●〇●〇
楠本先輩からの返信は『土曜日に外で会おう』だった。
学校では周囲を気にすることになるだろうから、こっちとしても願ったりかなったりだ。
時間と場所は当日指定すると言われ、11時前にメッセージが来た。
渋谷区内のカフェのリンクが貼られ、『ここにいるから来て』とだけある。
(渋谷? なんでまた……?)
同じ23区内とはいえ、予想外のエリアだった。
宝賀学院の最寄は在来線と地下鉄が乗り入れる駅で、楠本先輩は地下鉄ユーザーだと聞いた気がするが(ちなみに俺たちは在来線だ)、渋谷は線が違う。
(1時間近くかかるな……まぁ、仕方ないか)
「先輩、俺ちょっと出かけてきます」
先輩の部屋をノックし、ドアを開けて外から声をかけた。
幸い風邪は悪化せず、登校もしていたけれど、体育祭までに万全を期すには極力安静です、と。そう言ってあるので、今日も彼はベッドの上で本を読んでいる(着替えているし、布団にも入っていないけれど)。
「あ、弘樹くんに呼び出されるかもって言ってたやつ?」
今日出かけることははっきりしていたので、前もってそう説明しておいた。
嘘をつくのは胸が痛むが、さすがに楠本先輩と会うとは言えない。出しゃばっている自覚はあるのだ。
「はい、それです。昼飯、作ってあるんであっためて食べてください」
「わかった、ありがとう。気を付けてね」
「はい。あ、もし何かあったら遠慮なく連絡ください」
そう言い残し、急いで家を出た。相手はもう待っていると思うと、つい気が急いてしまう。
(いや、でも、落ち着けよ、俺。感情的になりすぎるのは駄目だ。言いたいことは言うけど、冷静でいないとな)
急ぐついでに熱くなってしまいそうな自分をたしなめる。
連絡した日から数日後になったが、俺の決意と憤りはまったく薄らいでいない。
自分が怖がっているのだと言った天月先輩。だがそうだとしても、そもそもの原因は楠本先輩が彼を心配させ、振り回しているからだ。
(楠本先輩がちゃんと話してくれたら、天月先輩はこんなに悩まなくていいんだ。だから……先輩が怖いなら、俺が言ってやる)
俺の大事な先輩をこんなに悩ませるな。早く『整理』とやらを終わらせて、きちんと説明してくれ、と。
(その結果……二人が仲直りして、心を通わせることになるとしても……)
失恋が確定するとしても。それでもいい。
槇原の言っていたこと。あの意味と重さが、これまで以上によくわかる。
俺はあの人が大好きだ。失恋確定はキツいし、辛い。
でもそれ以上に、あの人には笑っていてほしいし、幸せでいてほしいんだ。悲しそうな顔も、寂しそうな顔も見たくない。
「蒼羽くん、こっち」
指定のカフェは、店舗の建ち並ぶ通り沿いの路面店だ。中に入ると、楠本先輩は大きな窓際の席にいた。
「どうも」
不愛想に会釈をして向かいの席に座る。
「こんなとこまで呼び出してゴメンね。もっと近所にするつもりだったんだけど、急きょここから動けなくなっちゃって」
そう話す楠本先輩は相変わらずのイケメンで、あの夜の濡れそぼってボロボロだった姿など嘘みたいだ。
でも、取り繕っているのだろうとは感じる。様子がおかしくなる前と比べるとやっぱり声のトーンが低くて、覇気がない。
(動けないってどういうことだ?)
