愛してるから『弟』でいます。



 4月、新学期。
 都内某区にある私立宝賀(たからが)学院高校の校内は、最大級ににぎわっていた。
「あーっ、今年もダメだった! 一度でいいからあの二人と同じ教室で過ごしてみたかったー」
「キャーッ! わわ、私、A組! やったー! 勝ち取ったー!!」
 クラス分けが掲示されている校庭では、主に3年女子の歓喜もしくは阿鼻叫喚する声。
 校舎に入り、2年の教室が並ぶ廊下でも、
「ねえ、聞いた!? 今年もキングとクイーン、同じクラスだって!」
「マジ!? じゃあ今年もいっぱい二人一緒のところ拝めるね! は~、眼福必至!」
「センセたちもわざとなんじゃない? だってほら、副校長って絶対ルナ様の──」
 どこに行っても、同じ話題で持ち切りだ。
 この宝賀学院の名物コンビ。
 キングとクイーンの異名を持つ、あの二人組の話題で。
(……うるさ)
 話の内容にかかわらず、人の騒ぐ声は昔から苦手だ。
 掲示板前の混雑を避けたくて早めに登校したから、HRまでまだ時間もある。
 これからさらに騒がしくなるだろう教室の自席に荷物だけ置くと、俺、森中蒼羽(もりなかあおば)(2年C組に進級)は屋上に向かった。


「……ここでも聞こえんな」
 屋上の高いフェンスに背をあずけ、ふぅっと息を吐く。
 耳にはさっきまでよりかなりマシなものの、校庭のざわめきが届いていた。
 まあ、真下が校庭なんだから仕方ないが。
(……王様と女王様、か)
 高貴で特別な二人。
 俺みたいに平々凡々で、なんなら陰キャに近いという自覚もある男とは別世界の存在。
「キャッ! ルナ様が来たわよ!!」
 下方のざわめきが大きくなり、俺は反射的に体を反転させた。
「あ……」
 無意識のうちに、口から声が漏れる。
「おはよ、天月(あまつき)くん!」
「おはようございます、天月先輩!」
「うん、おはよう」
 新たに校庭に現れたその人は、周囲からの挨拶に笑顔で応えた。
 そのあまりにもまばゆい姿に、目が釘付けになる。
 周りを囲む生徒たちと同じブレザー姿なのに、彼だけまとう空気が違うように思えるのは気のせいじゃない。
(クソ……今日もきれいだな)
 息をするのを忘れるくらい。瞬きするコンマ1秒が惜しいくらい。
 本当にきれいだと、初めて会った日にも思った。
「よお、天月。相変わらずすげー人気だな。おまえ、A組!」
「あ、そうなんだ。ありがとう」
 顔見知りから教えてもらい、にこりとほほ笑むと、それだけでまた周りの女子が小さく悲鳴をあげた。
 気持ちはわかる。距離があるのに、俺だってまぶしい。
 あの人が笑うと、ぱぁっと光が散ったような気がするんだ、いつも。
(ほんと……まさに天使だよな)
 くっきりとした二重、まっすぐな鼻筋、優しげな弧を描く眉。すべてのパーツが天才職人の作った精巧な人形かというくらい整っている。唇はメイクなんてしてないはずなのに桜色で、透けるように白い肌に、ぽっと花が咲いたみたいだ。
 柔らかくてやや色素の薄い髪は、ふんわりとゆるやかなカーブを描いて、長いまつ毛とともに顔に影を落としていた。
 きれいすぎる。性別なんて関係なく、その表現が似合う。
 天月榛名(あまつきはるな)。生徒たちからクイーン・ルナと呼ばれる、3年生。

