどいい物件なんて、他になかなか見つからないだろうし……。
卒業・就職。人生の次のステップがじわじわと迫ってくると、なんとなく不安になってしまう。
「ぼく、まーくんとずっと一緒にいたいな。就職しても。もっと、歳とっても……」
これはぼくにとって、けっこう深刻な悩みなんだけど。いざ口に出してみるとけっこうありふれていて、軽くて、大したことないみたいに聞こえる気がして、怖かった。
まーくんはお好み焼きをぼくのお皿に乗せながら、「おまえ、そんなにふわふわで大丈夫なのか。おれの異常な束縛を連日受けておきながらまだそんなことを……」と言った。
異常な束縛? ぼくは首を傾げる。
「まーくんは確かに変わってるけど、ぼくは別にそんな束縛されてるような感じもないけどな」
「どうするんだ、卒業したら働かせないでずっと家に閉じ込めておく、なんて言い出したら。おまえがつき合ってるのはな、そういう男なんだ。気をつけなさい」
自分で言うかなぁ、普通。ぼくはお好み焼きを齧る。おいしい、すご~く。
親元を離れて暮らす大学生の自由さというものは、筆舌に尽くしがたいものがある。働きに出てしまえば、これ以上の解放された時間を得ることは二度とできないような、そんな感じの。
ぼくの、心の中には確かにあるのにうまく言語化できない不安を、まーくんは不思議とわかっているみたいに思える。なんというか、ぼくはまーくんに全部見られているような気がするのだ。すみずみまで。そしてぼくはそれにすっかり安心しているし、もっと言うなら依存している。
このままもっと大人になって、今の当たり前がなくなるようなことがあったら、どうしよう。人は変わる。小学生のぼくと、大学生のぼくが当たり前に違うのと、同じだ。
夜になってから、ぼくとまーくんはコンビニまで出かけた。自転車に乗って、ちょっと離れたコンビニ。コンビニは周りに何軒もあるけれど、ソフトクリームが売っているのはミニストップだけなので、わざわざ出かける。
おしゃべりしながら、五階分の階段を下りる。真夏の暑い時期は、スーパーで買ったアイスが溶けてしまうくらいの長い上り下り。
ぼくとまーくんが初めてお喋りするきっかけも、この長い階段が作ってくれた気がする。だってエレベーターがあったら、あんな展開にならなかったかもしれない。
「まーくん」
「ん~?」
「就職したら、不便かもしれないけど。ぼくとまーくんの思い出がいっぱいあるから、やっぱりここにいたいな、ぼく」
「あっははは」
「なんで笑うの」
「かわいいんだもん、おまえ」
まーくんはぼくの手を握って、駐輪場まで歩く。薄暗いエントランス。ひんやりとした銀色のポストが、等間隔に並んで鈍い光を跳ねている。
「どこにいたって、思い出なんていくらでも作ってやれる。心配するな」
「うん」
「どこだっていいんだよ、おれは。おまえがいればな」
「うん……ねぇまーくん」
「ん?」
「ぼくとまーくん、もしかしてすごいお似合いじゃないかな」
「……」
まーくんは、黙ってちょっと照れていた。
季節は眩しい春で、空や光が、町や緑がきらきらとしている。ぼくとまーくんの三回目の春だ。屋上にはぼくたちが干した洗濯物が風に吹かれているけれど、地上からは見ることができない。まるで、秘密の場所みたいに。誰でも入れる屋上なのに、そう思えるのはおかしいね。でも、そんな気がするんだ。
あの日、つき合いたてほやほやだったまーくんは、ぼくを新幹線に乗せるところまで見送ってくれたけれど、結局一緒には来なかった。
「おれみたいなの連れて行ったら、ご家族も友だちもびっくりするだろ。東京で悪い奴とつるんでるのかって」
「そんなことないよ」
まーくんは笑った。ぼくはぐずぐず、「そんなことないよ」と言った。
今思えば、よその実家に泊まりに行くなんて気も使うだろうし、うちの両親も急にひとりお客さんが増えたら困ってしまったかもしれない。ぼくはまだ幼稚で、そんな当たり前のことにも気が回らなかったし、それにただまーくんと離れがたいだけだった。それに帰省ラッシュで、今から新幹線を取るのも難しかった。
まーくんに見送られて東京を出発してからも、ぼくは寂しくて、どうしてこんなに弱虫で甘ったれなのか自分が情けなくなるくらいだったけれど、ふと、スマホと、同期してあるタブレット、ぼくはやっぱりまーくんに見ていてほしい、と思った。でももう、ぼくとまーくんは恋人同士なのだ。ぼくを見ていなくたって、ぼくはまーくんのものなのだから。ぼくは浮気の心配もされないと思う。ぼくみたいなぼんやりしていてどんくさい不器用な人間に、ふたまたかけるような芸当は不可能だってまーくんも思うだろう。
でも、まーくんは?