そんな疑問も頭をかすめたが、それよりも聞きたいことが山のようにあった。
店員が来たのでアイスティーを注文すると、俺はさっそく切り出す。
「いつまで天月先輩を待たせるつもりなんですか」
「……はは。まあもちろん、その話だよなぁ」
楠本先輩は外の通りに視線を流して苦笑いを浮かべた。
「ごまかさないでください。先輩、体調まで壊して、それでもずっとあなたのこと信じて待ってるんですよ。メンタルキツイに決まってるのに……。これ以上、あの人に心配かけないでください。大事な相手なら、もっと大事にしてあげてくださいよ!」
思っていたことを一気に吐き出す。
感情が高ぶって、最後は声が大きくなってしまった。深い呼吸をして、なんとか心を落ち着ける。
楠本先輩は笑みを消し、そんな俺をじっと見ていた。
俺のアイスティーと、おかわりを頼んだ先輩にもホットコーヒーが運ばれてくる。
店員が立ち去ってから、楠本先輩は口を開いた。
「榛名にも君にも心配かけて、振り回して、本当に申し訳ないと思ってる。信じてもらえないかもしれないけど、あれからずっと真剣に考えてるし、抱えてる問題をどうにかしようって、必死に動いてもいるんだ」
真面目な声だった。嘘や言い訳……では、ないと思う。
「……それが、整理ってことですか?」
「そう。状況と、気持ちの整理」
「…………。えっと……わからないわけじゃないんですけど……」
なんなんだろう。この、微妙にわだかまるモヤッと感は。
「──けど、なに?」
「や、なんていうか……絶対に、整理がつかなきゃダメなんですか?」
「え……?」
どうしてそんなにこだわるのだろう。何が楠本先輩のストッパーになってしまっているのだろう。そこが不思議だった。
それは本当に、そんなに重要なことなのだろうか。大切な相手を、大切にする以上に。
「失礼を承知で言います、すいません。なんか先輩、まだかっこつけてませんか」
「……!」
楠本先輩は言葉なく、ただ目を大きく見開いた。
驚きが伝わってくるが、俺は引かない。今日は思ったままをぶつけると決めている。
「だって今の話って、ある程度解決してからしか話せないって意味でしょ。それってなんでですか。今そのまんまの状態を話せないのはどうしてなんですか」
「っ……、それは……」
「別に天月先輩は、理路整然とした説明なんて求めてないと思います。状況が落ち着いてなかろうが、気持ちがまとまってなかろうが、ありのままでいい……そう思ってるはずですよ」
あの人はそういう人だ。俺の推測でしかないけれど、でも、自信を持って言える。
「…………」
楠本先輩は黙っていた。言い返す気もないのか、言葉を探す様子もなく、テーブルに目を落としている。
俺はスッと息を吸って続けた。
「もっとなりふり構わずでいいんじゃないですかね。困ってるなら困ってる、悩んでるなら悩んでる。それに──」
次の言葉を言おうとした時、ほんの少しだけチクンと胸がうずいた。
気づかないふりはしない。その痛みをしっかり確かめながら、でも、言いたいことを言う。
「好きなら好き、とか。かっこつけないで、ストレートに言えばいいんじゃないですか」
「…………。蒼羽くん……」
顔を上げ、先輩は再び俺を見た。
キング・ソーレの呼び名を体現するように、いつも揚々として、周りを明るくする笑みを振りまいていた人だ。
それが今は自信やエネルギーが抜け落ちて、彼自身が太陽のない空みたいになってしまっている。
俺は、この人にも、元に戻ってほしい。
「だって下手したら、きっちり整理とか一生できないですよ。気持ちなんて普通に、矛盾してるものが両方とも自分の中にあったりしますから」
両想いになりたい気持ちと、失恋でもいいから幸せでいてほしい気持ち。両方が、たしかに本当の想いとして俺の中にあるように。
「かっこつけるのって、要は、みっともない自分をさらすのとか、傷つくのから逃げてるってことですよね。まだ、逃げてますよね」
(それが、あなたの必死ですか? 全力ですか?)
「…………」
最後は目だけで問いかけた。先輩は何も言わない。
見つめ合ったまま、しばらく無言の時間が続く。
先輩は無表情だ。相当失礼なことを言ったと思うが、怒っている気配もない。
何秒くらい経っただろうか。やがて先輩がふっと小さく息を吐いて、沈黙を終わらせた。
「──そうだな、まだ逃げてたかも。『なりふり構わず』までは、できてなかったよ」
言って、かすかに笑った。自虐的だけれど、どこかすっきりしたようにも見える表情だ。
「蒼羽くん。君って、すごいね」
「へ?」
唐突な賛辞を投げられ、俺は間抜けな声を返してしまう。
何がすごいのだろう。先輩相手によくもこんなこと言えたな、という意味か?
