その笑顔、俺限定。

 
 気づけば、俺は彼の視線に縛られていた。

 クールなはずのクラスメイトが、俺にだけデレてくる。
 そんな状況、あるわけないと思っていた。


「……全部、俺のものにしたい」


 俺は今、その彼に捕まえられつつある。
 




 ◇◇

「ふぁあ〜……」
 
 朝の教室のまだ人の少ない窓際で、俺――藤谷悠(ふじたにゆう)は眠気と格闘していた。
 机に突っ伏しながらあくびを噛み殺す。

 昨夜は、寝不足だ。
『悪い、これやっといて!』と押し付けられた他人の課題プリント。俺は引き受けながら、心の中で自分の情けなさにため息をついた。

 そのノートを机に広げてシャーペンを握ったまま、……うとうと――。

「これ、落とした。」

 耳元で囁いた低く落ち着いた声にハッと顔を上げる。視線の先には、隣の席の音羽楓(おとわかえで)が、俺のシャーペンを指先でつまんでいた。

 長くて綺麗な白い指。艶がある黒髪は、さらりと肩にかかる。いつみても整いすぎてる顔に思わず見惚れてしまう。
 イケメンすぎて反応が遅れた。

「あ、ありがと。音羽」

 背も高くて、立ってるだけで絵になるようなやつ――音羽楓。

 彼は無言のままうなずいた。
 制服の第一ボタンをはずし、ネクタイを少しだけ緩めているのに、だらしなく見えない着崩し方だ。
 成績優秀で女子から人気のクールなやつ。それなのに、本人はその気ゼロって顔でいつも淡々としている。

 けれど、なぜか俺にだけよく話しかけてくる。

 ちょっとしたことで助けてくれるし、無口なのに面倒見がいい、ってギャップにやられるんだよな。

 音羽はその黒い瞳に俺を映しながらつぶやいた。
 
「お前、いつも抜けてるから」

 ねぇ、音羽、表情筋生きてる?
 相変わらず無表情で声のトーンも一定だ。
 けれど、俺の口元は勝手にゆるむ。
 
 ハイハイ、どうせドジで抜けてるやつですよ、俺は。

 自分で言うのも悲しいが、俺は至って平凡な男子だ。
 目がでかいとかよく言われるが、褒め言葉かは微妙だ。普通の高校生だと思う。
 クラスの男子から「お前が女だったらな〜」なんてからかわれるたびに、ちょっといたたまれない。

 それを知ってか知らずか、音羽はいつも何気ない顔で助け舟を出してくる。
 だから余計に、そのクールな面と優しい面とのギャップを感じてしまう。

 クラスの女子がよく言っている。
「音羽くんって顔は良いけど、クールすぎて冷たそう」って。
 確かに音羽は無口で、表情がほとんど変わらず基本は塩対応だ。
 
 けれど……俺にだけは、少し違う気がする。

 まず、俺が物落とすたびに隣の席ということもあり、いつも音羽が拾ってくれる(とても恥ずかしい)。
 それに、俺が頼む前にノートを貸してくれたり、コンビニで買ってきたお茶を「ついで」と言って渡してくれたり。
 昨日なんかは、寝ぐせを直してもらった。あれも、地味に恥ずかしかったんだけど。

 それにしても、これって普通のクラスメイトの親切かな?
 至れり尽くせりでどんどん俺はダメになりそう。

 そう、音羽は俺にとても過保護だ。
 俺は確かに抜けてるところもあって、助かっている。
 だから甘えちゃってるところもあるんだけど。
 
 俺と音羽は二年になってから初めて話した。
 最初の印象は「とんでもないイケメンで冷たい無駄口は叩かないタイプ」だった。
 少しずつ一言二言話すようになって、
 席が隣になってからはよく目が合うようになり、今のような過保護になっていった。
 音羽にとって俺は、放っておけないほど間抜けなのかもしれない。

 でも、そんなクールなイケメンにそこまで気にかけられると……
 正直、嬉しくて、つい甘えたくなるんだよね。
 
 色々頭の中で回想しつつ、拾ってもらったシャーペンを受け取りながら、
 
「ね、音羽、なんで俺にだけ優しいの?」

 冗談まじりに言ってみると、音羽の手が止まった。
 そのまま、黒い瞳がまっすぐこちらを見て、ゆっくり瞬きをした。

「……お前だから」

 それが冗談には聞こえない声と表情で心臓が大きく鳴り出した。

「なにそれ。そういうこと言うと誤解されるよ?」
「誤解、されてもいいのかもな?」
「〜〜〜〜ッ!!!」
 
 そう来る??
 そんな整った顔でそんなことを言われたら、ただの冗談だと分かっていても、顔が一気に熱くなってしまう。
 ふいっと顔をそらしながら、必死で平常心ぶる。
 
