体育祭の午後の競技が終わりを告げる頃、クラスメイトたちは疲労の色を見せながらも、笑顔を浮かべていた。
俺は片づけ用の段ボール箱を抱え、グラウンドの端を歩く。流れてくる汗をぬぐい、ふと視線を向けた先、倉庫の横で楓が湊人と話している姿が目に飛び込んできた。
湊人は満面の笑みで何かを喋っていて、楓は、それに軽くうなずいている。
(またあの一年生……)
また、胸がチクリと痛んだ。
彼らが何かおかしなことをしているわけではない。それなのに、無意識に目で追ってしまう自分が嫌になる。
風が吹き、二人の声が少しだけ聞こえてきた。
「先輩、ほんとありがとうございます! この前もらったこのリストバンドも、大切にします!」
「あー、それ……別に。余ってただけだから」
穏やかにそう答える楓の声が、聞こえた。
湊人は「ペアっぽいの嬉しいです!」と笑って跳ねていて、楓は少し困った顔で視線を逸らした。
やっぱり、そういうこと……。
ペアとかそういうアレじゃなくて……。
胸の中のもやもやが、少しだけ軽くなった気がする。
しばらく二人はなにか話していたが、俺は気にしないフリをして、その場を離れた。
自分の持ち場に戻り片付けに集中することにした。
片付けがひと段落した頃、湊人がどこかへ走っていくのが見えた。
その少しあと、楓がこちらに気づいて歩いてくる。
「悠」
「あ、うん」
名前を呼ばれただけで、つい足が止まる。
「どしたの? 顔、疲れてる」
「そう? 平気。……楓こそ、さっきの一年と何話してたの?」
「別に。お礼言われただけ」
「ふうん」
会話がそこで途切れた。
「……気になる?」
急な楓の問いに、ハッとする。
「別に。気にしてないし」
「そっか」
楓はそれだけを言って、ふっと目を細めた。
笑っているのに、なぜか少し寂しそうな顔に見えた。
体育祭が完全に終わる頃には、熱気を帯びていたグラウンドの空気も、ようやく秋らしいひんやりした空気を感じた。
教室に戻って後片付けの続きに取り掛かる。雑巾で机を拭いていると、廊下から生徒の弾んだ笑い声や打ち上げの相談をする声が響いた。
そんな中でも、俺の頭の中はさっきの光景でいっぱいだった。
湊人くん、すごく嬉しそうだったなぁ。
楓が誰と仲良くしようが自由だし、別に口を挟む立場じゃないんだけどさ。
それでも、心のどこかが苦しくなる。
その理由を、自分でもわかっているくせに、言葉にはできない。
「……悠」
うしろから名前を呼ばれ振り返ると、そこにいたのは楓だった。
「もう残りはいい。後は俺がやる」
「え? いいよ、これくらい――」
「いいから」
机を拭いていた俺の手を、楓が軽く押さえた。
そのまま目が合って、息を吸うのも忘れそうになる。
「お前、今日ずっと様子おかしいし」
「えっ?」
「何かあった?」
「別に。そんなこと――」
そこで言葉が出なくなった。
楓の目が、嘘を許さないというようにまっすぐ俺の目を見る。
「葛原のこと、まだ気にしてる?」
「……あれは――」
「俺、ああいうの苦手なんだよ。誰かが勝手に『ペア』とか言うのも、誤解されるのも」
静かに言う声が響いた。
「また変な噂たてられるのも嫌だから、先に言っとく」
楓が一度息を吸って言い切る。
「さっき、葛原から告白された」
「っ!!」
楓の顔を見たまま、思わず目を見開いた。
楓は静かな声で続ける。
「それで、断った」
驚きすぎて何も言葉が出てこない。
「でも悠には変に誤解されたくない」
「それはどういう……」
「……」
目を逸らせなくなった。
鼓動が早くなり、呼吸も浅くなっていくのが自分でもわかった。
「お前の顔見てたら、もうたまんない気持ちになる」
「……え、な、なに」
言葉を探してる間に、楓の両手が俺の頬を包む。
俺の顔は熱いのに、楓の手は少し冷たくて気持ちいい。
楓を見つめたまま、心臓が破裂しそうなほど大きく鳴り響いていた。
「……そんな顔しちゃダメだよ。俺、余計に抑えられなくなる」
呟いた声が、耳に届いたが、なにも言葉が出てこない。
その距離のまま、楓が視線を逸らして息を吐いた。
「ごめん。今のは、ちょっと抑えられてなかった」
「……別に」
なんとか笑おうとしたけれど顔が熱すぎて、俺、いま絶対変な顔になってる。
「今日は送る」
「えっ?」
「その顔のまま帰したら、今度はお前の方が変な噂になる」
楓は困った顔で笑う。
けれど、その笑顔の奥は、どこか焦っているように見えたのは気のせい?
◇◇
帰り道、さっきより冷たくなった秋らしい風が吹いていて、気持ちがいい。
そういえば、さっきの『変な噂』って、俺と噂になることを言ってる、のかな?
「……ねぇ、楓」
「ん?」
「もし、『俺たち付き合ってる』とか噂になったら……どうする?」
楓は少し考えるように足を止め、俺を見て口を開いた。
「訂正はしないかも」
「えっ!」
「そう思われても、俺は別に困らないから。悠が嫌だったら考えるけど」
「ふーん。そっか」
その言葉の意味を考えるより先に、胸がぎゅっと掴まれたような感覚がした。
困らない、だなんて。
……ずるいな、そんな言い方。
頬に当たる風は冷たいのに、心の中はそれどころではないほど熱く感じる。
歩きながら、楓がぽつりと呟く。
「悠」
「なに」
「今日のお前、少しだけ……俺のこと、見てた」
うっ、そんなこと……あったかも。
「気のせいかもしれない。でも、そうだったらいいなと思って」
微笑みながらそう言い、前を向いて歩き出す。
その横顔がとても綺麗で、何も言えなくなる。
こんな近く感じるのに……俺たちってどういう関係なんだろう。
それを口に出してしまえば、もう今までと同じ関係ではいられない。
そうなるのは、嫌だ。
だから、たとえ曖昧なままでもいい。
今はこのまま近くで繋がっていたい。
また、自分がなんとも言えない顔をしている気がしてうつむいた。
「お前のことは、俺が守るからな」
楓は前を向いたまま、ふいにそう言った。
その言葉が、まっすぐ刺さる。
冗談とか、そんな顔じゃなかった。
まっすぐで、優しくて――。
どうしてふいに『守る』だなんて言うんだろう。
俺は笑ってごまかしたけれど、頭ではずっと楓の言葉が響いていた。

