その笑顔、俺限定。

 
 目が覚めた瞬間、知らない天井が見えた。
 ん?……どこ? ここ。

 一瞬考えて、じわじわと思い出してきた。
 あ、違う、知ってる。楓んち。昨日来たわ……。

 昨日の夜、あれからちょっとだけ勉強していて――寝落ちしちゃったんだ。気づいたらベッドに寝かされていた。

 毛布を肩まできちんとかけられているのを見て、
(これ絶対楓が……)
 そう思うと胸が温かくなる。

 キッチンの方から、カチャっと食器の音がした。そっとベッドから抜け出してキッチンに向かう。あの静かな彼が、台所に立っている姿なんて想像したことがなかった。

「……おはよう」

 眠気まじりに声を出すと、流し台の向こうからすぐ返ってきた。

「あ、起きた? 顔、洗えたら朝ごはんにしよ」

 やさしい声で返してくれる。

 顔を洗ってからリビングへ行くと、ダイニングテーブルの上にきちんと盛りつけられた朝食が並んでいた。ふわっと焼けた卵焼きと、湯気のたつ味噌汁。焼き鮭。楓が振り向きながら、聞いてきた。

「朝ごはん、食べられそ?」
「うん。すご。なんか……家庭的。楓が作ったんだよね?」
「昨日、お前が疲れてたから。俺、こういうの得意なんだよね。前も悠に弁当作ったことあったでしょ?」
「うわ、まじで、スパダリがすぎるんだけど」

 つい口に出したら、楓が笑う。その笑顔が少しだけ恥ずかしそうで、珍しく耳が赤くなってる。

「そんな言葉、初めて言われた。嬉しい、かも」
「えっ、嬉しいとか、あるの?」

「……あるよ」

 一応あるんだ。
 俺の言葉に、彼は少しだけ眉尻を下げて笑う。その微妙な表情の変化が、たまんない。

 箸を動かしながら、自分の手を見ると、楓の部屋着を借りた俺の袖が、やっぱり手をすっぽり覆っている。

「もうそのままでいいじゃん」
 楓がさらっと言った。

「うわ、まだ言ってる」
「えーだって……かわいい」
「っ!? い、言い方……!」

 笑いながら誤魔化そうとしたけど、絶対体温が上がってる。

 テーブルの下、彼の足がそっと触れた気がした。俺、なんでこんなことでドキドキできるの……。

「昨日、寝る直前に言いかけてたこと、覚えてる?」
「え? あ、昨日途中で寝たし……なんか言いかけてたっけ、俺」
「もっと一緒にいたいって」
「えぇ?……言ったっけ……?」
「俺も、そう思ってる」

 その言葉と同時に視線がぶつかる。楓の瞳は深く澄んでいて、どこまでも吸い込まれそうだ。

 い、いまの、なに?
 朝からこれは、勘弁して。もたない……。


 食器を片づけ終えると、楓はカップにコーヒーを注いだ。俺のカップにはカフェオレ。その仕草ひとつひとつが落ち着いていて、俺はなんとなく見惚れてしまう。じっと見てたら、楓はすぐに気がついた。

「なに? さっきから」

「いや……なんか、絵になるなって」
「お前の言うことは、時々直球すぎて困る」
「はぁ? 褒めてんのに? それに楓の方がじゃん」
「……わかってるけど」

 小さく笑って、視線をそらす楓。部屋に広がるコーヒーの香りが彼の匂いとなんとなく重なって、ほっとする。

 学校に行く時間になって荷物を持って玄関を出た。外に出ると、秋らしい風が柔らかく吹く。エントランスを抜けて、二人で並んで歩くその距離が、昨日までよりもずっと近く感じた。

 マンションの先の角を曲がったところで、朝陽がビルの間から差し込んだ。
 横を見ると、隣を歩く楓の整った横顔があって、少し風に乱れた髪が、キラキラしている。

 なにこれ、映画のポスターみたい。
 立ち止まってスマホを取り出して――カシャ。前を向いてる楓の横顔を撮った。

「……なに?今、撮った?」
「うん、なんかキラキラしてるの、きれいだなって」

 自分で言いながら恥ずかしくなってきて、視線を逸らした。
 楓は、いつもの無表情のままにみえるが、少しだけ目を細めて笑ったような気がした。

 もしかして『幸せ』ってこういうとき言うの……?

「それ今、なに、考えてんの?」
「んー……なんでもない」
「絶対、嘘」
「バレてんだ」

 苦笑いをしたら、楓の手がそっと伸びてきた。当然のような顔で自然に指を絡めてきた。

「学校、もうすぐだよ? 手、離した方が……」
「離したくないもん」
(しれっと言った……いや、嬉しいけど……)

 声は静かだったが、逃げ場がなく俺はなにも返せなかった。
 隠す気ないんだな、と気づいて、めちゃくちゃ恥ずかしいけど、ちょっと嬉しい。

「校門までだからな」
 恥ずかさをごまかして、そう言った。

 校門をくぐるあたりで、何人かのクラスメイトがこっちを見た。成瀬がわざわざ片手をあげてニヤニヤしながら叫ぶ。

「おーい、音羽〜、藤谷離さないの?笑」

「朝からうるさい奴」と、楓は眉を寄せる。
 ……いや、あれ絶対ちょっと嬉しそうだ。

「楓、みんなの前で手つなぐの、平気なの?」
「平気。俺は、悠が隣にいることを隠したくない」
「……楓ってさ、はぁ〜ほんっと、そういうとこ……」

「そういうとこ?」
「そういうの普通の顔でいうの、やめて? 照れるんだって」

 俺の言葉に、楓が少しだけ目を細めた。

 教室に入ると、みんなの視線が集まる。ひそひそ声が聞こえてきて、机のあいだから「やっぱ付き合ってるよな」とか「お似合いだね」とか勝手に耳に入ってくる。

 つい苦笑いをして、楓に声をかけた。
「もう、あんまり隠せてないのかも」

「最初から隠すつもりなかったけど」

 涼しい顔で楓が言い放つ。その横顔は、穏やかな笑顔だ。
 もう、相変わらずなんなの。追いつけないんだけど。

 チャイムが鳴って、朝のHRが始まる。

 楓が小声でこっそり俺の名前を呼ぶ。

「悠」

「なに?」

「……今日も、好きだよ」


 まるで湯気が出るほど体温が上がって机に突っ伏した。
 これ以上なにを望むの。

 無言で机に伏せる真っ赤な顔の俺の隣で、
 楓が静かに笑っていた。