 俺は、あの人のことを知っている。この学校に1年下の後輩として入学する、もっと前から。

「あ、いたいた。やっぱここだったな、蒼羽」
「……弘樹」
 突然の声にはっと振り返ると、唯一の友人と言っていい男、弓削弘樹(ゆげひろき)が近づいてくるところだった。
 あの人に見とれていて、屋上の扉が開く音すら耳に入ってなかったようだ。
「無人じゃん。新学期の朝から屋上来るヤツなんておまえくらいだぜ」
 からかい口調で言いながら、弘樹は隣に立ち、フェンス越しに地上を見下ろす。
「まーた見てんのかよ、天月先輩」
「……うるさい」
「クラス分かれたわ。おまえCだろ、俺D。ま、隣だから合同授業は一緒だな」
「そうだな」
「つれないねー。もっと、喜ぶとか悲しむとかねーの? 貴重な理解者って自負あんだぜ、俺」
「…………わかってるよ」
 その通りだ。弘樹とは1年の時にクラスメイトとして知り合ったが、こいつが声をかけてくれなかったら、多分俺に友達と呼べる相手はいなかっただろう。
 最初は戸惑ったが、不思議と話しやすくて、いつの間にか仲良くなっていた。
 俺のことも、それなりに色々と話した。
「おっ、キングもご登場だ」
 キツネの面を連想させる、少し釣り目の目を楽しそうに細め、弘樹が言う。
 同時に地上の声は一気に大きくなっていた。
「ソーレ様! やだっ、ナイトのご登場よ!」
「二人そろった、最高!」
「わ、混んでるな。誰か、俺のクラス知ってる人いる?」
 颯爽と歩いてきて周囲にそう声を投げたのは、楠本悠日(くすもとはるひ)
 3年で、クイーン・ルナと対になるキング・ソーレの呼び名を持つ、あの人の親友だ。
 天『月』榛名の月と、楠本悠『日』の日を取って、月と太陽。
 誰が呼び始めたのかは知らないが、俺が入学した時には当然のように皆が知ってる呼び名だった。
 親友で、類友ってやつなのか、二人とも抜群に頭がよくて、抜群に顔がいい。
 線が細くて、中性的で、美人とかきれいという表現が似合うのがクイーン。
 対してキングこと楠本先輩は、かっこいいとかイケメンって形容がぴったりくる、正統派美少年だ。身長も180超えで、172㎝のクイーンより10㎝近く高い。
 その対比から、王様というより、ルナ様を守る騎士のようだという声もあった。
 少しおさまりの悪い長めのストレートヘアをくしゃっとかき上げると、意思の強そうな眉と目元があらわになる。朝っぱらから、本当に高校生かと疑いたくなるほどの色気が爆発している。
 しかもその仕草をしながら、
「ああ、榛名、いたんだ。おはよ」
 なんて、うれしそうに目を細めるものだから、
「おーおー、何人か女子が気ぃ失いかけてんぞ。相変わらず破壊力たけーコンビだな」
 弘樹が目線を下に向けたまま苦笑する。
 俺は無言で地上から届く声に耳を澄ませていた。
「悠日も僕もA組だって。また1年一緒だよ、よろしく」
「そうか、最後まで同クラか。腐れ縁だな」
「ふふ、ほんと」
「榛名が一緒なら、卒業まで楽しく過ごせそうだ。じゃあ、教室行くか」
「うん」
 そんな言葉を交わして、二人は掲示板の前を離れた。
 見送る女子たちから、ほうっと感嘆のため息がこぼれる。
 俺も、昇降口に入っていく二人をぎりぎりまで目で追い、フェンスに強く額を押し付けていた。
(3年間同クラ……マジで、学校側の思惑説もあり得るな)
 とにかく絵になる二人だ。美少年好きと噂される副校長(五十路女性)が、そろえておきたいと思って圧力をかけても不思議はない。
「いいかげん離れろよ、デコに跡つくぞ」
(……あ)
 弘樹に言われ、俺はフェンスから頭を離した。
「おまえさあ。こんなとこからじーっと見てるくらいなら、声かけりゃいいのに」
「は……できるわけないだろ、んなこと」
「なんで。だって初対面じゃないじゃん。一応知り合いなんだから」
「そうだけど……どうせ、向こうは俺のことなんか覚えてない」
 ガキの頃のことだ。俺は小3、向こうは小4。
 俺にとっては鮮烈な思い出でも、きっと、あの人にとってはそうじゃないだろうし。
 あの頃、俺の見た目は今とは違ったけど、それでも印象に残るヤツだったとも思えない。
「いや、だから、思い出してもらうためにも……」
 弘樹は言葉を切った。俺のふて腐れた顔を見て、呆れたような、あきらめたような感じに口元をゆがめる。
「ま、気おくれする気持ちはわかるけどさ。こっちはいたって普通の一生徒、かたや向こうは学校のアイドル的存在だもんな」
「普通より地味寄りだろ、俺は」
 伸びざらしの硬めの黒髪。顔……たぶん、普通。流れる血はそこそこ特徴的なのだが、成長するにつれ、見事普通に仕上がった。
 背は178㎝で高めといえるかもしれないが、鍛えているわけでもなく、普通の体格。
 しゃれっ気なし。成績普通。帰宅部。目立つ要素ゼロ。社交性ほぼなし。
「地味……ん-、まあ、否定はしない」
(正直でよろしい)
「あの二人は、ちょっと異次元にいるよな。二人とも、何度も芸能事務所に声かけられてるし、読モになってくれってしつこく勧誘してくる雑誌社もあるって聞いたぜ」
 弘樹がそう言った時予鈴が鳴った。並んで扉へと歩き出す。
「そう思ってんなら声かけろなんて言うなよ」
「けどさー。こんな調子で、先輩卒業までの1年をおまえがジメジメ過ごしてくのかと思うとよー」
(ジメジメまで言うか)
 見てるくらいしかできないし、それで満足してるんだからいいじゃないか。
 出会った日からそうだったんだ。あの人は俺と何もかも違って、天使みたいで、特別で……
 存在さえ認識されていなくても、陰からそっとその姿を見つめられるだけで、俺は充分……
「あの人に助けられて。それからずっと、忘れられなかった大事な人なんだろ」
 そうだ、忘れたことなんか1秒もない。あの人がいなければ、今の俺もいないんだから。
「……それって好きなんじゃねーの。あの人のこと」
「!」
 心臓がドクッと大きな音を立てた。
 音に乗せられた2文字が、聞いちゃいけない言葉を聞いたように鼓動を速くする。
「……」
「おーい、蒼羽さーん? 2年目突入なんだぜ。そろそろそこんとこ、突っ込んでもよくね?」
「……俺は……ただあの人に、すごく、感謝してて……」
 だから特別だ。
 好きか? 好きに決まってる。好きじゃなければ毎日その姿を探したり、目で追ったりしない。あの人のことを考えない日はないくらいに好きだ。
 でも、それがどういう『好き』なのかなんて──
「……はあっ。ま、いいけど」
 次の句を継げない俺の背中をバシッとたたいて、弘樹はちょうどたどり着いた扉に手を伸ばした。