「図々しいこと言ってるのはわかってます、すいません。でも──」
「いや、そうじゃなくて。あー……まあ、いいや」
何か言おうとしたようだったが、先輩は苦笑しながら引っ込める。
そして切り替えるようにカップを手に取ると、とうに冷めているコーヒーに口をつけた。
一口飲んでカップをソーサーに戻すと、
「ひとつだけ言っておきたいんだけど。蒼羽くん、多分大きな誤解をしてるよ」
そう言われ、俺は眉を寄せた。
「誤解?」
「うん。俺と榛名は──」
続きは唐突に途切れた。ハッと息をのんだ先輩は、俺を見ていない。
すぐ横の窓を──いや、外を見ていた。ガラスの向こうの通りを。
「先輩?」
「悪い、出ないといけなくなった」
「はっ?」
張りつめた早口で言いながら、彼はもう立ち上がりバッグと伝票と手にしている。止める間もなく通路に出た。
「え、あの、先輩っ?」
「ごめん、それ飲んでから帰って。言われた通り、かっこつけないでなりふり構わずぶつかってみるよ。でも、どうなったとしてもこれ以上は待たせないから。今日中に連絡する」
「はあっ? いや、ちょっと……!」
俺も立ち上がって呼び止めようとしたが、もうこっちの話など聞いている暇がないようだ。最後にもう一度「ごめん!」と言って、レジに走っていった。
(な、なんなんだ……?)
俺はあ然とその場に立ち尽くす。先輩は落ち着きなく会計を済ませ、すぐさま店を飛び出した。
窓越しに姿を目で追うと、通りをこちらに背を向け駆けていく。
かすかに声が聞こえた。前のほうにいる誰かを呼び止めたようだ。
呼ばれた相手らしい人物が足を止めた。といってもここからはだいぶ距離があるので、小さな後ろ姿しか見えないけれど。
相手が振り返る。ところが、またすぐに前を向いて走り出した。
(え、逃げた?)
それを追い、楠本先輩は速度を速めて走り去っていく。あっという間に二人とも見えなくなった。
(わけわかんないんだけど……)
楠本先輩は、あの人を追うために出ていったということだろうか。
相手は、長身の男性だった。痩せ型だという程度は見て取れたが、顔はまったく見えなかったので年齢層さえわからない。
「はぁ……」
(……帰るか)
とりあえず、そうするしかなさそうだ。
これ以上は待たせない、今日中に連絡する。その言葉を信じるしかない。
天月家に戻ると、先輩はリビングにいた。ソファで休んでいたようだ。
「おかえり」
「ただいまです。……食事は?」
もう2時だが、キッチンに食事を済ませた気配がない。
「蒼羽くんが帰ってくるって言ったから、待ってた」
「そうなんですか。先に食べてくれてよかったのに」
渋谷を発つ時にメッセージを送ったのだ。食事を待っていてもらおうなんてつもりは、まったくなかったのだけれど。
「まだそんなにお腹すいてなかったから。……それで、どうだった?」
「え? どうって?」
「悠日と会ってきたんでしょ?」
「!」
さらりと言い当てられ、俺は固まる。頬を引きつらせる俺を見て、先輩はおかしそうにふふっと笑った。
「気づいてたんですか……」
「うん。なんとなく、そうじゃないかなって。行く時も帰ってきた時も、ちょっと申し訳なさそうな顔してたから確信した」
(う。最初からバレてたってことか……)
「勝手なことしてすいません。おせっかいなのはわかってたんですけど、どうしても、俺からも言いたいことがあって……」
「謝らなくていいよ。勝手なことしないでほしいって思うんだったら止めてる」
話しながら先輩は立ち上がり、キッチンへ向かった。冷蔵庫を開け、俺が入れておいた昼食を出し始める。エビピラフ、シーザーサラダ、冷製コンソメスープ。
「たくさん気を遣わせてるだろうし、悠日を探すのだって一緒に行ってくれたし、君も無関係じゃないもの。言いたいことを言う権利だってあるよ」
