気づけば、俺は彼の視線に縛られていた。
クールなクラスメイトが、俺にだけデレを解放してくる――
そんな状況、ありえないと思ってたのに。
「……全部、俺のものにしたい」
俺は今、その彼に捕まえられつつある。
「ふぁあ〜……」
朝の教室。まだ人の少ない窓際で、俺――藤谷悠は眠気と格闘していた。
机に突っ伏しながらあくびを噛み殺す。
昨日、友達に課題を頼まれて夜遅くまで付き合ったせいで、寝不足だ。
頼まれると断れない性格、ほんと損だと思う。
そのノートを机に広げシャーペンを握ったまま、……うとうと――。
「……これ、落とした。」
耳元で囁いた低く落ち着いたイケボにパチリと瞼を上げて顔を向けると、
視線の先に隣の席の音羽楓が、俺のシャーペンを指先でつまんで立っている。
長くて綺麗な白い指。光をうけるたびに艶が出る黒髪は、さらりと肩にかかる。いつみても整いすぎてる顔。
イケメンすぎて反応が遅れた。
「あ、ありがと。音羽。」
背も高くて、立ってるだけで絵になるようなやつ――音羽楓。
彼は無言のままうなずく。
制服の第一ボタンをはずし、ネクタイを少しだけ緩めて――それでもどこか整って見える着崩し方だ。
成績優秀、顔面偏差値も高い、女子から人気のクールなやつ。
なのに、本人はその気ゼロって顔でいつも淡々としている。
でも、なぜか俺にだけよく話しかけてくる。
ちょっとしたことで助けてくれるし、“無口なのに面倒見がいい”ってギャップが反則だよな。
音羽はその黒い瞳に俺を映しながらつぶやいた。
「お前、いつも抜けてるから。」
ねぇ、音羽、表情筋生きてる?
相変わらず無表情で声のトーンも一定。
だけど、俺の口元は勝手にゆるむ。
ハイハイ、どうせドジで抜けてるやつですよ、俺は。
自分で言うのも悲しいけど、俺は至って平凡な男子だ。
身長も普通、運動も勉強も中くらい。
目がでかいってよく言われるけど、褒め言葉かは微妙だ。普通の男子だと思う。
クラスの男子から「お前が女だったらな〜」なんてからかわれるたび、ちょっといたたまれない。
それを知ってか知らずか、音羽はいつも何気ない顔で助け舟を出してくる。
だから余計に、そのクールな面と優しい面とのギャップを感じてしまう。
クラスの女子がよく言っている。
「音羽くんって顔は良いけど、クールすぎて冷たそう」って。
確かに音羽は無口で、表情がほとんど変わらなくて基本は塩対応だ。
けれど――俺にだけは、ちょっと違う気がする。
まず、俺が物落とすたびに隣の席ということもあって、いつも音羽が拾ってくれる(とても恥ずかしい。)
それに、俺が頼む前にノートを貸してくれたり、
コンビニで買ってきたお茶を「ついで」って言って渡してくれたり。
昨日なんか、寝ぐせ直してもらった。あれも、地味に恥ずかしかったんだけど。
それにしても、これって普通のクラスメイトの親切かな?
至れり尽くせりで余計に俺はダメになりそう。
そう、音羽は俺にとても過保護だ。
俺は確かに抜けてるとこあって助かってるから、甘えちゃってるところもあるんだけど。
俺と音羽は二年になってから初めて話した。
最初の印象は“とんでもないイケメンだけど冷たい”無駄口”は叩かないタイプ。
でも少しずつ一言二言話すようになって、
席が隣になってからはよく目が合うようになって、今みたいな過保護になっていった。
音羽にとって俺は、放っておけないほど間抜けなのかもしれない。
でも、そんなクールなイケメンにそこまで気にかけられると……
正直、嬉しくて、つい甘えたくなるんだよね。
色々頭の中で回想しつつ、拾ってもらったシャーペンを受け取りながら、
「ね、音羽、なんで俺にだけ優しいの?」
冗談まじりに言ってみると、音羽の手が止まった。
そのまま、黒い瞳がまっすぐこちらを見て、ゆっくり瞬きした。
「……お前だから。」
それが冗談には聞こえない声音と表情で
心臓が強く鳴った。
「な、なにそれ。そういうこと言うと誤解されるよ?」
「誤解、されてもいいのかもな。」
「〜〜〜〜ッ!!!」
そう来る??
