白い部屋で目が覚めた。辺りを見回す。カーテンレールがない……窓もない……
ここはパパとママのお家じゃない……

(えっ……? ここ……どこ?)
(……わたし、生き……てる?)

意味が全く分からない。わたし……お腹痛くて……死んじゃったんじゃないの?
そういえば、お腹が痛くない。呼吸も……いつも通り。

(一体、何がどうなってるの)

それにこのベッド。ここは誰かの家なのかしら……

ガチャッ……

(……!)

音がする方を振り向くと、ドアノブがゆっくりと回転している……誰かが入ってこようとしている。

(えっ……誰……)

ドアが開き、男性の顔が見えた瞬間、わたしは飛び上がった。

「校長先生!!!!」
「クロ。お帰り」
校長先生はいつもの優しい顔で、にこりと微笑んでくれた。

「……校長先生!? ほ、本物……?」
「あぁ。本物だよ」
「えええ……?」
驚きと懐かしさ。両方が一気にわたしを包む。涙が溢れ出て……止まらない……

「うわああああ……」
「ははは……そんなに泣く事ないだろう」
「だって……わああああん……」

後ろで腕を組み、静かにわたしを見守る……やっぱり。校長先生に間違いない。

「どうだい? 少し落ち着いたかい?」
「……はい」
「ほら」
校長先生はタオルをわたしに手渡してくれた。受け取って目の下に当てる。

「お帰り。クロ」
「えっ……? 『お帰り』って……どういうことですか」
「旅をしてきたんじゃないのか?」
「旅……」
「まぁ、良い。クロ、ついてきなさい」
そう言うとくるっと回転して、ドアの外へとゆっくり歩みを進めていく。

「あぁ……校長先生……待って下さい」
タオルをベッドに置いて、わたしも慌てて後を追う。

「……旅は、どうだったね?」
「……」
「楽しかったかい?」
「うーん……楽しかった……けど……悲しかった」
「はっはっはっ。そうかそうか」
歩きながら、穏やかに微笑む。でもわたしの方は向いてくれない。

「ね、先生?」
「何だね?」
「わたし……死んじゃったんだよね? ここって天国?」
「はははは……! 来たら分かる。ほら……ここだよ」
「あっ!」

そう。わたしがずっと授業を受けていた……教室。

「うわぁ……懐かしいなぁ」
「さ、クロ。開けてごらん」
校長先生の言葉に背中を押され、わたしは恐る恐るドアを開ける。

「あっ! ハチ! トラ! ……先生――!!」
教室の中は……わたしが覚えている景色が、そのまま残っていた。みんな、こっちを見ている。

「何よ……わたし……死んじゃったんだ……」
「あははっ! クロちゃんは相変わらずね」
サビ先生が笑って答えてくれた。

「えっ? 死んでないの?」
「まぁ……とりあえず……お帰りなさい」
「……えっ?」
「そうよね。訳が分からないかもね。……そこ、とりあえず座ったら」
わたしが授業を受けていた席。まったく同じだ……体が勝手に動いて、椅子を引いた。

「さ、これでみんな……戻ってきたんだね」
校長先生がわたしたちの前に立って、静かに話出した。サビ先生はその隣でにこやかな表情で立つ。

「どうだった。旅は」
「何を経験してきた? クロ」

「えっ……パパとママと……一緒に生活できた」
「そうか。どうだった」
「すっごく楽しかった! ……でも」
「でも?」
「パパたちに、すっごい迷惑かけた気がして……」
「そうか。クロは迷惑をかけたと思っているのか」
「……はい。病気にもなっちゃったし……ハチのお世話もしてもらったし……」
「そうかそうか」
「うん……」

校長先生はゆっくりと黒板の周りを歩く。ゆっくりと。何周も。
そして言った。

「パパ達が言ったのかい? 『迷惑だった』って」
「……えっ?」
「クロ。君は聞いたんじゃ無いのか? 最後のパパ達の言葉を」
「あっ……」

そうだった……
わたしが呼吸が苦しくて……意識がなくなっていくときに……
パパとママは言ってくれてた

『……にゃーちゃん』
『幸せな日々をありがとう……』
『うちに来てくれて、ありがとう……』
『また、姿を変えて……会いにきて……』
『にゃーちゃん……』
『……ありがとう……』