「は!? いや、意味わかんないっ」

 慌ててモゴモゴと言いながらも、顔が熱いのは自覚している。

 いや待って。
 今のは変な意味じゃない。ないはず。
 さっきのやりとりを頭の中で巻き戻し、ようやくピンとくる。
 ……俺、手がかかる子供と思われてる?
 俺、そんなに目が離せないほどドジなのかな。
 音羽に迷惑かけてるのかもしれないな。
 
 ちょうどその時、朝のHRのチャイムが鳴った。

 授業が始まると、黒板の前に立つ先生の声が遠くで響いている。
 一応ノートを取ろうとして、消しゴムを落としかけたとき――

 音羽の手がすっと伸びて、床に落ちる前にキャッチした。
 俺と音羽の指先が一瞬当たる。

「……ありがと」
「気をつけろ」

 短い返事だが、少しだけ微笑んだのが見えた。
 そのさりげない優しさに、ドキッとしちゃう。

 クラスの女子がよく言っていたことをまた思い出した。
「音羽くんって誰にでも冷たいけど、たまに見せる笑顔がやばい」って。

 でもその『たまに』が、どうやら俺限定なんじゃないか?と最近思ってきたところだ。

 黒板に視線を向けていても、すぐ隣から視線を感じる。恐る恐る横目で窺うと、音羽の黒い瞳が、やはりまっすぐ俺を捉えていた。
 慌ててノートに視線を戻す。

 ……今、目が合った?
 俺のこと、ほんとによく見てる、音羽。
 これが女子なら期待しちゃうとこだよ?
 男の俺でもドキドキしちゃうんだから。
 いや、この場合、幼児を見張る大人みたいな感じなのか?
 
 ……まぁでも、こんなことは今日に始まったわけじゃない。
 割と毎日、なんなら最近は1日に何度も、俺は音羽に翻弄されている。
 
 休み時間、教室の窓際でペットボトルの蓋を開けようとしていると、背後から声をかけられた。

「開けられないの?」

 振り向くと、俺のすぐ後ろに音羽が立っていて、すっと手を差し出す。
 思ったより近い距離に、一瞬身体が固まる。その隙に指先が軽く触れ、ペットボトルは彼の手の中へと移っていた。
 蓋をキュッと開け、そのまま飲める形で返してくる。
 
「あ、ありがとう」
 
 とぎこちなく言うと、音羽は何も言わず手を引っ込めた。
 息を整え、心の中でため息をつく。

 ペットボトルの蓋くらい一人で開けられるってば……。
 けれどもう、このペースに慣れてきている自分もいて、それがまた恥ずかしい。


 昼休みに購買でパンを買って教室に戻ると、俺の席に音羽が座っていた。

「あれ?」
「勝手にノート借りた。ここ、字がわからなくて」

 彼はいつもと変わらない声で言う。俺のノートをめくるその指先がとても丁寧だ。
 俺はその隣、音羽の席に腰を下ろし、クリームパンをかじる。

「そゆとこ、音羽、几帳面だよな、このノートも丁寧にまとめるもんなぁ」
「お前が雑すぎるんだよ」
「ひっど」

 つい笑ったら、視線がぶつかった。
 音羽は目を細めて、ほんの少し口元を緩めた。
 仏頂面の中に見えるわずかな微笑みは、説明するまでもなくかっこいい。

 うわ……かっこよ……。
 
 そんな顔見せられたら、目、逸らしちゃうって。
 そのあとも、なんだか変に意識しながらパンをかじる。
 横でページをめくる音羽の手元がきれいで、目がいってしまう。
 指が長いんだよなぁ……字もきれいだし、顔も整ってるし。
 なにやってもサマになるやつって本当にいるんだなって思う。

 そんなことを考えていたら、音羽が顔を上げた。
 黒い瞳が一瞬こっちを見て、すぐにノートに戻る。
 別に何を言われたわけではないのに、なぜかドキッと胸の中が跳ねた。

(……いやいやいや、俺、なに意識してんの)

 慌ててパンの包み紙をくしゃっと丸める。
 けれど、胸のドキドキは止まらなかった。
 
 多分『かっこいい』と思うのは――純粋に羨ましいんだ。
 俺にはない落ち着きとか、余裕だとか、そういうのがある人だし。

 昼休みが終わるチャイムが鳴り、音羽はノートを閉じて立ち上がりながら、ぼそっと言ってきた。

「……パン、クリームついてるけど」
「え? まじ? どこ!?」

 慌てて頬を拭うと、音羽がふっと笑う。
 ほんの一瞬、柔らかくて滅多に見せない笑顔だ。
 その一瞬に目が釘づけになる。

「取れたよ」
「……っ、ありがと」

 音羽は何事もなかったかのように自分の席に戻った。
 俺はその背中を見ながら、心の中でため息をつく。

(……やっぱすごい。なにしてもかっこいいんだもんな)
 
