冬の午後、部屋の中を照らす光は短く淡い。
 ミコトは窓辺で丸くなりながら、細い尻尾をゆらりと揺らしていた。

 白い毛並みは、美しい。
 だがその輪郭は、以前よりも少しだけ――透けていた。

 悠真は指先で撫でながら、息を飲む。

(また……薄くなってる)

 触れた柔らかさの奥に、不安がかすかに滲む。

 そんなとき、玄関のベルが鳴った。

「……誰だ?」

 編集の綾女かと思ったが、ドアを開けると――
 そこに立っていたのは由梨の親友、美雪だった。

「急にごめんなさい。……どうしても話したいことがあって」

 冬の冷気をまといながら、美雪は不安げに微笑んだ。

***

◆由梨が残した“言えなかった想い”

 温かい紅茶を前に、美雪は両手を組むように抱え、静かに言った。

「由梨ちゃんの……最後のこと」

 悠真は息を呑んだ。
 その名を聞くだけで胸が痛む。

「私ね……ずっとあなたに言おうか迷ってたの。
 でも、今日来て……わかったの。“今”じゃなきゃいけないんだって」

 ミコトがゆっくりと顔を上げる。
 青い瞳が、どこか震えていた。

「由梨ちゃんは……あの日、あなたに会いに行く途中だったの」

 その一言に、悠真の心臓が強く打った。

「……俺に?」

「うん。“話したいことがある”って私に連絡してきて……
 でも、それを言う前に……事故に巻き込まれた」

 静かな、深い沈黙が落ちた。
 悠真は拳を握りしめ、声を震わせる。

「話したいことって……なんなんだよ……」

 美雪は、そっと視線を落とした。

「“これからも一緒にいたい”って。
 あなたにちゃんと伝えたいって、そう言ってた」

 胸の奥の古傷が、また開くように痛んだ。

「でも……彼女ね、怖がってたの。
 あなたが自分を責めてしまうんじゃないかって」

 ――責めた。
 何度も、何度も。

 ミコトの瞳が、悲しそうに揺れている。

「由梨ちゃん、最後に私に言ったの」

 美雪は微笑みながら涙をこぼした。

「“悠真には幸せになってほしい。私のせいで止まらないでほしい” って」

 その言葉は凍った胸に落ち、静かに溶けていくようだった。

 その瞬間――

 チリン……

 鈴の音が響いた。

「え……? 鈴?」

 美雪が辺りを見回す。
 だが鳴ったのは、ミコトだった。

 白い体から淡い光が滲む。

***

◆触れた“もうひとつの声”

 ミコトは立ち上がった。

(――まだ伝えてないことがある)

 胸の奥で、誰かの声がかすかに響く。

(聞こえる? ミコト……)

 女性の声。
 温かく、遠くて、懐かしい。

(私は、ずっとあなたの中にいたの)

 暗闇の奥に、一人の女性の影が揺らいだ。

(あなたは“願い”から生まれた存在だから)

 ミコトの心臓が強く跳ねる。

(私は――由梨)

 光が胸いっぱいに広がった。

***

◆祈りが生んだ存在

 ミコトはゆっくり悠真を見る。

「悠真……」

 その声は震えていたが、確かな響きを持っていた。

「私……思い出したの。
 私の中には……由梨の魂の欠片が宿ってる」

 悠真の目が大きく見開かれた。

「由梨……の……?」

 ミコトの白い輪郭の内側に、淡い人影が流れる。

「事故の瞬間、由梨は……強く願ったの。

 “悠真が生きていてくれますように”
 “どうか……私のせいで止まらないで” って」

 美雪が口元を押さえ、涙を落とした。

「その祈りが……魂のかけらになって。

 私という“猫神ミコト”に宿ったの」

 悠真は震える声で問う。

「……じゃあ、君は……由梨なのか?」

 ミコトはそっと首を振った。

「私は“全部が由梨”じゃない。
 でも“由梨の願い”で生まれた命。
 その想いを継いで、あなたに寄り添うために来たの」

 鈴の音が優しく鳴った。

 チリン……

***

◆消え始めた時間

 ミコトはそっと悠真の手に額を寄せた。

「ねえ、悠真。
 あなたは生きていい。
 由梨が叶えたかった未来へ……ちゃんと歩いていって」

 その身体が――また、薄くなる。

「ミコト! 待ってくれ……!」

「大丈夫。まだ終わらないよ。
 だってこれは……“あなたを救う物語”だから」

 光がふわりと揺れ、部屋に淡い温度を残した。

 美雪は涙を拭きながら言った。

「悠真さん……由梨ちゃんは、あなたを愛してたよ。
 今も――きっと」

 ミコトは微笑んだ。

「次へ進んで。
 あなたの言葉が……今度こそ誰かを救えるように」

 その声は、確かに由梨の響きを宿していた。