ピラフをレンジへ入れながら。声も表情も、いたって穏やかだ。
「……ほんとに、嫌じゃなかったですか?」
「僕の代わりに『腹くくれ』って言いに行ってくれたのもあるんでしょ? 僕のためにしてくれてることなのに、嫌なわけないよ」
ああ、それもお見通しか。俺の考えることなんて完全に見抜かれていたらしい。
「逆にこっちが申し訳ないくらい。ありがとう、蒼羽くん」
「礼なんか……9割がた俺のエゴなんで」
かなり気恥ずかしいが、先輩が怒っていないのは事実のようで安心した。
荷物を自室に投げ入れ、俺も食事の準備を手伝い始める。温め、ラップを取って配膳するだけなのでものの数分で整った。
「──で、悠日はなんて?」
食事を始めてから改めてそう聞いてきた先輩の顔は、少しだけ緊張していた。
「今日中に連絡するって言ってました」
「……そっか」
そして夜、6時をまわった頃。楠本先輩は、約束を違えずに天月先輩へ連絡してきた。
メッセージの受信音を鳴らしたスマホを、先輩は合格発表を見る受験生のような面持ちで確認する。
「楠本先輩、なんて?」
「……ちゃんと話すから、今からうちに来ていいかって」
「ここに? あ、じゃあ俺は外に出て──」
「何言ってるの。蒼羽くんも一緒に聞いて」
強めにさえぎられて、俺は目を瞬いた。
「いいんですか、俺もいて?」
(俺がいたら、二人とも腹割って話せないんじゃ)
そう懸念したけれど、先輩はためらうことなくうなずいて言い切った。
「僕が君にいてほしいんだよ。きっと悠日もそのつもりだと思う」
本当にいいのだろうか。でも、先輩がこう言うなら──
(どんな話を聞くことになっても、どんな光景を見ることになっても……先輩にとっていい結果になるなら、それでいい。ううん、それがいい)
「……わかりました」
楠本先輩からの返信は『土曜日に外で会おう』だった。
学校では周囲を気にすることになるだろうから、こっちとしても願ったりかなったりだ。
時間と場所は当日指定すると言われ、11時前にメッセージが来た。
渋谷区内のカフェのリンクが貼られ、『ここにいるから来て』とだけある。
(渋谷? なんでまた……?)
同じ23区内とはいえ、予想外のエリアだった。
宝賀学院の最寄は在来線と地下鉄が乗り入れる駅で、楠本先輩は地下鉄ユーザーだと聞いた気がするが(ちなみに俺たちは在来線だ)、渋谷は線が違う。
(1時間近くかかるな……まぁ、仕方ないか)
「先輩、俺ちょっと出かけてきます」
先輩の部屋をノックし、ドアを開けて外から声をかけた。
幸い風邪は悪化せず、登校もしていたけれど、体育祭までに万全を期すには極力安静です、と。そう言ってあるので、今日も彼はベッドの上で本を読んでいる(着替えているし、布団にも入っていないけれど)。
「あ、弘樹くんに呼び出されるかもって言ってたやつ?」
今日出かけることははっきりしていたので、前もってそう説明しておいた。
嘘をつくのは胸が痛むが、さすがに楠本先輩と会うとは言えない。出しゃばっている自覚はあるのだ。
「はい、それです。昼飯、作ってあるんであっためて食べてください」
「わかった、ありがとう。気を付けてね」
「はい。あ、もし何かあったら遠慮なく連絡ください」
そう言い残し、急いで家を出た。相手はもう待っていると思うと、つい気が急いてしまう。
(いや、でも、落ち着けよ、俺。感情的になりすぎるのは駄目だ。言いたいことは言うけど、冷静でいないとな)
急ぐついでに熱くなってしまいそうな自分をたしなめる。
連絡した日から数日後になったが、俺の決意と憤りはまったく薄らいでいない。
自分が怖がっているのだと言った天月先輩。だがそうだとしても、そもそもの原因は楠本先輩が彼を心配させ、振り回しているからだ。
(楠本先輩がちゃんと話してくれたら、天月先輩はこんなに悩まなくていいんだ。だから……先輩が怖いなら、俺が言ってやる)