 
 そして放課後。日直の仕事で黒板を消していると、背後から聞き慣れた低い声がした。

「それ、俺やる」
「いや、いいよ。自分でやるから大丈夫」
 
 振り返れば、音羽がすぐ後ろに立っていた。
 ほんと、毎度、近すぎるな。

 気にしないように黒板を再び消し始めたとき――

「消し残しあるし」

 耳に息がかかった。
 思わず身体がビクっと跳ねる。
 しかも俺の背中に、音羽の手が軽く触った。

「わっ、な、なに……っ」
 咄嗟に声が漏れた。

 音羽は俺の背中に手を置き無表情のまま、淡々と黒板を消している。

(えぇ? こんな距離感は初めてだな)

 その手つきのひとつひとつが、俺にはどうしてもくすぐったくて恥ずかしくなる瞬間だった。
 それを誤魔化すためにも聞いてみた。
 
「音羽ってさ……なんか俺に近くない?」
「近い方が目が届くから」
「いや、息かかってんだけど?」
「そう?」

 音羽は笑わずに無表情のまま答える。
 もうほんとそういうところだよ、音羽。
 まぁでも、いつも通りっちゃいつも通りだけど。
 けれど、男同士でもこんなに近いと流石に変に気まずい。

 黒板を消し終えたあとも、音羽はそのまま立ち止まったままだった。
 俺が振り返ると真剣な顔でじっと見てくる。

「え? なに?」
「いや」
「いや、ってなに」
「……他のやつと話すとき、笑いすぎ」

「えっ?」

 思ってもみなかった言葉に、動きが止まる。
 けれど、音羽も一瞬焦ったように視線を逸らした。

「別に。なんでもない」
「いや、今のなんでもないって顔じゃなかったよね!?」
「……気のせい」
 
 素っ気ない返事のくせに音羽の耳の先が赤い気がする。
 そのことに気づいた瞬間、なぜかこっちが照れる。
(いやいやいや、なにそれ!)

 気まずい沈黙……。
 この沈黙を終了させるために、俺はわざと冗談混じりに言ってみる。

「ははっ。音羽……もしかして、嫉妬してるんですかー?」
 音羽はひと呼吸置いて
 
「は?」

 一瞬、彼の手が止まった。
 けどすぐに視線を逸らして、「してない」と小さい声で言った。

 は??
 あぁ、そうか。忘れてた。
 音羽は冗談通じなかったんだった。
 俺、自意識過剰みたいになっちゃって恥ずかしい奴じゃん。

 目を逸らした音羽の横顔を見ると、その耳だけが少し赤くなっている。
 もうなにそれ、なんで急に恥ずかしそうにしてるの。
 やめて、こっちがはずかしくなっちゃうから!

 教室の外では、部活帰りの声が聞こえる。
 けれど、俺たちの間だけ、空気が止まっちゃっているみたいな気まずさだ。

 そして、音羽は不意に真剣な眼差しで俺と向き直った。見つめ合う形になり、その強い視線に捕らえられた俺は、身動き一つできなくなる。
 
「お前ってさ」
「な、なに?」
「……気付いてるようで、全然気づかないよな」
「え?」

 答えることもなく、音羽は黒板消しを置いてドアの方へ向かう。彼はそのまま教室を出ていった。
 

「えーっと。気付いてないって、なにに?」

 つぶやいた声が、自分でも情けなくて苦笑した。
 けれど、胸のあたりがなんだか落ち着かない。
 なんかこう、息がしづらい感じ。

 最近、音羽が何を考えているのか、よくわからない。

 でも、俺のこと見ている時間が長い気もするし、他の人に見せない顔を見せてくる。
 それが嬉しいような、落ち着かないような――変な気分だ。

(もしかして……俺だけ、特別?)

 けれど、『気のせい』にしてしまうには、あの視線は少しだけ優しすぎた。

 目の前の机に落書きの跡のような線が残っていて、意味もなく指でなぞりながら、ため息をついた。

「はぁ。なんなんだよ、もう」
 
 フゥーっと、ゆっくり息を吐く。
 けれどなんだか、胸がずっと静かに騒いでいる。
 
 純粋に嬉しいのだ。手のかかる子に向けるような感情だったとしても。あの塩対応の音羽が、自分にだけは心を開いているような、特別目にかけてくれているような感覚。それは、一種の優越感に近いのかもしれない。

 今度は、机に舞って残ったチョークの粉を指でなぞりながら、俺は深呼吸した。


『クールな音羽が、俺限定でデレてくる』とか
 
 ……そんなことある?


 けれど、今日のだけはそう思った。

 彼の視線も、仕草も、全部が俺に向いていた。

 音羽の俺限定デレと、さりげなく混ざった嫉妬を、俺はなんだか嬉しく感じてしまっていること。


 俺はまだ、その答えに気づいていない。