学校から駅までの道を二人で歩く。

 あれから中庭でのやりとりの後、
一旦駅に向かおうということになって、その間にある公園のベンチで腰を下ろした。

 楓のすぐ隣に座る距離が、落ち着かない。
さっきの涙がまだ乾ききっていないのに、心の奥で、また何かが疼いていた。

「……なぁ、楓」
「ん?」
「楓も、……苦しいこと、あるの?」

 問いかけた瞬間、楓のまつげがわずかに揺れる。

「……あるよ」
短い答えが落ちて、少し間が空いた。
その沈黙がどこか重たかった。

「俺、全部平気な顔してるように見える?」
「……うん。いつも、落ち着いてるから」
「それ、嘘」

 楓の声は穏やかだったけれど、寂しそうな顔でどこか遠くのものを見ていた。

 「俺の家ってさ。昔から、父親も母親も仕事でほとんど家にいない、今も。
小さい頃から、家のことも、自分のことも自分自身でやってきた。
 姉さんはもう社会人だけど、子供の頃は俺の面倒までみてくれた。
俺も、いつもちゃんとしないといけないって思ってた。
ずっとこの年になるまで誰かが頼る前に、俺が動かなきゃいけないって」

 遊具で子供が遊ぶ声がする。
その音が、遠くに感じる。

 「でもさ、そうやってるうちに、誰にも頼れなくなってさ。
甘えるとか、弱音吐くとか、やり方がわかんなくて。
……気づいたら、人と話すのも疲れるようになってた」

 楓の声がわずかに掠れる。
その顔が、あの日見た笑顔よりもずっと脆く見える。

「だから俺、最初はお前のこと、不思議だったんだ」
「俺?」
「うん。人のことを信じるのが当たり前みたいな顔してる。
 誰かが困ってたらすぐ動く。……それが、なんか、まぶしかった」

 言葉が出ないくらい驚いた。
楓が俺を“まぶしい”なんて思うことがあるなんて、考えたこともなかった。

「でも、見てるうちに気づいた。
悠は、ほんとは誰よりも頑張ってて。
笑ってるけど、たまに疲れた顔する。
……あれ、ずるいよ」

最後の言葉に、少し笑みが混じっていた。
けど、どこか切なくて。

「だからさ、俺、あの顔見たら放っておけなくなるんだ」

胸がぎゅっと締めつけられる。

「……」

「……だから苦しい。
悠に近づけば近づくほどに、前みたいに冷静でいられなくなった。
お前が誰かと笑ってるだけで、胸が痛くなる。
俺の知らない誰かの名前を呼ぶだけで、イラつく。
こんなの綺麗な気持ちじゃない。
 悠を傷つけたくないから本当は欲しいのに踏み出せない。怖いんだ。
 ……最低だよな、こんなの」

「最低なんかじゃないよ」
思わず声が出た。

 楓が驚いたように俺を見る。
その目が、少し潤んで見えた。

「俺も、そうだったから。
 楓が誰かといるの見て、胸がぐちゃぐちゃになって、どうしていいかわかんなかった」

 言いながら、今までの痛みが蘇る。
涙がこみ上げそうになるのを、ぐっとこらえた。
俺、自分のことばかり見てたな……。

「俺だけが苦しいと思ってた。
 でも、楓も苦しかったんだ」

楓はゆっくり頷いた。

「お前が泣くとき、俺も同じくらい痛い。
 それが俺が傷つけたとしても……それでもお前をそばで見ていたい、だなんて思ってしまう。
 それが、俺の気持ち」

 静かに言葉が落ちた。
夕日が沈んで、周りが少しずつ暗くなっていく。
時間の流れがゆっくりで、心臓の音だけがはっきり聞こえる。

 俺はそのとき、やっとわかった気がした。
――楓がずっと“守る”という形でしか想いを伝えられなかった理由を。

 彼はずっと、自分の弱さを閉じ込めてきたんだな。
その代わりに、誰かを傷つけないように優しさで覆ってきた。

そして今、その不器用な仮面を俺の前で外した。
「ごめん、いろいろ誤解しちゃって。酷いことも言ったし」
「ん、それはお互い様」

「それに……ありがと、楓」
「なんでお前が礼を言うんだよ」
「だって、俺にだけ見せてくれたじゃん。楓のその顔」

楓の唇がかすかに揺れて、
そのあと、ほんの少し笑った。

「ほんと……お前には敵わないわ」

 ゆっくり沈む夕陽の中で、見つめ合った。