9.冗談じゃない
「よお。」
 と剣呑な声をかけたのは、小学校時代の同級生だ。
「カイ……。」
 振り返り足を止めるが、なんとなく目を合わせられない。
 
 小野快斗。
 中受する奴は俺の小学校でほとんどいなかった。
 唯一、同じ小学校から他に藤山附属を受けたのがこいつだった。本当は俺より頭が良かった。塾にも一緒に通っていた。6年生の冬までは。

 カイは親しげに肩に腕を回す
「久しぶりー。あ、あけましてオメデトー。」
「久しぶり。おめでとう……。」
「ノリ悪くない?3年ぶりに会えたのにー。」
 語尾を伸ばす軽薄な話し方は変わらない。
 それに、3年ぶりじゃなくて2年だろうが。
 中1の時に会ってるのを忘れるわけがない。
「リツ、まだあの事怒ってんの?」
「当たり前だろ。」

 こいつは俺たちが中1の時、つまり2年前、
 当時高校生だった俺の姉に乱暴な事をした。未遂だったのだが、それで澄んだのは偶々俺がそのタイミングで帰宅したからだ。
 
 6年生までは仲のいい友人だった。
 他のクラスメイトと少し違って、背が頭ひとつ分高く、賢く、言動が大人びていた。しっかりしていたし、他の子みたいに子供っぽくなかった。その分反抗的な態度が多く、また6年生らしい真っ直ぐな正義感から、主張が強くて、先生とも衝突し、よく注意を受けていた。
 
 俺よりも、塾の成績はよかった。
 だから、そんなことやめればいいのにと思っていた。
 俺なんか助けなければいいのにと。
 せっかく、成績優秀なんだから、先生に目をつけられて通知票の評価を下げるような事をしないで、普通にしていたらいいのに。
 
 あいつはいじめを受けていた俺を助けるために、先生に逆らい続けたのだ。
「いじめを無くせないのは先生の責任です。
 新堂は悪くない。
 問題を起こしている加害者に注意して
 保護者も呼び出して、ちゃんとしてください。」
 そんな正論を日々主張し、いじめだけでなく他にも口で大人たちをやり込め、それに賛同するクラスメイトと共に、理不尽な教師に大勢で詰め寄ったりしていた。
 学級崩壊寸前まで陥ったのは、他の生徒も含め全体的な雰囲気を担任が納められなかったからだが、教師の目からは、その空気を小野が主体的に扇動しているように見えたのかもしれない。
 そう思わせるような言動を当時の担任はしていた。
 
「お前が余計な事を吹き込んで、クラスのみんなをそそのかして。」と。
 
 だから学力がいくら高くても、藤山附属に落ちてしまったのは、おそらく内申書のせいだ。
 今は地元の公立中に、他の皆と同様通っている。

 決してそんな評価を受ける謂れはなかった。けしかけたり、唆してなどいない。どちらかというと、悪い方に盛り上がった空気を収める役割だった。
 俺をターゲットにした「いじめ」の空気が増した時も、それを抑えようとしていた。
 
 そんな激しいけど根が優しいはずのこいつが、中1の時、俺の姉を襲った。
 さらにその事を、俺にも姉にも、一切謝らなかったことで、俺たちの交流は途絶えた。
 姉は、襲われかけた事を親にさえ言っていない。
 誰にも言うなと俺にも釘をさした。
 
 だから、こいつがしたことは表面上は無かったことになっている。俺を除いて。

「何であんな事したんだよ。」と、事が起こって少ししてから、俺はカイにそう聞いた。
 信じられなかったからだ。実は2人は付き合ってたのかとか、姉貴のことを本気で好きだったとか、気持ちがつい暴走して、とか。
 やってはいけない事には違いないが、何か言い分や理由があるだろうと。
 
 ――何であんな事したんだよ。
 ――うるせえな。
 
 そして、カイはこう続けた。
 
 ――お前の事、あれだけ庇ってやったのに……。
 
 と血走った目で俺を睨みつけてそう言ったのだ。

「マジで?まだ怒ってんの?」
 怒っている。
 俺のためにと学校で先生に楯突いていたお前が、受験失敗の腹いせに、俺ではなくて家族を傷つけたこと。
 良い奴だと思ってたのに。卑怯だ。
 俺まで裏切った。
 俺はよかったんだ。いじめられたって、進学先を変えれば新しい環境に行けて、それで楽しくやっていける。そんな俺を庇うことなんかなかったんだ。
 だけど、そんな風に周りに訴えてくれて庇ってくれて、本当に嬉しかった。味方でいてくれて、有り難かった。勇気が湧いた。
 なのにこいつは。
 それを俺のせいなんかにして……。
「ねーちゃんも?まだ怒ってる?」
「知らねーよ。もういい、話しかけんな。」
 そう言って、すこし早足になりカイを置いて先に歩く。こいつのペースに合わせる必要はない。
 すると、

