愛してるから『弟』でいます。

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 課題を片付け(出任せじゃなく本当に残っていた)、昼食は先輩が作ってくれた山菜蕎麦を食べた。
 食後、ふと母さんに『適度に報告を』と言われていたのを思い出し、『現状問題なし』というメールを送って、さて午後はどうしようかと考えていると。
「蒼羽くん、この後予定ある? ないなら一緒に買い物行かない? っていっても、スーパーのことだけど」
 向かい合ってお茶を飲んでいた先輩に、そう誘われる。
「冷蔵庫見たでしょ? 買い置き、あんまりないんだよ。蒼羽くんの好みがわからないから、君が来てから行こうと思ってて」
(ああ……たしかに、あの量じゃ今日の晩飯も心許ないな)
「了解です、行きましょう」
 そうして向かった徒歩7分ほどの距離にあるスーパーは、3階建ての大規模店だった。売り場も広い。
 でも先輩は棚の並びを完ぺきに把握していて、すいすいと歩いていく。愛用の店のようだ。
(先輩が持つと、スーパーのカゴすらなんか高級品のように見えるな……)
 普段着(今日は白カットソーにグレーのバンドカラーシャツ、黒のテーパードパンツ)でカゴを提げた先輩は、制服姿の時よりほっこりした印象だけれど、その美しさは変わらない。このスーパーでも目立つ存在なのだろう、
「あらっ、今日はお友達連れなの? 珍しいわねぇ」
「榛名くん、今日はこの人参がおススメよ! この産地のは甘くておいしいの!」
「お兄ちゃん、じゃがいもの詰め放題やってるよ! 買ってってよ、お兄ちゃんにならおまけしちゃう!」
 と、声をかけてくる女性店員の多いこと多いこと。
「ありがとうございます、見てみますね」
 先輩はそのつど、笑顔で応えていた。俺を友達だと勘違いしていた女性には、「どうも」と返しただけだったけれど。
(ま、スーパーの店員にささっと説明できる関係じゃないよな)
「蒼羽くん、何買う? というか、何が好き?」
「あ……えーと……別に、これといって好きなもんも嫌いなもんもないんですよね」
「そうなんだ、苦手なものがないなんてすごいね。僕はセロリがダメ。……じゃあ、よく買うとかよく作るものは?」
「日持ちする野菜と、その時安い肉ですね。メニューはいつも適当です。うちの親、急に予定が変わることも多くて。夜は家で食うって言ってたのに、会食が入ったとか。だからそういう時困らないように、日持ち重視」
「わかる。父さんも一緒だよ。それにこっちも、作るつもりでいたけど学校で思った以上に疲れちゃって、やっぱり今日は無理!ってなる日もあるよね」
「ありますあります。今日はやめ! 白菜消費は明日でいい! みたいな」
「うんうん。僕は結構、冷凍野菜とかにも頼っちゃう」
「あー。朝、『冷凍洋風野菜ミックス』とトマト缶見つけた時に、そうなのかなって思ってました。冷凍野菜、便利ですよね。普通にうまいし」
「そう、そうなんだよ! 最近の冷凍野菜ってすごいよね!」
 嬉しそうに言った後で、先輩は口元を押さえてぷっと噴き出した。
「……なんすか?」
「ごめん。なんか僕たち、面白いくらい似てたから笑えちゃった」
(たしかに……)
 俺も、こんな話で先輩と盛り上がってるなんて嘘みたいだけれど、めちゃくちゃ共感してしまった。
「忙しい親を持った子供ならではの、あるあるってやつですかね」
「かもね。じゃあさ、さっきおススメされた人参とじゃがいもはマストだね。買っていこっか」
「はい、買いましょう」
 そんな感じで順調に買い物を進めていると──
「ぐすっ……ぐすっ……」
(ん?)
 進行方向から小さな泣き声が聞こえてきた。見れば、幼稚園児くらいの男の子が一人で突っ立ち、涙でぬれた顔をこすっている。
(迷子か?)
「おい、どうした?」
「ボク、どうしたの?」
 俺と先輩の声がきれいにハモッて、思わず顔を見合わせた。
 先輩が「行こう」と言って、二人で足早に子供へ歩み寄る。
「どうしたの? おうちの人とはぐれちゃった?」
 子供の前でかがみ、目線を合わせて優しく問いかける先輩。
「ママ……ママー!」
 やっぱり迷子のようだ。俺も先輩の隣でかがみ、子供の肩に手を置いた。
「ママ、どんな人なんだ? 一緒に探してやるから」
「うっ……うわーん! ママー!」
 ますます泣き出してしまった。もしかして俺が触ったりしたから、怖がらせてしまったのだろうか。それか、俺の顔が怖かった?