俺の大事な先輩をこんなに悩ませるな。早く『整理』とやらを終わらせて、きちんと説明してくれ、と。
(その結果……二人が仲直りして、心を通わせることになるとしても……)
失恋が確定するとしても。それでもいい。
槇原の言っていたこと。あの意味と重さが、これまで以上によくわかる。
俺はあの人が大好きだ。失恋確定はキツいし、辛い。
でもそれ以上に、あの人には笑っていてほしいし、幸せでいてほしいんだ。悲しそうな顔も、寂しそうな顔も見たくない。
「蒼羽くん、こっち」
指定のカフェは、店舗の建ち並ぶ通り沿いの路面店だ。中に入ると、楠本先輩は大きな窓際の席にいた。
「どうも」
不愛想に会釈をして向かいの席に座る。
「こんなとこまで呼び出してゴメンね。もっと近所にするつもりだったんだけど、急きょここから動けなくなっちゃって」
そう話す楠本先輩は相変わらずのイケメンで、あの夜の濡れそぼってボロボロだった姿など嘘みたいだ。
でも、取り繕っているのだろうとは感じる。様子がおかしくなる前と比べるとやっぱり声のトーンが低くて、覇気がない。
(動けないってどういうことだ?)
そんな疑問も頭をかすめたが、それよりも聞きたいことが山のようにあった。
店員が来たのでアイスティーを注文すると、俺はさっそく切り出す。
「いつまで天月先輩を待たせるつもりなんですか」
「……はは。まあもちろん、その話だよなぁ」
楠本先輩は外の通りに視線を流して苦笑いを浮かべた。
「ごまかさないでください。先輩、体調まで壊して、それでもずっとあなたのこと信じて待ってるんですよ。メンタルキツイに決まってるのに……。これ以上、あの人に心配かけないでください。大事な相手なら、もっと大事にしてあげてくださいよ!」
思っていたことを一気に吐き出す。
感情が高ぶって、最後は声が大きくなってしまった。深い呼吸をして、なんとか心を落ち着ける。
楠本先輩は笑みを消し、そんな俺をじっと見ていた。
俺のアイスティーと、おかわりを頼んだ先輩にもホットコーヒーが運ばれてくる。
店員が立ち去ってから、楠本先輩は口を開いた。
「榛名にも君にも心配かけて、振り回して、本当に申し訳ないと思ってる。信じてもらえないかもしれないけど、あれからずっと真剣に考えてるし、抱えてる問題をどうにかしようって、必死に動いてもいるんだ」
真面目な声だった。嘘や言い訳……では、ないと思う。
「……それが、整理ってことですか?」
「そう。状況と、気持ちの整理」
「…………。えっと……わからないわけじゃないんですけど……」
なんなんだろう。この、微妙にわだかまるモヤッと感は。
「──けど、なに?」
「や、なんていうか……絶対に、整理がつかなきゃダメなんですか?」
「え……?」
どうしてそんなにこだわるのだろう。何が楠本先輩のストッパーになってしまっているのだろう。そこが不思議だった。
それは本当に、そんなに重要なことなのだろうか。大切な相手を、大切にする以上に。
「失礼を承知で言います、すいません。なんか先輩、まだかっこつけてませんか」
「……!」
楠本先輩は言葉なく、ただ目を大きく見開いた。
驚きが伝わってくるが、俺は引かない。今日は思ったままをぶつけると決めている。
「だって今の話って、ある程度解決してからしか話せないって意味でしょ。それってなんでですか。今そのまんまの状態を話せないのはどうしてなんですか」
「っ……、それは……」
「別に天月先輩は、理路整然とした説明なんて求めてないと思います。状況が落ち着いてなかろうが、気持ちがまとまってなかろうが、ありのままでいい……そう思ってるはずですよ」
あの人はそういう人だ。俺の推測でしかないけれど、でも、自信を持って言える。
「…………」
楠本先輩は黙っていた。言い返す気もないのか、言葉を探す様子もなく、テーブルに目を落としている。
