愛してるから『弟』でいます。


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「お父さんが、外国の人だったんだ。だから、こんな目の色なんだって」
「へえ、そうなんだ。お母さんは、日本人?」
「うん。……芸能人」
「えっ! うわぁ、すごいね!」
「すごくなんかない。ぜんぜん、帰ってこないし……」



 俺は孤独な子供だった。 
 そこそこ人気の女優だった母親は、20代で売れないイギリス人タレントの男と恋に落ち、情熱のまま事務所の反対を押し切って結婚し、やがて俺を産んだ。
 でも、俺が3歳の時に離婚。甲斐性なしの父親は帰国し、縁が切れた。
 俺を養うため母親は仕事復帰し、俺はほぼ同居する祖母に育てられた。
 昼夜問わず仕事のある母親はあまり帰宅しない。TVで見る姿は別人のように感じられて、なんだか怖くて、自慢でもなんでもなかった。
 加えて幼い頃の俺は、瞳の色が今とは違っていた。
 ハーフの子供の瞳が、成長と共に色を変えるのはよくあることらしい。今は黒に近い茶色だけれど、昔は……


「素敵なヘーゼルアイじゃない。ハーフでも、珍しい遺伝なのよ」


 母親はそんなふうに言っていたけど、どこが素敵なんだと思っていた。
 緑がかったうすい茶色。それ以外は母親に似て外国人らしさはない顔立ちだったから、目だけ異質な気がして、気持ち悪かった。
 本人が気持ち悪いなら、周りだってそう感じるだろう。からかわれたり、不気味がられたり、いじめられたりするのもザラだった。
 学校には居場所がなかった。
 普通の容姿で、普通の親で、普通の家庭だったら──。『普通』にすごく憧れていた。


 あの人に出会ったのは、そんな小3の夏だ。



「きみは……だれ?」
「ぼく? ぼくは、はるな」
「や、名前じゃなくて……この街の子じゃないよね?」
 こんなにきれいな子がいたら、近所の人はみんな知ってるに違いない。学校でも見たことないし。本当に、空から降ってきた天使か妖精なのかもしれない。
「うん、ちがうよ。夏休みの間だけ、この近くに住んでるんだ。親戚の家」
「……そうなんだ」
(じゃあ──人間なんだ)
「ぼくのお父さんも、いそがしい人なんだよ。今も、外国に行ってる」
 お父さんは仕事で海外を飛び回っていて、自分も同行することもあるけど、今回は留守番なのだと、彼は話した。
「外国、行ったことあるんだ」
「いくつかね。外国だと、ほんとにいろんな目の人がいるよ」
(そっか。慣れてるから、この目を見ても平気だったんだ)
 不思議そうにも、気持ち悪そうにもしない反応は、当時とても新鮮だった。


「きみの名前は?」
「あ……えっと……あ……、あぉ……」
 こげ茶色の、水晶玉みたいなくりくりの目で顔を覗き込みながら聞かれて、俺はドギマギして、うまく答えられなかった。
 コンプレックスの瞳を間近で見られているという緊張。
 そしてそれ以上に、こんなにきれいで、かわいくて、胸がほわんとするような笑顔を見たことなんてなかったんだから、動揺したって仕方ない。
 顔がカーッと熱くなって、照れてるのがバレバレだろうことがますます恥ずかしくて、「あ、あぉ……」とつっかえ続けていると──
「じゃあ、『あーくん』!」
「えっ?」
「『あーくん』にしよう。いいよね?」
「あ……う、うん」
「じゃあ、あーくん、またね! ぼく、そろそろ帰らなきゃなんだ」
「……うん」
(また……会える、んだ……?)


 会うのはいつも、近所の公園。
 約束して待ち合わせていたわけじゃない。たまたま会えば話をしたという程度だ。
 合計で、十回ちょっとくらいだと思う。
 俺は対人恐怖症気味だったから、最初のほうは、口数も少なかったし。
 夏休みが終わり、それ以降は見かけることもなくなった。あの年、あの夏だけの滞在だったのだろう。
 結局俺は『あーくん』のまま、名前さえ名乗らずに終わった。 
 けれどあの数日間が、俺にはかけがえのないものになった。
 出会わせてくれた偶然を、神様に一億回感謝しても足りないくらいの。
 そして再会の偶然には、十億回感謝しても足りない。
 中1で祖母が亡くなり、家のこともする必要の出てきた俺は、友達付き合いより家事を優先し、小遣いで何を買うかより、千円でどれだけお得に食材が買えるかを考える現実主義者に育った。
 中3の時、宝賀学院に興味を持ったのは近隣エリアで一番偏差値が高かったから。
 今の成績では厳しめだが、近いし、ここに行けたら一番堅実だなという理由で、とりあえず見学に行った。
 そこで、再会した。あの夏の天使に。


「あー、今回は榛名に持ってかれたな。数学で1ヵ所ケアレスミスしたんだ。あれが敗因」
「別に、勝ち負けじゃないんだから。でも、悠日がケアレスミスなんて珍しいね」
「ああ、自分でもびっくりしてる。まあでも、たまにはそんなこともあるよな」
「お、学年2トップのお二人さん。成績もいつも二人でトップ争いって、あんたら天から色々もらいすぎじゃね!?」


(間違いない。あの人だ)
 友人たち数人と連れ立って正門を出ていくその人。
 成長し、あの頃のあどけなさはもうなかったけれど、間違えるわけなかった。
 名前だって『はるな』と呼ばれていた。
(ここの生徒だったんだ……!)

 その瞬間、志望校は確定した。
 あの夏、ひとつ年上だとは聞いていた。宝賀に入れば、2年間は同じ学校の生徒でいられる。
 怒涛の猛勉強をし、合格して、翌年春、俺は宝賀学院の1年生になった。
 そして、さらに1年が経過して……今。

 俺は太陽と月が生み出す影のように地味な学校生活を送りながら、あの人を見続けていた。
 話すどころか、目が合ったこともない。
 あの夏の日は、もう戻ってこない。
 でも、充分だ。
 また会えただけでも、奇跡に近い幸運なんだ、きっと。