涙を流しながら……わたしの頭を撫でながら。

「パパたち……わたしと出会えて……幸せだったって……言ってくれてた」
「そうだろう?」
やっぱり駄目だ。思い出すだけで涙が出てくるよ……

「君は素晴らしい経験をして来たんじゃないのか?」
「……はい」
「楽しいって思ったんだろう?」
「はい……」
「パパ達と……もっと一緒にいたいって思ったんだろう?」
「はい……」
「幸せだったんだろう? クロも」
「……はい……」

「覚えているかな?」
「何が……ですか?」
「君たちが出掛ける前の言葉だ」
「……」
「君たちの『癒し』を『必要としている人がいる』って私は言ったんだ」
「……」

「『癒し』も『幸せ』も。与えるものじゃない。無理に与えられるものでもない」
「ただただ、ご縁があった人と……『ただそこに一緒にいること』なんだよ」
「そして」
「その人が『幸せだな』って感じたのであれば、幸せなんだよ」
「これが、幸せってことだ。分かるかい?」

「何となく……」

「君たちは、ある時は同じ家の中で。ある時は窓を隔てて中と外で」
「またある時は空を眺めて相手を想った。そうだろう?」

「うん……」

「別にそこに特別な感情なんて、無くて良いんだ」
「ただ純粋に、相手と一緒にいる。相手のことを想う。これが幸せって事だ」
「『幸せ』は、見つけるものじゃ無い。与えるものでも無い」
「……気付くことだよ。「ただそこにある」ということにね」

「……」

「だから」
「優しい人と一緒にいられたクロも」
「自分勝手な人に嫌気がさしたハチも」
「家を飛び出し、寒い外をうろついたトラも」

「……」

「みんな、みんな……幸せだったってことだよ」
「分かるかい?」
「それを『幸せ』と思うかどうかは……君たち次第ってことだ」

わたしは何となく意味が分かった。そうか……幸せって……気付くことなんだ。「今、幸せだな」って。たくさんのことを経験することなんだ……

「校長先生、わたし……何となく分かる」
「いっぱい経験したよ」
「幸せだった」

「そうか。旅に出る前より……良い顔になったね」
「良い旅だったみたいで、嬉しいよ」
校長先生はにこりと笑った。

「優しいパパとママ。君たち。色々な人たち、そして猫たち。色々な想いがそこにはある。空は繋がってるだろう?」
「空はね、そんな……全ての人や猫にとっての『パレット』なんだ。どんな色だって……良いんだよ」

校長先生が言ってたこと。
旅に出る前に、わたし達に言ってたこと。
そっか。そういうことなんだ……『パレット』って……そういう意味だったんだ。

「これで……次の学年に上がれるな」
「えっ……? どういうこと? 先生」

「お前達は、急な卒業だったからな……まだまだ教える事が山ほどあるんだよ」
「な? サビ先生?」
校長先生がサビ先生に顔を向けて言う。サビ先生はパチン!とウインクで答えた。

「さ、みんな! また今日から色々教えるわよ!」
「覚悟は良いかしら?」
サビ先生の高い声が、久し振りに教室に響き渡る。

「えーー!!」
わたしも、ハチも、トラも。みんな大声でせめてもの抵抗をした。

(でも……何よ……みんなさ、嬉しそうじゃない?)

みんな嫌がっているのに、嬉しそうな顔。
今日からまた、みんなと一緒に勉強できる!
パパとママの思い出を胸に……わたしは新しい生活を始める。

ここは「人と幸せに暮らす方法」を学ぶ学校「パレット」

でもね。分かったんだ。
「幸せに」暮らすんじゃない。

一緒に暮らせていること自体が――
すでに「幸せ」なことなんだよね――

ね?
そうだよね?
パパ
ママ




【完】