「お、おい、泣くなよ……」
「大丈夫だよ。ねえ、ママは何色の服を着てた? 服の色、覚えてるかな?」
 先輩が落ち着いた、穏やかな声でゆっくりと問う。子供はようやく俺たちの声が耳に入ったような反応をして、ぐずりながらも「ふくのいろ……?」と聞き返した。
「そう、お洋服の色」
「……きいろ」
「わぁ、えらい。覚えてるんだね。上のお洋服が、黄色かな。それと……スカートかな、ズボンかな?」
「えと……スカート……」
「スカートなんだね、素敵だね! 色は、何色だったかな?」
「んと……んと、ちゃいろ……!」
(そっか……パニクッてる小さい子に『どんな』なんてあいまいな聞き方しても、わかんないよな)
 先輩みたいに答えやすい、具体的な聞き方をしてやらないと。優しく、怖がらせないように。
 さすが先輩だ。答えられたら明るく褒めて、まるで言葉遊びのように会話しながら、母親の外見をするすると聞き出した。いつの間にか子供の涙もすっかり止まっている。
「黄色のトップスに茶色のスカート、黒のバッグ、ストレートのロングヘア……探せそうですね」
「うん、探そう」
「よし、ママを探しに行くぞ。……だっこするか?」
 俺のことはビビっているんじゃないかと恐る恐る聞いたが、泣きやんだ子供は「うん!」と首を振る。
 別フロアにいたらちょっと大変だと内心心配していたが、その後、母親は無事に同フロアで見つかった。母親は安堵で泣きそうになっていて、でも声をかけてきたのが先輩のような絶世の美貌の持ち主だったから、ほっとしたり、礼を言ったり、赤くなってそわそわしたりで忙しそうだった。
 最後には息子共々キラキラした目で、「ありがとうございました!」と言って去っていった。子供なんてむしろ、いつまでも手を振って、離れるのを名残惜しそうにしてたくらいだ。
「……先輩すごいですね。あの子、あんなに泣いてたのに」
 二人が見えなくなってから、俺も尊敬の目で先輩を見る。
「え? 別にすごくなんかないよ。蒼羽くんだって、あの子のことほっとけなかったんでしょ。声ハモッて、ちょっとおかしかったよ」
「そうですけど……俺、なんもできなかったし。先輩、小さい子の親戚とかいるんですか? 扱いめっちゃ慣れてましたよね」
「ううん、いない。慣れてなんかないよ。ただ、どういうふうに接したらあの子が安心できるかなって考えただけ」
「……! そうなんすか……」
(じゃあ……やっぱ、先輩はすごいよ)
 ただ、相手のことを考えて。全部、優しさからの行動っていうことだ。その優しさで、女性だけでなく、あの小さな男の子までトリコにしてしまった。
(ほんとにすごい。先輩は見た目がきれいなだけじゃない。心もきれいだから……こんなに、人を惹きつける。だからみんなの人気者なんだ)
 とても優しい人なのは、あの夏にもう知っていたけれど。改めて、それを実感する。
「さてと、買い物再開しようか」
「……あ、はい。そうですね」
「えっと、後は──ああ、はちみつ買いたいんだった」
「はちみつ?」
「うん。僕、はちみつ入れたホットミルクが好きなんだよね。だから常備品なんだけど、切れそうで」
(はちみつ入れたホットミルク……なんだそれ、かわ──)
 また不埒なことを考えそうになって、脳内で自分をゲシッとどつく。
「りょ、了解です。行きましょうか」
(消えろ、妄想!)
 パジャマ姿で、ホットミルクのマグカップを両手で持ってふーふーしている先輩の図──を必死で蹴散らしつつ、ずんずんと歩き出した。


「あ、俺持ちます」
 袋詰めを終えると、俺は先輩が持とうとしていた荷物をするりと奪った。
 気の利かなさが情けないが、買い物中はずっと先輩にかごを持たせてしまっていた。せめて帰り道は俺が持たなくては。
「え、いいよ。あの子抱っこしてて、蒼羽くん、腕疲れてない?」
「全然平気っすよ。あの子軽かったから。先輩こそ重かったでしょ」
 なんせ詰め放題のじゃがいもやカボチャが入っている。ずっしりとした重さだ。
「そう? じゃあ……ありがと」
「はい」
 照れくさそうにほほ笑む先輩と連れ立ってスーパーを出る。帰路を少し進んだ時だった。
 カシャカシャカシャ!