「ああいうのと仲良くすんの、お前の悪い癖じゃねーの。」

 とカイは後ろから、俺を呼び止めるような声で言った。つい振り返ると、何かたくらんでいるように、ニイと唇を上げている。
 無性に腹が立った。

「……ああいうの?」
「あっちの駅から、実は見てたんだよねえ。
 ガラ悪そうな金髪のお兄さんと歩いてたっしょー。ピアスの。」
「あ?」
 ……杉本のことか。
「あいつは……。附属の友達だ。別にガラ悪くないし、年上でもない。」
 
「ふーん?まあいいけど。おもしれーなと思ってさ。」
 カイは俺にぐっと近づいて、顔を覗き込んできた。
「は?面白い?」
 何が?
「だってあいつ、俺そっくりじゃーん。」

 と、両人差し指で左右から自分の頬を指差す。
 
「お前さぁ、とことん真面目なくせに、結局また俺みてーなダルくて悪そうなのとツルんでんだなァと思ったら、なんかおかしくてさー。
 なんで?もしかして、またいじめられてんの?で、また守ってもらってんの?
 学校変えたのに、無駄だったねー。」
 
 何を言ってるんだこいつは。
「別に俺は今いじめられてなんか、」
「あ、まてよ、俺に似てるってことはさ、
 俺みたいにさー、そいつもその内、お前のー、」
「黙れよ。」
 
 俺は、カイの腕を強めに掴んだ。
 カイの眉がぐっと歪むほどに。
 
「侮辱すんな。あいつをお前と一緒にすんじゃねぇ。」
「え、へえー?侮辱?」
 歪んだ顔で笑うカイ。何がおかしいんだ。
 
「俺と一緒だと侮辱になるって?失礼じゃね?
 じゃそんな俺って、一体なんなわけ?」
 
 一緒にするな。
 杉本は、どんなに見た目を変えても中身は変わらない。髪を変えても耳に穴を開けても、何の努力もなしに私立中でトップの成績でいるわけじゃない。
 
 真面目で、頭の回転が良く、判断が的確で、人を巻き込む魅力がある。少しふざけたところもあるけど、人に見せないだけでちゃんと芯があって目標があって、そしていつも冷静だ。
 
 お前とは、違う。
 ……違うんだろ……?
 お前は、そんな奴じゃないんだろ?
 
「あいつはバカみたいな正義感で大事な進路をドブに捨てたりしない。」
 カイの、歪んだ眉が少しだけ辛そうに下がった。
 それを見てなぜか苛立ちが増した。
 
「……挙句に友達の姉に手を出して、
 その友情も自分で壊すような、
 お前みたいな頭の悪い、ク」
 クズとは違う、と言い差した時、

「律ちゃん!」

 唐突に横から叩くような声がして、俺は体をビクッと震わせて、言葉を止めた。

「それ以上言ったらダメだよ。」
 
 結城さん。
 真剣な表情で、
 悲しそうな目をして、怒ったような眉で。
 
 確かにここは、駅から結城さんの店までのルート上だ。だけど、こんな日に限って、こんなタイミングで。
 こんな偶然なんて要らない。
「お友達に謝りな。」
 頭がカッとした。何が分かるんだ。
「嫌です。」
「ごめんね。」
 と結城さんはカイに頭を下げる。
「何で謝るんですか。」
「なんでって。律ちゃん、クズって言おうとしたでしょ、だめだよ。謝りな。」
 はあ?なんでそうなる。
 
「え、ちょ、……てか誰すか?」
 カイが戸惑ったような、誤魔化すような変な笑みを口元に浮かべて結城さんを見ている。
「お前に関係ない。」
 誰すか、じゃない。
「は?関係ないのはソッチじゃん。」
 ソッチ、と言ってカイは結城さんを指差した。
「結城です。そこの通りの裏の古本屋の店主です。ごめんね、律を許してやって。悪気はないんだ。」
「本屋?え、てか律の……え何?親戚?」

 何?と聞かれて、俺も結城さんも止まってしまった。

「お客さん。」
「は?」
「本屋のお客さん。律は。ね?」
 と結城さんは言った。
「そう、ですね。」
 それはそうだ。けどそれだけでもないはずだ。それを、人にはうまく説明出来ないだけで。

「とにかく、律が失礼言ってごめんね。今度一緒に遊びに来てね。そこの、柴崎書店。だいたい毎日開けてるから。」
 じゃあね、と結城さんは歩いて去っていった。

 律と遊びに来てね、なんて。
 冗談じゃない。