俺はスッと息を吸って続けた。
「もっとなりふり構わずでいいんじゃないですかね。困ってるなら困ってる、悩んでるなら悩んでる。それに──」
次の言葉を言おうとした時、ほんの少しだけチクンと胸がうずいた。
気づかないふりはしない。その痛みをしっかり確かめながら、でも、言いたいことを言う。
「好きなら好き、とか。かっこつけないで、ストレートに言えばいいんじゃないですか」
「…………。蒼羽くん……」
顔を上げ、先輩は再び俺を見た。
キング・ソーレの呼び名を体現するように、いつも揚々として、周りを明るくする笑みを振りまいていた人だ。
それが今は自信やエネルギーが抜け落ちて、彼自身が太陽のない空みたいになってしまっている。
俺は、この人にも、元に戻ってほしい。
「だって下手したら、きっちり整理とか一生できないですよ。気持ちなんて普通に、矛盾してるものが両方とも自分の中にあったりしますから」
両想いになりたい気持ちと、失恋でもいいから幸せでいてほしい気持ち。両方が、たしかに本当の想いとして俺の中にあるように。
「かっこつけるのって、要は、みっともない自分をさらすのとか、傷つくのから逃げてるってことですよね。まだ、逃げてますよね」
(それが、あなたの必死ですか? 全力ですか?)
「…………」
最後は目だけで問いかけた。先輩は何も言わない。
見つめ合ったまま、しばらく無言の時間が続く。
先輩は無表情だ。相当失礼なことを言ったと思うが、怒っている気配もない。
何秒くらい経っただろうか。やがて先輩がふっと小さく息を吐いて、沈黙を終わらせた。
「──そうだな、まだ逃げてたかも。『なりふり構わず』までは、できてなかったよ」
言って、かすかに笑った。自虐的だけれど、どこかすっきりしたようにも見える表情だ。
「蒼羽くん。君って、すごいね」
「へ?」
唐突な賛辞を投げられ、俺は間抜けな声を返してしまう。
何がすごいのだろう。先輩相手によくもこんなこと言えたな、という意味か?
「図々しいこと言ってるのはわかってます、すいません。でも──」
「いや、そうじゃなくて。あー……まあ、いいや」
何か言おうとしたようだったが、先輩は苦笑しながら引っ込める。
そして切り替えるようにカップを手に取ると、とうに冷めているコーヒーに口をつけた。
一口飲んでカップをソーサーに戻すと、
「ひとつだけ言っておきたいんだけど。蒼羽くん、多分大きな誤解をしてるよ」
そう言われ、俺は眉を寄せた。
「誤解?」
「うん。俺と榛名は──」
続きは唐突に途切れた。ハッと息をのんだ先輩は、俺を見ていない。
すぐ横の窓を──いや、外を見ていた。ガラスの向こうの通りを。
「先輩?」
「悪い、出ないといけなくなった」
「はっ?」
張りつめた早口で言いながら、彼はもう立ち上がりバッグと伝票と手にしている。止める間もなく通路に出た。
「え、あの、先輩っ?」
「ごめん、それ飲んでから帰って。言われた通り、かっこつけないでなりふり構わずぶつかってみるよ。でも、どうなったとしてもこれ以上は待たせないから。今日中に連絡する」
「はあっ? いや、ちょっと……!」
俺も立ち上がって呼び止めようとしたが、もうこっちの話など聞いている暇がないようだ。最後にもう一度「ごめん!」と言って、レジに走っていった。
(な、なんなんだ……?)
俺はあ然とその場に立ち尽くす。先輩は落ち着きなく会計を済ませ、すぐさま店を飛び出した。
窓越しに姿を目で追うと、通りをこちらに背を向け駆けていく。
かすかに声が聞こえた。前のほうにいる誰かを呼び止めたようだ。
呼ばれた相手らしい人物が足を止めた。といってもここからはだいぶ距離があるので、小さな後ろ姿しか見えないけれど。
相手が振り返る。ところが、またすぐに前を向いて走り出した。
(え、逃げた?)
