8.分からない
流石にひと月前に出会ったばかりの大人の人を、気軽に初詣に誘う勇気はなかった。
だからというわけでもないが、俺は杉本と共に駅前近くの大きな神社に出向くことにした。
「合格お願いします!」
と杉本はガラガラと鈴を鳴らしてから、手を叩いて頭を下げた。
杉本が学力的に落ちるわけなどないが、体調を崩したり当日事故がないとは限らない。万全を尽くして、最後の最後まで調整を怠らない。そのための参拝だ。
「2人とも!」
と付け加えるので、マジでいいやつだと思った。
「2人で!」
俺もその横で声を揃える。
なんだか、絶対に受かる気がする。
月末に模試で、またいい結果を出そう。
そう思うと力が湧いた。
そして心の中で、
モモと結城さんの事をこっそり考えた。
けど、何をどうお願いしたらいいのか迷った。
長生きして?病気を治して?
それは、そうなんだけど……。
けど、残酷だけど、
それが寿命なら受け入れるしかないよ。
覚悟しないと。どこかでそう思っている自分がいる。
結城さんは、何を望んで、何を考えて
日々暮らしているんだろう。
分からないことだらけだ。
頑張って生きてきた老猫の、頑張りを見守って、笑顔で見送ってあげる事が正しいのか。
行かないで、死なないで、と泣いて、縋りついて、一日でも延命させる事が、本当にモモのためになるのか。
結城さんは……。
泣いて、縋りつきそうだなと思った。
何が正しいのかは分からない。
分からないけど、ただ一つ言えるのは、結城さんの身に起こる哀しいことが一つでも減ったらいいなと言う事だ。
モモの老衰は避けられないし、人生には色々な壁がある。逃げられない事が起きる。それらは仕方のない事だ。
けど、それによってあの儚い人が、なるべく、出来るだけ、傷つきませんようにと願った。
お参りを終えて参道を戻ると、来た時より随分人が増えているようだった。
少し冷たくなった手を擦りながら、駅の方へ歩き、途中のファーストフード店に入った。
セットメニューのドリンクにホットコーヒーを頼み、一口啜ったところで杉本が、
「好きな人でもできた?」
と言う。
「え?何で?」
「あ、聞き返すってことはそうなんだな。
いやなんか、最近浮かれてんなと思って。」
「別にいないし。浮かれてもないだろ。」
ふーん、と杉本は首を傾げた。
そう言う杉本は初詣は彼女とは行かないらしい。
「家族と過ごすんだと。」
「へー。不満?」
「べっつに。」
と、食べ終わった包み紙をクシャっと丸める。不満なんだな。
その気はないが頼みこまれて流れで、みたいな言い方をしていたのに、それはそれで不満なのか。
それが健全だ。好きでもないのに付き合ってるのかと思って少しだけ心配したが、その必要はなかったようだ。
新年2日目、天気がいい。
風は少し冷たいが、そこまでの厚着は必要なかった。
今年もいい年に、なるといい。
絶対にそうならなければ。
杉本は湯浅学院に、俺は野山高校に。
春からは学校が別になるのは少し寂しいが、多分塾はこのまま高等部に進んで、通い続けるだろうから、今まで通り週に何回か会って、そんな関係がきっと続いていくだろう。
「どっか寄る?」
とこっちを振り返る杉本の耳元で、ピアスがシャラ、と音をたてた。
「あ、じゃあ本屋行っていい?」
「おー。いいよ。」
今日の杉本のピアスは、尖っている。
太い針というか、長細くしたクナイというか。
動くたびに、金属の擦れる音がする。
人差し指にはごつい指輪。
服装やアクセサリーが、センスが良くて洒落ている。だけでなく、全体的に杉本の雰囲気によく馴染んで、似合っている。
俺には真似できないことだから、純粋にいいなと思うし、自由に「杉本らしさ」を出せているのが羨ましくもあった。
杉本の髪の色は、
冬休みに入って前よりももっと明るくなった。
「三学期になる前に、また戻す」
と言っている。
そんなに染めたり戻したりして、髪が傷まないんだろうか。どうして、そこまでするんだろう。
受験生なのに、と説教するつもりはまるきりない。
俺よりも成績が上の奴に、何も言うことはない。
そう、成績は落ちていない。
素行が悪いわけではない。教師に反抗もしていない。
外見だけがどんどん派手になっていく。
それが気になるのだ。
何かあった?