「……」
つき合って数日で、恋人を疑う。だってまーくんはカッコイイから。すごく、モテるだろうから。だから……。疑ってるとかそういうわけじゃないけど……。
ぼくは東京都の距離が開くに従い、不安な気持ちも強くなっていき、タブレットで【恋人 浮気 原因】だとか調べて、より一層沈み込んでいた。しかも新幹線に乗っている数時間の間、ずっとそれを調べていた。
地元の駅に着く。ぼくがもたもたと新幹線を降りると、スマホが鳴った。迎えに来てくれるお父さんかなぁ、と思ったらまーくんだった。
『着いたか』
「うん」
ぼくは小さなボストンバッグを担ぎ直して、雪が降りそうな白っぽい空を見上げる。吐く息の白さが、今が年末だということをぼくにヒシヒシと教えている。クリスマスツリーが恋しかった。まーくんはぼくが帰るまで、ツリーを出したままにしておいてくれると言ったのだ。
『お友だちによろしく言っといてくれ、何くんだっけか、あれは』
「遼平?」
『そう、リョーヘイ。おれは浮気はしない男だ、心配するなって』
「…………まーくん、検索履歴も見られるんだね……」
本当は冬休みいっぱい、実家にいたってよかった。でもぼくは年明けして、三が日を過ぎたら東京に戻ろうと思った。
もっとゆっくりしていけば、と言うお母さんに、「バイトがあるから」と言いかけたぼくは、思い直して「ぼく、恋人ができたから、デートしたいんだもん」と正直に答えた。
お母さんよりも、横で聞いていたお姉ちゃんのほうがすごく驚いて、「連れてきなよ!!」と言った。
「一緒に年越しとかしたかったんじゃないの〜? 大学生カップル」
「だって、クリスマスにつき合い始めたばっかりだもん」
「え〜! ねぇおかーさん、聞いた? 記念日がクリスマスだって〜いいね〜」
そうしてお姉ちゃんとお姉ちゃんの旦那さんは、ぼくの分の他にまーくんの分もお年玉をくれた。ぼくもバイト代で、姪っ子のためにお年玉を包んだ。
遼平と、健斗と蓮は、何も言わなくてもぼくがまーくんとつき合い始めたことがわかっているみたいだった。遼平は、アイツ本当に大丈夫なのかよ、といつまでも心配していたので、「まーくんはもうSNSとか見てないよ」と言ったけれど、検索履歴は見ていることは伏せておいた。でも検索履歴ってさ、パソコン共用なら普通に見られるもんね? それと一緒で……や、ちょっと違うか……。
「遼平がまーくんによろしくって」
ぼくが夜、まーくんとビデオ通話を繋ぎながら言うと、まーくんは笑っていた。
ひとたび実家を出てしまうと、暮らし慣れていたはずの子ども部屋はまるで他人の顔みたいに思える。ベッドの寝心地も、枕や毛布の感触も。
「まーくん、ぼく、明日東京に帰るね」
『もっとゆっくりしなくていいのか』
「うん」
『そうか』
「うん……」
ぼくはまーくんと話しながら眠くなってきてしまって、ほとんど寝言みたいな声で、「まーくん、来年は一緒に年越ししようね、ぼく、まーくんがいないと……」と、呟いたところまではなんとなく覚えているけれど、気づいたら朝だった。
まだお正月ムードの濃い一月四日、リビングで朝ご飯を食べていると、ぼくのスマホに、東京へ戻る新幹線のチケットが一度キャンセルになって、別の便に振り替えられていた。
「?」
何かあったのかな。でも、実家での正月休みを終えて東京へ戻る人たちで賑わう駅は、いつもより新幹線の本数も増えていて、ほんの十分遅いだけの便だった。
夏休み、東京の駅までまーくんが迎えに来てくれたことを思い出す。まーくんは言わないけど、今日ももしかして来てくれているのかな、なんて、想像してちょっと嬉しくなる。もし都合が悪くても、それはそれでかまわないのだ。帰れば会えるのだから。恋人とつき合うっていうのは、こういう心のゆとりも手に入ることなのだな、と思う。
ぼくはお土産で、行きよりもぱつん、と膨れたボストンバッグを担ぎ、もたもたと改札へ向かう。また駅の中で、菓子折りを買って荷物を増やしてしまう。送ればよかったかなぁ、と後悔しながらもたもた歩く。何しろぼくは、東京に戻ればこの荷物を持って五階分の階段をのぼる仕事が待っているのだ。
