目が覚めた瞬間、知らない天井が見えた。

(ん?……どこ?
 いや、知ってる。楓の家。昨日来たわ……)

 昨日の夜、あれからまた少し勉強していたはずだった。
気づけば眠っていて、気づいたらベッドに寝かされていた。

毛布を肩まできちんとかけられているのを見て、
(これ絶対楓が……)
そう思うと胸がじんわりあたたかくなる。

 隣のキッチンの方からは、カチャリと食器の音が聞こえた。
 そっとベッドから降りてキッチンに向かう。

あの静かな彼が、台所に立っている姿なんて想像したことがなかった。

「……おはよう」

 眠気まじりに声を出すと、ドアの向こうからすぐ返ってきた。

「あ、起きた?顔、洗えたら朝ごはんにしよ」

 ほんのり低くて、やさしい声。
その音色だけで、胸の奥が締めつけられる。

 顔を洗ってからリビングへ行くと、ダイニングテーブルの上に
きちんと盛りつけられた朝食が並んでいた。
ふわっと焼けた卵焼きと、湯気のたつ味噌汁、焼き鮭。
湯気の向こうで、楓がエプロンを外して振り向く。

「朝ごはん、食べられそう?」
「……うん。すご。なんか……家庭的だね。楓が作ったんだよね?」
「昨日、お前が疲れてたから。俺、こういうの得意なんだ。前も悠に弁当作ったことあっただろ?」
「うわ、まじで……スパダリがすぎるんだけど」

 思わず口にすると、楓が小さく笑った。
その笑顔が少しだけ照れたようで、珍しく耳が赤くなっている。

「そんな言葉、初めて言われた。嬉しい、かも」
「えっ、嬉しいとか、あるの?」

「……あるよ」

 俺の言葉に、彼は少しだけ眉尻を下げて笑った。
その微妙な表情の変化が、どうしようもなく好きだ。

 ご飯を食べながら、ふと手元を見ると、
楓の部屋着を借りた俺の袖が、やっぱり手をすっぽり覆っている。

「かわいすぎるな」
と、彼がつぶやいた。

「うわ、また言ってる……」
「似合ってるから。……かわいい」
「っ!? い、言い方……!」

笑いながら誤魔化そうとしたけど、体温が上がる。

 テーブルの下、彼の足がそっと触れた。
軽く触れるだけの距離感なのに、胸が高鳴って息が乱れる。

「……昨日、寝てく直前に言いかけてたこと、覚えてる?」
「え?あ、昨日途中で寝ちゃって……なんか言いかけてたっけ?」
「“もっと一緒にいたい”って」
「あ……言ったっけ……?」
「俺も、そう思ってる」

 その瞬間、視線がぶつかる。
音羽の瞳は深く澄んでいて、どこまでも吸い込まれそうだった。
……朝から心臓壊れそう。

 食卓を片づけ終えると、楓はカップにコーヒーを注いだ。
その仕草ひとつひとつが落ち着いていて、俺はなんとなく見惚れてしまう。
無駄がなくて、静かで、でも優しい。

「……なに?」と気づかれて、思わず慌てる。

「いや……なんか、絵になるなって」
「お前の言うことは、時々ストレートで困る」
「はぁ?褒めてるのに?それに楓の方がじゃん」
「……わかってる」

 楓は少しだけ笑って、視線をそらした。
コーヒーの香りが部屋に満ちていく。
その香りが彼の匂いと重なって、胸があたたかくなる。

 学校に行く時間になって荷物を持って玄関を出た。
外に出ると、秋の風がやわらかく頬を撫でた。
エントランスを抜けて、並んで歩く。
昨日までよりもずっと近く感じる距離。

 マンションの先の角を曲がったとき、朝陽がビルの間から差し込んだ。
 ふいに横を見ると、隣を歩く楓の整った横顔が陽に照らされる。
少し風に乱れた髪の艶が、キラキラして。

 なんか、映画のポスターみたい。
思わず立ち止まってスマホをポケットから取り出す。
「カシャ」
前を向く楓の横顔をカメラにおさめた。

「……なに?今、撮った?」
「いや……なんかキラキラしてるの、きれいだなって」

 我ながら恥ずかしくて、誤魔化して視線を逸らした。
でも楓は、いつもの無表情のままにみえる。
それでも俺にはわずかに目を細めて笑ったような気がした。
その一瞬で、胸の奥がじんわり熱くなる。

 昨日までよりも、ずっと近い。
それだけで、なんだか景色が少し違って見えた。

――もしかして”幸せ”ってこういうこと……?

「……なに、考えてんの?」
「ん……なんでもない」
「また嘘」
「バレてる……」

 俺が苦笑すると、楓の手がそっと伸びてきた。
人目を気にする様子もなく、自然に指を絡める。

 その瞬間、体の芯がふっと溶ける。
この温度が、心の奥までしみ込んでいくみたいだった。

「学校、もうすぐだよ? 手、離した方が……」

「離したくない」
(しれっと言った!いや、嬉しいけど)

 言葉のトーンは静かだったけど、そこに宿る想いが強くて、思わず返せなかった。
(隠す気、ないんだな)と気づいて、
めちゃくちゃ恥ずかしいけど、なんだか嬉しい。

「……校門までだからな」
恥ずかしさを誤魔化しながら、答えた。

 校門を抜けたところで、何人かのクラスメイトがこっちを見た。
成瀬が片手をあげてニヤニヤしながら叫ぶ。

「おーい、もうバレバレだぞー! ラブラブかよ!」

「……朝からうるさいな」
と、楓は軽く眉を寄せる。
けど、その顔がどこか嬉しそうにも見えた。

「なぁ楓、みんなの前で手つないだりするの、平気なの?」
「平気。俺は、悠が隣にいることを隠したくない」
「……楓って、はぁ〜ほんっと、そういうとこ……」

「そういうとこ?」
「そんなこと言われたら、嫌でも好きになるって。」

 俺の言葉に、楓が少しだけ目を細めた。
その笑顔を見た瞬間、また心臓が暴れだす。
空気が甘くなっていく。

 教室に入ると、みんなが振り返った。
ひそひそ声が飛び交って、机のあいだから「やっぱ付き合ってるよな」とか「似合う」とか聞こえる。
恥ずかしいけど、不思議とイヤじゃない。

俺が苦笑いをしながら話しかけた。
「……もう、全然隠せてないんじゃ」

「最初から隠すつもりなかったけど」

 涼しい顔で楓が言う。
その横顔には、穏やかで確かな笑みがあった。
(もう、なんなの。)

 チャイムが鳴り、朝のHRが始まる。

 楓が小声でこっそり俺の名前を呼ぶ。

「悠」

「なに?」

「……今日も、好きだよ」

 湯気が出るほど体温が上がって机に突っ伏した。
これ以上、なにを望むんだろう。
このままこの時間が止まればいいと思った。

机に伏せる真っ赤な顔の俺の横で、楓が静かに笑った。