 ふいに聞こえてきた音。シャッター音だ。
 見れば、道の反対側に女子高生が3人いて、こちらにスマホを向けていた。全員が高揚した顔で、「やったぁ」とか「ラッキー」とか「爆イケ」とか口にしている。
(これって……)
 ちらっと隣の先輩を見ると、困ったような微笑を浮かべていた。
(あれはたしか、この近くの女子高の制服だよな……見ず知らずの相手を勝手に撮るか、フツー? 動物園のパンダじゃねーんだぞ)
 でも先輩は驚くでもなく、「困ったねえ」と流すような顔をしている。もしかして慣れているのだろうか。
「……よくあるんですか、こういうの」
「……うーん、まあ、時々」
 話しながらも俺たちは歩いているのだが、女子高生たちはなおもスマホでこちらを追い続けた。
 何度か、シャッター音。イラ立ちがつのったが、次に聞こえてきた声で、俺は完全にキレた。
「バッチリ! ねぇ、これ売れるんじゃない?」「うん、マジこれは商品化レベル! 文句なし!」
 女子たちは、そう言ってはしゃいでいるのだ。
(ざけんな。先輩をなんだと──!)
「あの。そういうのやめたほうがいいと思います。失礼ですよ」
 気づくと俺は足を止め、対面にいる3人にそう声を張り上げていた。
「ちょ、蒼羽くん……!」
 先輩が慌てたように俺の腕をつかむが、止められない。怒りの方が大きい。
「撮られたほうがどう思うかとか考えないんですか? 自分が同じことされたら気になりませんか?」
「は?」
 3人は「誰だよオマエ」という目で顔をゆがませる。それまでは眼中に入っていなかった俺が出張ってきて、明らかに不愉快そうだ。
 知ったことか。被害者はこっちだ。
「今撮ったの、消してください。で、もう二度と撮らないでください。迷惑なんで! 今度また撮ろうとしたら、俺があなたたちに同じこと、やり返しますからね!」
 吐き捨てるように怒鳴って、俺は先輩の腕をつかみ返すと、その手を引いて歩き出した。後ろから「なにアイツヤバ!」「キモ!」とかいう声と、走り去る足音が聞こえてくる。
「あ、蒼羽くん……!」
 先輩も引かれるまま歩きながら、困惑の声を上げていた。
「蒼羽くん、は、速い……!」
「あっ……すいません」
 競歩並みの速さで歩く俺に引っ張られて、先輩は小走りだ。ようやく我に返って、再び立ち止まった。
「すいません。腹が立って、夢中で……」
 つかんでいた手も離す。とんでもないことをしてしまった。
「すいませんすいません。ほんっとすいません!」
 オタオタしながら頭を下げた。先輩はあっけにとられたような顔をしていたけれど、こらえきれなくなったようにクスッと笑った。
「謝りすぎ。もういいよ。というか、びっくりしたけど、謝ってもらうようなことじゃないよね。僕のために言ってくれたのに」
「……言わない方がよかったですか?」
(撮られても……平気だった?)
「……ううん。言ってくれてよかった。時々あることだけど……何度あっても、嫌なものは嫌だから」
 ためらいがちにそう答えた先輩は、今まで隠していた言ってはいけない秘密を告白するような、張りつめた表情をしている。
 どうしてそんな顔をするんだろうと、俺は不思議だった。
 やっぱり嫌だったんだ。そりゃそうだよな。勝手に撮影して見世物にされるなんて、気持ちいいわけがない。
「だったらその都度、ビシッと言ってやればいいんですよ。その……責めてるわけじゃないんですけど、やっぱ、拒絶しないから続くのかもしれないし」
「……うん、わかってる。僕が何も言わないから、エスカレートしてる面もあるんだって」
 自嘲的な声でうなずく先輩。
 俺の言葉を全部、その通りだと受け止めている。だがそのうえで、先輩は、
「でも……言えなくて」
 と、つぶやくように続けた。
「どうして……」
「だって……受け入れなきゃダメかなって。僕の周りには、表立っては言わないけど、僕のこの外見を気に入ってよくしてくれる人、好意的に接してくれる人が、多分たくさんいると思うんだよ。そう思わない?」
「それは……まぁ……」
 いるだろう。「あなたの顔が好きだから親切にしてます。お近づきになりたいです」なんてはっきり言いはしないだろうが、確実にそういう人もいる。スーパーの店員さんが声をかけてくるのだってそうかもしれない。もちろん学校でも。
「そういう好意を、僕は享受してるのに……自分が嫌なことだけ拒むなんて、わがままっていうか……厚かましいかなって」
「は……」
 俺はぽかんと口をあいてしまった。
(わがまま? 厚かましい? 無断撮影や隠し撮りを嫌がるのが?)

