18.答えよりも大事なこと
モモはきっと君のこと大好きだったに違いないとは結城さんは言わなかった。
「モモが何を考えていたか、何を望んでいたか、本当のところは誰にも分からない。」
涙は収まっても、体が強張り、指が細かい震えが止まらなかった。
「外に出たかったのか、家に居て満足だったのか。
そんなの、猫になって猫語でも話すんじゃなきゃ分からない。けど例えそれが出来たって、もうモモは居ないのだし。」
線香が下の方まで燃え尽きて、白い灰がもろく崩れた。
「案外、モモ自身はそこまで考えてないかもしれない。
僕たちはどうしても、その死に意味をつけたがるけどね。だってそうしなきゃ、受け入れられない事ってあるし。」
死に、意味をつける。受け入れるために。
「でも結局、答えは出なかった。本当はもっとこうしたかったんじゃないか、これは嫌だったんじゃないか。
もっと生きたかったのか?どうなのか。」
訥々と語るその姿は冷静と言えるのか、現実と距離を取っているのか、どちらなのだろうと思った。
「だんだん分かったんだ。答えが出ない事、それが答えだってね。」
結城さんの手のひらが俺の背中に触れる。
冷静な語り口と違って、そのじんわりとした温度に、力の入った体が少しずつ緩んでいく。
「答えは出ない。出さなくていい。
モモが律ちゃんを好きだったか?
……好きでいてくれてたらいいよね。」
結城さんはハンカチを渡してくれた。
そして俺にゆっくり笑いかけた。
「けど断言出来ない。あ、好きじゃなかったかもしれないって事を言いたいわけじゃないんだよ。
つまり……、
モモの気持ちを僕等は勝手には決められないんだ。」
「僕を、好きだったか?僕に世話されて満足してたか、幸せな人生だったか?それとも未練が多く残った?苦しかったか。後悔ばかりで世を呪いながら死んだか。
そんな事はない、幸せだったよって言ってくれたら、そしたら少しは気が楽になるけど、絶対に、それは分からないんだ。誰にも。分かりたくても。」
「モモが幸せだったか、知りたいと思うのはいけない事ですか。」
「いけなくはない。ただそれよりも、僕がモモを愛してるって事の方がもっと大事だと思うだけ。
モモがくれた時間が、僕には、
とても……幸せだった。
それだけが、」
そこで結城さんは、初めて大きな涙を一粒落とした。
「それだけが、僕に言えるたった一つの確かな事。」
モモがいてくれて、幸せだった。
その事だけが、誰にも否定できない唯一の真実。
そう言って結城さんは静かな涙を流した。
俺はさっき手渡された結城さんのハンカチを、また返した。結城さんはそれで瞳を拭った。
俺は結城さんが、モモの遺影に縋って泣くのかと思っていた。そうならなければいいなと思っていた。そうなったら、自分が支えてあげなければと。
そうじゃなかった。
結城さんはまっすぐにモモの写真に向かい、迷いのない強い視線で、モモの死に向き合っていた。
耐え難い喪失に面してもなお、輪郭を保ったままの高潔な佇まいで、俺の横に居てくれた。
「俺はモモが大好きでした。」
そう言うと結城さんは笑った。
「そうだね。僕も同じだ。」
写真の中のモモは、横を向いている。目線の先に何があるのか分からないけど、こうして泣いている俺たちの事など意に介さず「なんか人間が泣いてる」と言っているように見えるその飄々とした横顔に、少しだけ助けられた。
下に降りて、結城さんはコーヒーを淹れてくれた。
「美味しいです。」
「そう?ありがとう。そう言ってくれるのは律ちゃんだけだよ。」
インスタントなんだから誰が作っても同じだよ、みたいな事を結城さんは言わないで、ただ気持ちを受け止めてくれる。そういうところも好きだ。
「制服姿も今日で見納めかな。」
結城さんが言う。俺はポケットに両手を突っ込んだ。
「入学した時はブカブカだったんですよ。」
「そっかあ。今は丁度だね。」
ね、と結城さんは俺ざ座るソファのそばに来て、
「立ってみて。」
と肘をつかんだ。
「なんですか。」
立ち上がる。目線が結城さんと近づく。
「やっぱり!律ちゃん背伸びた?」
そう言われれば、出会った頃には同じくらいだった。今では少しだけ、ほんのわずかだけ、目線を下ろして結城さんを見ている。
「そうかも。」
「いいなあ。成長期だねえ。
これからもどんどん伸びるよきっと。」
そう言って結城さんは眩しそうに目を細めた。
「高校の制服は、やっぱり一回り大きいの注文しないとね。」
「まだ伸びますかね。」
「ここからでしょ、男子は。まだまだ伸びるよ。
ブカブカで買っても、すぐ大きくなるんだよね。
子供の成長って本当に早い。」
「でもせっかく買ってもらっても、すぐデカくなってすぐ買い替えないといけないのが、なんか勿体無いっすね。」
「何言ってんの!」
結城さんは笑って、だけど少し眉が辛そうだった。
「大きくなるのが子供の仕事でしょ!