もたもたしすぎて、ギリギリの時間になってしまう。実家が持たせてくれたお土産と、友だち三人と交換したプレゼントと、買い過ぎたお土産で塞がった両手。ホームへ向かう階段を駆けのぼると、もう新幹線は到着している。乗ったら、まーくんに連絡しよう。
ぼくが新幹線の指定の号車に乗り込むと、暖房で温まった空気がぼくの頬っぺたや指先を包んだ。誰かが広げているからあげ弁当のにおい。なんかお腹空いた。お菓子ではなく、お弁当を買ってくるべきだったかもしれない。でもお菓子は、まーくんやバイト先へのお土産になるので大切なのだ。いくらあってもいい。
ぼくの座席は通路側だ。あれ、誰か座ってるかも、ぼく車両間違えたかな……。
「……まーくん?」
東京にいるはずのまーくんが、どうしてぼくの地元発の新幹線に乗っているんだろう。まーくんはぼくの顔を見て笑い、「荷物多くね? 何を買ったんだよ、そんなに」と言った。
「まーくん、どうしたの?」
「迎えに来た」
「ぼくの新幹線のチケット、買い直したのまーくん!? どうやったの!?」
「おまえはおれを信用し過ぎる。やっぱり心配だな、ふわふわで……」
ぼくは菓子折りひと箱だけを残して、残りのお土産を荷物入れに上げた。と言っても、ほとんどまーくんがやってくれた。
「まーくん、いつこっち来たの?」
「一時間くらい前」
「それならやっぱり年末から、ぼくの実家に来ればよかったのに……」
「じゅうぶん満喫できた、駅弁も買ったし。ほら、どっちがいい」
「えっ、いいの? やった〜、から揚げ鮭弁当がいい」
「何買ったんだ、こんなに」
「まーくんへのおみやげ。これね、チョコレートのやつ、賞味期限が短いんだけどね、おいしいやつ……残りは帰ったら食べよう」
まーくんはぼくを迎えに来るためだけに、往復の新幹線代に加え、ぼくの新幹線代も払ってくれていた。常々思うけれど、まーくんはぼくに奢り過ぎる。お弁当も奢りである。いくらぼくがそんなに裕福ではないとはいえ、あんまりどちらかが多くお金を払い過ぎるのは恋人同士として絶対によくないと、ぼくは強く思うところであり……。
「まーくん、ぼく新幹線代払うよ」
「おまえ、気にするのがそこなのか。苦情はないのか、勝手にチケットサイトにログインして、クレジットカードを変更して勝手に支払う彼氏に」
「いいよ、だって迎えに来てくれて嬉しいから……」
積み重なるまーくんの親告罪。
まーくんは笑い、駅弁の蓋を開ける。新幹線の中でデートするの、すごく楽しい。
多分まーくんはわかってる。ぼくがまーくんに、こんな風に見張っててもらうと安心するのだ、というちょっとした歪みに。まーくんは変だけど、(カッコイイのはさておき認める、まーくんは変)ぼくも同じくらい変なのだ。
「……」
「うまいか、弁当。実家で何食った?」
「おせちとおでんとお寿司とカレーと……ねぇまーくん」
「ん?」
「ぼくとまーくん、もしかしてすごいお似合いじゃないかな」
「……」
まーくんはぼくが買ったばかりの、チョコレートのお菓子を齧りかけたまま固まっていた。まーくんはいつも余裕しゃくしゃくに見えるけれど、隙を突かれるとこうなるのだとわかってきた。ぼくはから揚げにタルタルソースを絡めながら、血糖値が爆上がりで眠くなるのを感じている。せっかくまーくんと新幹線乗っているのにな。寝たらもったいない。でも、眠い……。
そして目が覚めたら東京だった。キスされて、目が覚めたのだ。チョコレートの味がした。
それがぼくの、大学一年生の時の年末年始の思い出。
じゃあ今は、というと、三年生になった。そろそろ就職活動。
*
「まーくん、就職してもここに住む?」
去年のブラックフライデーのセールで買ったホットプレートで、まーくんがお好み焼きを焼く。ぼくはそのお好み焼きに、ソースを塗ってマヨネーズをかける。
「おまえは?」
お好み焼きのヘラ、なんて専門的なものはないので、フライパン返しとナイフでどうにかする。
昔はこの手の、鉄板で何か作る、みたいな作業はぼくのほうがうまかったはずなのに、いつの間にかまーくんのほうがうまくなっている。料理まで追い越されてしまっては、ますますぼくのいいところがなくなってしまった気がするけれど、まーくんは「おまえがいなかったら何もしないもん、おれ」と言う。