 ──んなわけ、あるか。

「先輩……あなた、お人好しすぎます」
 力を込めて、断言した。
 俺にじっと見降ろしながら言われ、先輩は圧に驚いているのか、パチパチと瞬きをする。
 美しくて優しい人だ。でも、ここまでのお人好し大魔神だとは知らなかった。そのせいで、多くのことを我慢しているだろうことも。
 こんなの、迷子の子供以上にほうっておけない。
「たしかに先輩は女神も裸足で逃げ出すくらいきれいで、24時間どころか永遠に見てられるんじゃないかってくらいきれいで、一目見てトリコになるのなんて当たり前で、あなたの外見を好きって人は五万といると思います。でも、あなたは誰なんですか。女神ですかアイドルですか人形ですかパンダですか?」
「えっ? あ、ち、違います……どれも……」
「ですよね。あなたは天月榛名っていう一人の人間で、自我も人権もちゃんと持ってんです。だから嫌なことは嫌って言っていいんです。外見とか周りの好意とか、先輩の権利となんの関係があるんですか。ないでしょ、ないんです。ねっ?」
「! う、うん……そう、なのかな……」
「そうなんですよ。人気者だからいいも悪いも受け入れなきゃいけないなんておかしいです。もっと自分を大事にしてください。自分の中の、普通の天月榛名を最優先してください。それでいいんです」
 一息に言った後で、ハーハーと荒い呼吸をする俺。
「…………」
 先輩はやっぱり、きょとんとした顔で俺を見ていた。しばらく沈黙が流れる。
 俺の呼吸が落ち着くまでの間、見つめ合って。
 やがて先輩は──へにゃっと倒れ込むようになんの前触れもなく、俺を抱きしめた。
「………っ!? せ、先輩!?」
「ふふ」
(は? ふふ、じゃなくて! なに笑ってんだ!)
 頭しか見えないからどんな顔をしているのかはわからない。でも「ふふふっ」と、力の抜けた、おかしそうな笑い声は続いている。吐息が首筋にかかってくすぐったい。
「……そうだね。そうなのかもしれない。あぁ、蒼羽くんってほんとにすごいなぁ。僕を楽にする言葉をいっぱいくれる」
「うえぇぇぇっ……らっ、楽? てか、は、離しっ……」
「っと、ゴメン! はは、またやっちゃった……」
 我に返ったように離れた先輩は、イタズラを叱られた子供みたいな顔でコツンと自分のこめかみを小突いた。
 俺はまだ、首にかかった息の感触が生々しく残っていて、口を開いたらドッドッドッと鳴り続ける心臓が飛び出してきそうで何も言えない。
 固まる俺に気づいているのかいないのか、先輩はなんだかすっきりした声で続ける。
「あのね……さっきのあの子たちね。僕がエコバックを持ってる時だと、残念そうだったり不満そうな顔するんだよ」
「え……あいつら、そんな常習犯だったんですか」
 怒りが舞い戻ってきて硬直が解けた。
 俺の声と目つきが険しくなったのに気づき、先輩は「あ、それはもういいから怒らないで」と言ってから、
「かっこいいのに、きれいなのに、エコバックなんて所帯じみたもの持たないでほしい。いい写真にならない、っていうことなんだと思うけど……僕だって買い物するし、ネギの突き出たエコバックも持つよねえ」
 と、困ったように……でも、楽しそうに笑う。
(あー……だから今日は大喜びだったのか)
 俺がエコバッグを持って、先輩は手ぶらだったから。あの子達的には、満足のいく画が成立していたわけだ。
 でも先輩の言う通りだ。ネギの突き出たエコバックを持ってて何が悪い。
「そんな押し付け、クソくらえですよ」
「うん、クソくらえだね」
「はい。俺は寝ぼけて寝ぐせついてる先輩も、スーパーのカゴ持ってる先輩も、ジャガイモの詰め放題やってる先輩も、全部す──」
 勢いで言いかけて、はっと口を閉じた。
 なんて言おうとした? それは、ダメだ。言葉を変えろ。
「……全部、いいと思います」
「うーん、寝ぐせは喜んでいいのか微妙だけど……でも、ありがとう」
 不自然な間はさして気にならなかったようで、先輩は照れくさそうにはにかんだ。
 そんな表情もやっぱり……すごく、いい。
「と、とにかく! 今度また同じようなことがあったら、ガツンと言ってやりましょう」
「そうだね。僕もちゃんと、自分の口で言えるようにならないとだね」
 頑張るよ、と拳を握ってみせる先輩。
 その顔には、抱えていた荷物を降ろして身軽になったようなすがすがしさがあって。
 さっき『楽』と言っていたように、とてもリラックスして見えた。