制服のサイズアウトくらい、喜ばなきゃ!」
それは一般論というには必死な声色で、どこか実感の伴う確信めいた真実味を帯びていた。
結城さんは……。
聞けなかった。
開けた口で、代わりにコーヒーを一口飲んだ。
モモはきっと君のこと大好きだったに違いないとは結城さんは言わなかった。
「モモが何を考えていたか、何を望んでいたか、本当のところは誰にも分からない。」
涙は収まっても、体が強張り、指が細かい震えが止まらなかった。
「外に出たかったのか、家に居て満足だったのか。
そんなの、猫になって猫語でも話すんじゃなきゃ分からない。けど例えそれが出来たって、もうモモは居ないのだし。」
線香が下の方まで燃え尽きて、白い灰がもろく崩れた。
「案外、モモ自身はそこまで考えてないかもしれない。
僕たちはどうしても、その死に意味をつけたがるけどね。だってそうしなきゃ、受け入れられない事ってあるし。」
死に、意味をつける。受け入れるために。
「でも結局、答えは出なかった。本当はもっとこうしたかったんじゃないか、これは嫌だったんじゃないか。
もっと生きたかったのか?どうなのか。」
訥々と語るその姿は冷静と言えるのか、現実と距離を取っているのか、どちらなのだろうと思った。
「だんだん分かったんだ。答えが出ない事、それが答えだってね。」
結城さんの手のひらが俺の背中に触れる。
冷静な語り口と違って、そのじんわりとした温度に、力の入った体が少しずつ緩んでいく。
「答えは出ない。出さなくていい。
モモが律ちゃんを好きだったか?
……好きでいてくれてたらいいよね。」
結城さんはハンカチを渡してくれた。
そして俺にゆっくり笑いかけた。
「けど断言出来ない。あ、好きじゃなかったかもしれないって事を言いたいわけじゃないんだよ。
つまり……、
モモの気持ちを僕等は勝手には決められないんだ。」
「僕を、好きだったか?僕に世話されて満足してたか、幸せな人生だったか?それとも未練が多く残った?苦しかったか。後悔ばかりで世を呪いながら死んだか。
そんな事はない、幸せだったよって言ってくれたら、そしたら少しは気が楽になるけど、絶対に、それは分からないんだ。誰にも。分かりたくても。」
「モモが幸せだったか、知りたいと思うのはいけない事ですか。」
「いけなくはない。ただそれよりも、僕がモモを愛してるって事の方がもっと大事だと思うだけ。
モモがくれた時間が、僕には、
とても……幸せだった。
それだけが、」
そこで結城さんは、初めて大きな涙を一粒落とした。
「それだけが、僕に言えるたった一つの確かな事。」
モモがいてくれて、幸せだった。
その事だけが、誰にも否定できない唯一の真実。
そう言って結城さんは静かな涙を流した。
俺はさっき手渡された結城さんのハンカチを、また返した。結城さんはそれで瞳を拭った。
俺は結城さんが、モモの遺影に縋って泣くのかと思っていた。そうならなければいいなと思っていた。そうなったら、自分が支えてあげなければと。
そうじゃなかった。
結城さんはまっすぐにモモの写真に向かい、迷いのない強い視線で、モモの死に向き合っていた。
耐え難い喪失に面してもなお、輪郭を保ったままの高潔な佇まいで、俺の横に居てくれた。
「俺はモモが大好きでした。」
そう言うと結城さんは笑った。
「そうだね。僕も同じだ。」
写真の中のモモは、横を向いている。目線の先に何があるのか分からないけど、こうして泣いている俺たちの事など意に介さず「なんか人間が泣いてる」と言っているように見えるその飄々とした横顔に、少しだけ助けられた。
下に降りて、結城さんはコーヒーを淹れてくれた。
「美味しいです。」
「そう?ありがとう。そう言ってくれるのは律ちゃんだけだよ。」
インスタントなんだから誰が作っても同じだよ、みたいな事を結城さんは言わないで、ただ気持ちを受け止めてくれる。そういうところも好きだ。
「制服姿も今日で見納めかな。」
結城さんが言う。俺はポケットに両手を突っ込んだ。
「入学した時はブカブカだったんですよ。」
「そっかあ。今は丁度だね。」
ね、と結城さんは俺ざ座るソファのそばに来て、
「立ってみて。」
と肘をつかんだ。
「なんですか。」
立ち上がる。目線が結城さんと近づく。
「やっぱり!律ちゃん背伸びた?」
そう言われれば、出会った頃には同じくらいだった。今では少しだけ、ほんのわずかだけ、目線を下ろして結城さんを見ている。
「そうかも。」
「いいなあ。成長期だねえ。
これからもどんどん伸びるよきっと。」
そう言って結城さんは眩しそうに目を細めた。
「高校の制服は、やっぱり一回り大きいの注文しないとね。」
「まだ伸びますかね。」
「ここからでしょ、男子は。まだまだ伸びるよ。
ブカブカで買っても、すぐ大きくなるんだよね。
子供の成長って本当に早い。」
「でもせっかく買ってもらっても、すぐデカくなってすぐ買い替えないといけないのが、なんか勿体無いっすね。」
「何言ってんの!」
結城さんは笑って、だけど少し眉が辛そうだった。
「大きくなるのが子供の仕事でしょ!
制服のサイズアウトくらい、喜ばなきゃ!」
それは一般論というには必死な声色で、どこか実感の伴う確信めいた真実味を帯びていた。
結城さんは……。
聞けなかった。
開けた口で、代わりにコーヒーを一口飲んだ。