そんな整った顔でそんな直球を言われたら、ただの冗談だって分かってても、顔が一気に熱くなるに決まってる。
ふいっと顔をそらしながら、必死で平常心ぶる。
「っ!は!? いや、意味わかんないっ」
慌ててモゴモゴと言いながらも、耳がほんのり熱いのは自覚してる。
いや待って。
今のは変な意味じゃない。ないはず。
さっきのやりとりを頭の中で巻き戻して、ようやくピンとくる。
……俺、手がかかる子供と思われてる……?
俺、そんなに目が離せないほどドジなのかな……。
音羽に迷惑かけてるのかもしれないな。
ちょうどその時、朝のHRのチャイムが鳴った。
授業が始まると、黒板の前に立つ先生の声が遠くで響いてるだけ。
ノートを取ろうとして、消しゴムを落としかけた瞬間――
音羽の手がすっと伸びて、床に落ちる前にキャッチした。
俺と音羽の指先がほんの一瞬、触れる。
「……ありがと」
「気をつけろ」
短い返事。けれど、ほんの少しだけ口角があがったのが見えた。
そのさりげない優しさに、ドキッとしちゃう。
クラスの女子がよく言ってたことをまた思い出す。
「音羽くんって誰にでも冷たいけど、たまに見せる笑顔がやばい」って。
でもその“たまに”が、どうやら俺限定なんじゃないか?って最近思ってきたところだ。
黒板を見上げながらも、横からの視線に気づく。
そっとそちらを見ると、音羽の無表情の奥にある黒い瞳が、まっすぐ俺を見ていた。
慌ててノートに視線を戻す。
今、目が合った?
俺のこと、ほんとによく見てる、音羽。
これが女子なら期待しちゃうシチュエーションだよ。
男の俺でもドキドキしちゃうんだから。
いや、この場合、幼児を見張る大人みたいな感じなのか……?
……まぁでも、こんなことは今日に始まったわけじゃない。
割と毎日、なんなら最近は1日に何度も、俺は音羽に翻弄されている。
休み時間、教室の窓際でペットボトルの蓋を開けようとしていると、背後から低い声。
「開けられないの?」
振り向くと、俺のすぐ後ろに音羽が立っていて、すっと手を差し出す。
距離が近すぎて、一瞬固まってる間に指先が軽く触れて、ペットボトルは彼の手の中。
蓋を“キュッ”と開けて、そのまま飲める形で返してくる。
「……あ、ありがとう」
とぎこちなく言うと、音羽は何も言わずに手を引っ込めた。
息を整えて、心の中でため息をつく。
ペットボトルの蓋くらい一人で開けられるってば……。
でももう、ちょっとこのペースに慣れてきてる自分もいて、それがまたくすぐったい。
昼休み、購買でパンを買って教室に戻ると、俺の席に音羽が座っていた。
「……え?」
「ノート、借りた。ここ、字がわからなくて」
淡々と。だけど、俺のノートをめくるその指先がやたら丁寧だ。
俺はその隣、音羽の席に腰を下ろして、クリームパンをかじる。
「そゆとこ、音羽、几帳面だよな、このノートも丁寧にまとめるもんなぁ」
「お前が雑すぎるんだ」
「うるさいな……」
思わず笑って、視線がぶつかる。
その瞬間、音羽は目を細めて、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
仏頂面の中に見える、わずかな微笑。
説明するまでもなくかっこいい。
うゎ……ずる……。
そんな顔見せられたら、誰だって心臓の準備が追いつかないって。
そのあとも、なんか変に意識しながらパンをかじる。
横でページをめくる音羽の手元が妙にきれいで、つい目がいってしまう。
指が長いんだよなぁ……字もきれいだし、顔も整ってるし。
なにやってもサマになるやつって本当にいるんだなって思う。
そんなことを考えてたら、音羽が顔を上げた。
黒い瞳が一瞬こっちを見て、すぐにノートに戻る。
別に何も言われたわけじゃないのに、なぜか胸がドクッと鳴った。
(……いやいや、俺、なに意識してんの)
慌ててパンの包み紙をくしゃっと丸める。
けど、心の中のドキドキは止まらなかった。
多分“かっこいい”って思うのは、――純粋に羨ましいんだ。
俺にはない落ち着きとか、余裕とか、そういうのがある人なんだ。
昼休みが終わるチャイムが鳴る。
音羽はノートを閉じて立ち上がりながら、ぼそっと言った。
「……パン、クリームついてる」
「え?どこ!?」
慌てて頬を拭うと、音羽がふっと笑う。
ほんの一瞬、柔らかくて、滅多に見せない笑顔。
その一瞬に目が釘づけになって、息が止まる。
「取れた」
「……っ、ありがと」
音羽は何事もなかったように立ち去る。
俺はその背中を見送りながら、心の中でため息をついた。