と聞いたらいいんだろうか。
けど、好きな人できた?とさっき聞いてくれたようには、気軽にはどうしても聞けなかった。
彼女が出来て、ただ急速におしゃれに目覚めただけかもしれない。けどオシャレになった理由を聞くのは「色気付いたのか」と茶化しているようなものだ。聞かれていい気はしないだろう。
それに、見た目だけがどんどん先にいく杉本だけど、中身は変わっていないのだし、染髪やピアスを別に咎めたいわけでもなかったからだ。
本当に何かあったのだとしても、それを言いたくないのだろう。
弱味を見せたくない。
髪色もピアスも、その現れのような気がして、俺はその杉本の様子をただ受け入れて側にいるしか出来なかった。
*
塾の帰りに参考書を買うのによく寄った、大きい本屋。
この本屋で参考書を買い忘れたおかげで、結城さんと出会えたのだ。
この時期に新しい参考書は買わないが、今日は合格した後に読むような何かを、少し探したかった。今すぐ読むわけではなくて、合格後のお楽しみの本。
「漫画読んでくる」
と杉本が言うので、後で落ち合うことにした。
何を読もうかな。
今じゃないけど。
小説?何がいいのかよく分からない。読みやすいやつがいい。分厚いやつはそれだけで手が遠のく。
『 エッセイ 』
と書かれた札が目に入る。
結城さんには2冊ほど猫の本を借りた。
写真が多くて文字が少なく、一気に読めるのですぐ返してしまったが。
いろいろと目で辿ったが、あまり読む気分にならない。
読んでも別にいいのだが、「受験が終わったらこれを読もう」と心の励みになるようなものは見つけられなかった。
「俺も買わなかった。」
としばらくして落ち合った杉本も言う。
駅のホームは空いていた。
参道の雑踏やファーストフード店の騒がしさは完全に遠のいて、静かなお正月の気配がした。
帰りの電車は反対方向なので、階段で杉本と手を振って別れる。
冬休みはずっと冬季講習があるから、また数日後に会う。次に会うときはどんな形のピアスをつけてくるのだろう。
俺は、電車の規則的な揺れ感じながら、本を買うのって案外難しいんだなと思った。
どの本を読めばいいか、どの本を選べば、自分の心がワクワクするのか、読むのが楽しみになるのか。そんな事さえ分からなかった。
読んだ経験もほとんどないから作家の名前も知らない。ジャンルも種類も量も多すぎて決められない。買って面白くなかったらどうせ読まないだろうし、読まないから買うだけ無駄だ。
難しいな。
参考書選びと似ている。
偶々塾に通って、偶々その先生から、計算対策はこれ、この対策はこれ、と推薦されているからそれを迷わず買えるけれど、そうでなかったらあの大量の参考書から、どれか一つ今の自分に必要なものを選べと言われても、普通は出来ないだろう。
読書もそうかもしれない。
だったら。と、思いつく。
結城さんに聞けばいいのだ。
と、足取り軽く地元の駅で降りたちょうどその時、後ろから声をかけられた。
「リーツー。」
地元の中学に行った、同級生だった。
流石にひと月前に出会ったばかりの大人の人を、気軽に初詣に誘う勇気はなかった。
だからというわけでもないが、俺は杉本と共に駅前近くの大きな神社に出向くことにした。
「合格お願いします!」
と杉本はガラガラと鈴を鳴らしてから、手を叩いて頭を下げた。
杉本が学力的に落ちるわけなどないが、体調を崩したり当日事故がないとは限らない。万全を尽くして、最後の最後まで調整を怠らない。そのための参拝だ。
「2人とも!」
と付け加えるので、マジでいいやつだと思った。
「2人で!」
俺もその横で声を揃える。
なんだか、絶対に受かる気がする。
月末に模試で、またいい結果を出そう。
そう思うと力が湧いた。
そして心の中で、
モモと結城さんの事をこっそり考えた。
けど、何をどうお願いしたらいいのか迷った。
長生きして?病気を治して?
それは、そうなんだけど……。
けど、残酷だけど、
それが寿命なら受け入れるしかないよ。
覚悟しないと。どこかでそう思っている自分がいる。
結城さんは、何を望んで、何を考えて
日々暮らしているんだろう。
分からないことだらけだ。
頑張って生きてきた老猫の、頑張りを見守って、笑顔で見送ってあげる事が正しいのか。
行かないで、死なないで、と泣いて、縋りついて、一日でも延命させる事が、本当にモモのためになるのか。
結城さんは……。
泣いて、縋りつきそうだなと思った。
何が正しいのかは分からない。
分からないけど、ただ一つ言えるのは、結城さんの身に起こる哀しいことが一つでも減ったらいいなと言う事だ。
モモの老衰は避けられないし、人生には色々な壁がある。逃げられない事が起きる。それらは仕方のない事だ。
けど、それによってあの儚い人が、なるべく、出来るだけ、傷つきませんようにと願った。
お参りを終えて参道を戻ると、来た時より随分人が増えているようだった。
少し冷たくなった手を擦りながら、駅の方へ歩き、途中のファーストフード店に入った。
セットメニューのドリンクにホットコーヒーを頼み、一口啜ったところで杉本が、
「好きな人でもできた?」
と言う。
「え?何で?」
