その笑顔、俺限定。

 
 学校から駅までの道を楓と並んで歩いてた。

さっきまで泣いてたせいで目もたぶん赤いし、心の奥もちょっとズキズキしてる。

公園のベンチを見つけて、「ちょっと話そ」と楓が言った。
楓がすぐ隣に座って、緊張で背中が伸びる。

「……ね、楓」
「ん?」
「楓も、……苦しいこと、あったりするの?」

 聞いたらまずかったかな。と思った矢先、楓のまつげがほんの少し震えた気がした。

「……あるよ」

短かくそう言って、少し黙る。その沈黙が、なんか重い。

「俺、全部平気な顔してるように見えてた?」
「……うん、見えてた。余裕ありそうに見えたし」
「それ、そう見えてるだけ」

 穏やかな声なのに、寂しそうな顔でどこか遠くの方をみてる。

 「うちさ。昔から、両親ほとんど家にいなかったんだよ、今もだけど。」

楓が息を一つ吐く。

「家のことも、自分のことも、全部自分でやるしかなくて。
 姉さんは、子供の頃は俺の面倒までみてくれたけど……。
だからかな、いつもちゃんとしないとって。誰かが頼む前に、動かなきゃって思うようになってた」

落ち着いた声なのに、少し切なく聞こえる。

 「でもさ、そうやってるうちに、誰にも頼れなくなってさ」
「……」
「甘えるとか、弱音吐くとか、やり方がわかんなくて。……気づいたら、人と話すのだけで疲れるようになってた」

(声……掠れてる。こんな楓、初めて見た……)

「だからさ、最初はお前のこと、すごく不思議だなって思ってた」
「えっ、俺?」
「うん。人のことを信じるのが当たり前みたいな顔しててさ」

「そんな顔してた?」
「うん。誰かが困ってたら迷う前に動くし。……そういうとこ、ちょっとなんか、まぶしかった」

楓が俺をまぶしいなんて思うことがあるなんて、考えたこともなかったな。

「でも、見てるうちにわかった。悠って、ほんとは誰よりも頑張ってる。笑ってるけど、たまに疲れた顔する。
……俺、あの顔に弱いんだよな」

最後だけ小さく笑ったけど、それがどこか切ない。

「だからさ。俺、あの顔見ると……放っておけなくなる」

「……」

「……だから苦しい」
そして、楓がゆっくり続けた。

「悠に近づけば近づくほど、前みたいに冷静でいられなくなって。
お前が誰かと笑ってるだけでムカつくし……
俺の知らない誰かの名前を呼ぶだけで、イラつく」

楓の言葉、ぜんぶ本音で、ぜんぶまっすぐで。そのまま刺さってくる。

「きれいじゃないでしょ、こんなの。欲しくて、でも怖い。
踏み込んだら、傷つけるかもしれない……でも離れたくない。……ほんと、最低だよ」

「最低とかじゃないよ。……そんなもんじゃないの?」

 楓がゆっくり顔をあげた。目が、ほんのり潤んで見えた。

「俺も、そうだったし。
 楓が誰かといるの見て、苦しくて……。何していいか、どうしていいか、全然わかんなかった」

 胸がまた痛い。俺、自分のことだけ見てたな……。

「俺だけが苦しいって思ってた。でも、違ったんだね」

そう言うと、楓はゆっくり頷いた。

「お前が泣くと、俺も痛いよ。
 それが俺がせいでも……それでもお前のそばにいたい。一番近くでずっと見てたい。
……それが、本音」


夕日が沈んで、周りが少しずつ暗くなる。もう、なんか時間止まってるみたい。

 楓は、「守る」って言葉でしか言えなかったんだと思った。
自分の弱さをかくしたまま。傷つけないように、そばにあったものをそっと包んできたんだ。

それで今、その不器用なところを俺に見せてくれた。
「ごめん……いろいろ誤解して。勝手に傷ついて酷いことも言ったし」
「うん、それはお互い様」

「それにさ……ありがと、楓」
「なんでお前が礼を言うんだよ」
「だってさ……俺にだけ、見せてくれたじゃん。その顔」

楓の唇がかすかに揺れて、少し笑った。

「ほんと……お前には敵わないわ」

 夕焼けの公園で、俺たちは静かに見つめ合った。