(……やっぱりすごいな。なにしてもかっこいいんだもんな)
そして放課後、日直の仕事で黒板を消していると、背後から聞き慣れた低い声がした。
「それ、俺やる」
「いや、いいよ。自分でやるから大丈夫」
振り返ると、音羽がすぐ後ろに立っていた。
ほんと、毎度距離、近すぎる……。
気にしないように黒板を再び消し始めたとき――
「……消し残しあるし」
耳に息がかかる。
思わず身体がビクリと跳ねる。
俺の背中に、音羽の手が軽く触れた。
「わっ、な、なに……っ」
咄嗟に声を漏らす。
音羽は俺の肩に手を置き無表情のまま、淡々と黒板を拭いている。
えぇ?こんな距離感は初めてだな。
その手つきのひとつひとつが、俺はどうしてもくすぐったくて恥ずかしくなる瞬間だった。
恥ずかしさを誤魔化すために
「なあ、音羽ってさ……俺に近くない?」
「近い方が目が届く」
「いや、息かかってるし!」
「そう?」
音羽は笑わずに答える。
もうそういうところだよ、音羽〜。
まぁでも、いつも通りっちゃいつも通り。
だけど、男同士でも音羽とこんなに近いと流石に心臓がうるさくなっちゃうよ。
音羽は黒板を消し終えたあとも、音羽はそのまま立ち止まったままだった。
俺が振り返ると真剣な顔でじっと見てくる。
「……なに?」
「いや」
「“いや”ってなに」
「……他のやつと話すとき、笑いすぎ」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、動きが止まる。
けど、音羽も一瞬焦ったように視線を逸らした。
「別に。なんでもない」
「いや、今の“なんでもない”って顔じゃなかったよね!?」
「……気のせい」
素っ気ない返事のくせに音羽の耳の先が赤い。
そのことに気づいた瞬間、なぜかこっちが照れる。
(いやいやいや、なにそれ!)
気まずい沈黙。
沈黙を終了させるために、俺はわざと冗談混じりに言ってみる。
「ははっ。音羽……もしかして、嫉妬してるんですかー?」
音羽はひと呼吸置いて
「は?」
一瞬、彼の手が止まった。
けどすぐに視線を逸らして、「してない」と小さく言う。
は??
あぁ、そうか。忘れてた。
音羽は冗談通じなかったんだった。
俺、自意識過剰みたいになっちゃって恥ずかしい奴じゃん。
目を逸らした音羽の横顔を見るとその耳がわずかに赤くなっている。
もうなにそれ、なんで急に恥ずかしそうにしてるの。
やめて!こっちがはずかしくなっちゃうから!
教室の外では、部活帰りの声が聞こえる。
けれど、俺たちの間だけ、空気が止まっちゃっているみたいな。
そして音羽は突然真剣な目をして俺と向き合い、互いに見つめる合うような状態になる。
内心叫び出しそうになったがその視線に捕らわれた感覚で、声も出ず目線も外せない。
「お前ってさ」
「な、なに?」
「……気付いてるようで、全然気づかないよな」
「え?」
答えることもなく、音羽は黒板消しを置いてドアの方へ向かう。
そのまま教室を出ていった。
「気付いてないって、なにに?」
つぶやいた声が、自分でも情けなくて苦笑した。
でも、胸のあたりがやけに落ち着かない。
なんかこう、息がしづらい感じ。
最近、音羽が何を考えてるのか、全然わからない。
でも、俺のこと見てる時間が長い気がするし、他の人に見せない顔を見せてくる。
それが嬉しいような、落ち着かないような――変な気分。
(……俺だけ、特別?)
そんなこと思うのはおこがましいのかもしれないけど。
でも、“気のせい”にしてしまうには、あの視線は少しだけ優しすぎた。
夕陽が傾いて、教室の中が夕日色になってきた。
目の前の机に落書きの跡みたいな線が残ってて、
意味もなく指でなぞりながら、小さくため息をついた。
「……なんなんだよ、もう」
フゥーっとゆっくり息を吐く。
でもなんか、胸の奥がずっと静かに騒いでる。
普通に嬉しい。小さい子に対するようなソレであっても。
あの塩な音羽が俺にだけ懐いてるような、目にかけてもらってるような感じがして、
優越感のようなものなのか。
今度は、机に舞って残ったチョークの粉を指でなぞりながら、俺は深呼吸した。
“クールな音羽が、俺限定でデレてくる” とか
……そんなことある?
でも、今日のだけはちょっと思った。
今日、彼の視線も、仕草も、全部が俺に向いていた。
音羽の“俺限定デレ”と、さりげなく混ざった嫉妬を、俺はなんだか嬉しく感じてしまっていること。
俺は今、確実に、音羽楓に捕らわれかけている――。