「ここ、安いし。便利でいいけど、寝坊したりとか、残業して帰ってきたりしてさ、エレベーターないと、大変かな? 社会人はカンタンに遅刻できないもんね」
「まぁ、そうだ。あと、大学には通いやすいけど駅からはそんなに近くないからな」
「……」
確かに、そうなのだ。入学した時は、卒業するまでだと思っていたし、通学の利便性のほうが駅からの距離より重要だった。
駅歩二十分の都会より、駅歩三分の郊外のほうがクオリティ・オブ・ライフが上がるという説。
「……まーくん」
「ん~?」
このマンションは、好きだ。愛着もある。でもぼくが、たとえ不便であっても引っ越したくないな、と思うのは、まーくんがいるからだ。お互いの部屋を交互に行き来して、ほとんど一緒に暮らしているみたいな生活。こんなにちょうどいい物件なんて、他になかなか見つからないだろうし……。
卒業・就職。人生の次のステップがじわじわと迫ってくると、なんとなく不安になってしまう。
「ぼく、まーくんとずっと一緒にいたいな。就職しても。もっと、歳とっても……」
これはぼくにとって、けっこう深刻な悩みなんだけど。いざ口に出してみるとけっこうありふれていて、軽くて、大したことないみたいに聞こえる気がして、怖かった。
まーくんはお好み焼きをぼくのお皿に乗せながら、「おまえ、そんなにふわふわで大丈夫なのか。おれの異常な束縛を連日受けておきながらまだそんなことを……」と言った。
異常な束縛? ぼくは首を傾げる。
「まーくんは確かに変わってるけど、ぼくは別にそんな束縛されてるような感じもないけどな」
「どうするんだ、卒業したら働かせないでずっと家に閉じ込めておく、なんて言い出したら。おまえがつき合ってるのはな、そういう男なんだ。気をつけなさい」
自分で言うかなぁ、普通。ぼくはお好み焼きを齧る。おいしい、すご~く。
親元を離れて暮らす大学生の自由さというものは、筆舌に尽くしがたいものがある。働きに出てしまえば、これ以上の解放された時間を得ることは二度とできないような、そんな感じの。
ぼくの、心の中には確かにあるのにうまく言語化できない不安を、まーくんは不思議とわかっているみたいに思える。なんというか、ぼくはまーくんに全部見られているような気がするのだ。すみずみまで。そしてぼくはそれにすっかり安心しているし、もっと言うなら依存している。
このままもっと大人になって、今の当たり前がなくなるようなことがあったら、どうしよう。人は変わる。小学生のぼくと、大学生のぼくが当たり前に違うのと、同じだ。
夜になってから、ぼくとまーくんはコンビニまで出かけた。自転車に乗って、ちょっと離れたコンビニ。コンビニは周りに何軒もあるけれど、ソフトクリームが売っているのはミニストップだけなので、わざわざ出かける。
おしゃべりしながら、五階分の階段を下りる。真夏の暑い時期は、スーパーで買ったアイスが溶けてしまうくらいの長い上り下り。
ぼくとまーくんが初めてお喋りするきっかけも、この長い階段が作ってくれた気がする。だってエレベーターがあったら、あんな展開にならなかったかもしれない。
「まーくん」
「ん~?」
「就職したら、不便かもしれないけど。ぼくとまーくんの思い出がいっぱいあるから、やっぱりここにいたいな、ぼく」
「あっははは」
「なんで笑うの」
「かわいいんだもん、おまえ」
まーくんはぼくの手を握って、駐輪場まで歩く。薄暗いエントランス。ひんやりとした銀色のポストが、等間隔に並んで鈍い光を跳ねている。
「どこにいたって、思い出なんていくらでも作ってやれる。心配するな」
「うん」
「どこだっていいんだよ、おれは。おまえがいればな」
「うん……ねぇまーくん」
「ん?」
「ぼくとまーくん、もしかしてすごいお似合いじゃないかな」
「……」
まーくんは、黙ってちょっと照れていた。
季節は眩しい春で、空や光が、町や緑がきらきらとしている。ぼくとまーくんの三回目の春だ。屋上にはぼくたちが干した洗濯物が風に吹かれているけれど、地上からは見ることができない。まるで、秘密の場所みたいに。誰でも入れる屋上なのに、そう思えるのはおかしいね。でも、そんな気がするんだ。