「あ、聞き返すってことはそうなんだな。
いやなんか、最近浮かれてんなと思って。」
「別にいないし。浮かれてもないだろ。」
ふーん、と杉本は首を傾げた。
そう言う杉本は初詣は彼女とは行かないらしい。
「家族と過ごすんだと。」
「へー。不満?」
「べっつに。」
と、食べ終わった包み紙をクシャっと丸める。不満なんだな。
その気はないが頼みこまれて流れで、みたいな言い方をしていたのに、それはそれで不満なのか。
それが健全だ。好きでもないのに付き合ってるのかと思って少しだけ心配したが、その必要はなかったようだ。
新年2日目、天気がいい。
風は少し冷たいが、そこまでの厚着は必要なかった。
今年もいい年に、なるといい。
絶対にそうならなければ。
杉本は湯浅学院に、俺は野山高校に。
春からは学校が別になるのは少し寂しいが、多分塾はこのまま高等部に進んで、通い続けるだろうから、今まで通り週に何回か会って、そんな関係がきっと続いていくだろう。
「どっか寄る?」
とこっちを振り返る杉本の耳元で、ピアスがシャラ、と音をたてた。
「あ、じゃあ本屋行っていい?」
「おー。いいよ。」
今日の杉本のピアスは、尖っている。
太い針というか、長細くしたクナイというか。
動くたびに、金属の擦れる音がする。
人差し指にはごつい指輪。
服装やアクセサリーが、センスが良くて洒落ている。だけでなく、全体的に杉本の雰囲気によく馴染んで、似合っている。
俺には真似できないことだから、純粋にいいなと思うし、自由に「杉本らしさ」を出せているのが羨ましくもあった。
杉本の髪の色は、
冬休みに入って前よりももっと明るくなった。
「三学期になる前に、また戻す」
と言っている。
そんなに染めたり戻したりして、髪が傷まないんだろうか。どうして、そこまでするんだろう。
受験生なのに、と説教するつもりはまるきりない。
俺よりも成績が上の奴に、何も言うことはない。
そう、成績は落ちていない。
素行が悪いわけではない。教師に反抗もしていない。
外見だけがどんどん派手になっていく。
それが気になるのだ。
何かあった?
と聞いたらいいんだろうか。
けど、好きな人できた?とさっき聞いてくれたようには、気軽にはどうしても聞けなかった。
彼女が出来て、ただ急速におしゃれに目覚めただけかもしれない。けどオシャレになった理由を聞くのは「色気付いたのか」と茶化しているようなものだ。聞かれていい気はしないだろう。
それに、見た目だけがどんどん先にいく杉本だけど、中身は変わっていないのだし、染髪やピアスを別に咎めたいわけでもなかったからだ。
本当に何かあったのだとしても、それを言いたくないのだろう。
弱味を見せたくない。
髪色もピアスも、その現れのような気がして、俺はその杉本の様子をただ受け入れて側にいるしか出来なかった。
*
塾の帰りに参考書を買うのによく寄った、大きい本屋。
この本屋で参考書を買い忘れたおかげで、結城さんと出会えたのだ。
この時期に新しい参考書は買わないが、今日は合格した後に読むような何かを、少し探したかった。今すぐ読むわけではなくて、合格後のお楽しみの本。
「漫画読んでくる」
と杉本が言うので、後で落ち合うことにした。
何を読もうかな。
今じゃないけど。
小説?何がいいのかよく分からない。読みやすいやつがいい。分厚いやつはそれだけで手が遠のく。
『 エッセイ 』
と書かれた札が目に入る。
結城さんには2冊ほど猫の本を借りた。
写真が多くて文字が少なく、一気に読めるのですぐ返してしまったが。
いろいろと目で辿ったが、あまり読む気分にならない。
読んでも別にいいのだが、「受験が終わったらこれを読もう」と心の励みになるようなものは見つけられなかった。
「俺も買わなかった。」
としばらくして落ち合った杉本も言う。
駅のホームは空いていた。
参道の雑踏やファーストフード店の騒がしさは完全に遠のいて、静かなお正月の気配がした。
帰りの電車は反対方向なので、階段で杉本と手を振って別れる。
冬休みはずっと冬季講習があるから、また数日後に会う。次に会うときはどんな形のピアスをつけてくるのだろう。
俺は、電車の規則的な揺れ感じながら、本を買うのって案外難しいんだなと思った。
どの本を読めばいいか、どの本を選べば、自分の心がワクワクするのか、読むのが楽しみになるのか。そんな事さえ分からなかった。
読んだ経験もほとんどないから作家の名前も知らない。ジャンルも種類も量も多すぎて決められない。買って面白くなかったらどうせ読まないだろうし、読まないから買うだけ無駄だ。
難しいな。
参考書選びと似ている。
偶々塾に通って、偶々その先生から、計算対策はこれ、この対策はこれ、と推薦されているからそれを迷わず買えるけれど、そうでなかったらあの大量の参考書から、どれか一つ今の自分に必要なものを選べと言われても、普通は出来ないだろう。
読書もそうかもしれない。
だったら。と、思いつく。
結城さんに聞けばいいのだ。
と、足取り軽く地元の駅で降りたちょうどその時、後ろから声をかけられた。
「リーツー。」
地元の中学に行った、同級生だった。