それを追い、楠本先輩は速度を速めて走り去っていく。あっという間に二人とも見えなくなった。
(わけわかんないんだけど……)
楠本先輩は、あの人を追うために出ていったということだろうか。
相手は、長身の男性だった。痩せ型だという程度は見て取れたが、顔はまったく見えなかったので年齢層さえわからない。
「はぁ……」
(……帰るか)
とりあえず、そうするしかなさそうだ。
これ以上は待たせない、今日中に連絡する。その言葉を信じるしかない。
天月家に戻ると、先輩はリビングにいた。ソファで休んでいたようだ。
「おかえり」
「ただいまです。……食事は?」
もう2時だが、キッチンに食事を済ませた気配がない。
「蒼羽くんが帰ってくるって言ったから、待ってた」
「そうなんですか。先に食べてくれてよかったのに」
渋谷を発つ時にメッセージを送ったのだ。食事を待っていてもらおうなんてつもりは、まったくなかったのだけれど。
「まだそんなにお腹すいてなかったから。……それで、どうだった?」
「え? どうって?」
「悠日と会ってきたんでしょ?」
「!」
さらりと言い当てられ、俺は固まる。頬を引きつらせる俺を見て、先輩はおかしそうにふふっと笑った。
「気づいてたんですか……」
「うん。なんとなく、そうじゃないかなって。行く時も帰ってきた時も、ちょっと申し訳なさそうな顔してたから確信した」
(う。最初からバレてたってことか……)
「勝手なことしてすいません。おせっかいなのはわかってたんですけど、どうしても、俺からも言いたいことがあって……」
「謝らなくていいよ。勝手なことしないでほしいって思うんだったら止めてる」
話しながら先輩は立ち上がり、キッチンへ向かった。冷蔵庫を開け、俺が入れておいた昼食を出し始める。エビピラフ、シーザーサラダ、冷製コンソメスープ。
「たくさん気を遣わせてるだろうし、悠日を探すのだって一緒に行ってくれたし、君も無関係じゃないもの。言いたいことを言う権利だってあるよ」
ピラフをレンジへ入れながら。声も表情も、いたって穏やかだ。
「……ほんとに、嫌じゃなかったですか?」
「僕の代わりに『腹くくれ』って言いに行ってくれたのもあるんでしょ? 僕のためにしてくれてることなのに、嫌なわけないよ」
ああ、それもお見通しか。俺の考えることなんて完全に見抜かれていたらしい。
「逆にこっちが申し訳ないくらい。ありがとう、蒼羽くん」
「礼なんか……9割がた俺のエゴなんで」
かなり気恥ずかしいが、先輩が怒っていないのは事実のようで安心した。
荷物を自室に投げ入れ、俺も食事の準備を手伝い始める。温め、ラップを取って配膳するだけなのでものの数分で整った。
「──で、悠日はなんて?」
食事を始めてから改めてそう聞いてきた先輩の顔は、少しだけ緊張していた。
「今日中に連絡するって言ってました」
「……そっか」
そして夜、6時をまわった頃。楠本先輩は、約束を違えずに天月先輩へ連絡してきた。
メッセージの受信音を鳴らしたスマホを、先輩は合格発表を見る受験生のような面持ちで確認する。
「楠本先輩、なんて?」
「……ちゃんと話すから、今からうちに来ていいかって」
「ここに? あ、じゃあ俺は外に出て──」
「何言ってるの。蒼羽くんも一緒に聞いて」
強めにさえぎられて、俺は目を瞬いた。
「いいんですか、俺もいて?」
(俺がいたら、二人とも腹割って話せないんじゃ)
そう懸念したけれど、先輩はためらうことなくうなずいて言い切った。
「僕が君にいてほしいんだよ。きっと悠日もそのつもりだと思う」
本当にいいのだろうか。でも、先輩がこう言うなら──
(どんな話を聞くことになっても、どんな光景を見ることになっても……先輩にとっていい結果になるなら、それでいい。ううん、それがいい)
「……わかりました」
