恋した君は、嘘のキミ──それでも、好きにならずにいられなかった──

布団に潜っても、眠気は一向に訪れなかった。
窓の外では、時折タイヤが濡れたアスファルトを滑らせる音がする。
それがやむと、部屋の中は息づかいと心臓の音だけになる。

目を閉じれば、すぐに浮かぶ。
紺の傘。濡れた前髪。
肩が触れそうな距離で、低く落ちた声。

「諦めないって言ったの、覚えてる?」

耳の奥に、まだその響きが残っている気がした。
消したいのに消えない。
むしろ暗闇では輪郭が濃くなって、瞼の裏に鮮やかに焼きついていく。

(……なんで、思い出すんだよ)

枕に顔を押しつけても、胸の奥のざわめきは収まらない。
「好きなんかじゃねぇ」――何度もそう繰り返してきたはずだ。
でも今、その言葉を頭の中で響かせると、すぐに別の声が返ってくる。

――嘘だろ?

心臓の音がそう告げる。
傘の下で肩を引かれたときに耳まで熱を持ったのはなぜだ。
濡れた髪を「かっこいい」と思ってしまったのはなぜだ。
全部、ただの錯覚で片付けられるのか。

(……違う。違うはずだ)

必死に否定しても、答えは変わらなかった。
本当はずっと気づいていた。
気づきたくなかっただけで。

息が苦しい。
布団の中で身体を小さく丸めても、心臓の音はますます大きくなる。
頭の奥が痺れるみたいに熱を持ち、指先が震えた。

「……会いたい」

気づけば、小さな声が零れていた。
誰にも聞かれないはずの呟き。
それなのに吐き出した瞬間、胸の奥で何かが決壊した。
否定を重ねてきた日々が、一瞬で崩れ去る。
残ったのは、たったひとつの気持ちだった。

――会いたい。

喉の奥が焼ける。
涙は出ないのに、目の奥が熱い。
枕を抱きしめ、暗闇の中で呼吸を整えようとするが、逆に荒さが増すだけだった。

夜が明けても、その熱は冷めなかった。



翌日。
朝の光は曇っていて、窓の外の空はまだ湿気を孕んでいた。
授業を受けても、ノートの文字が頭に入ってこない。
黒板に書かれた数式が、まるで異国の文字みたいに見えた。

昼休みも、購買でパンを買って人の少ないベンチに座っただけで、味なんて覚えていない。
ただ、ポケットの中のスマホがやけに重かった。

(……送るか。いや、やめとけ)

何度も取り出しては仕舞う。
画面を点けて、文字を打っては消す。
「今、会える?」
「話がしたい」
「昨日のこと――」
打ち込んでは、全部消した。
指先が勝手に震えて、まともな文章にならない。

夕方、自宅に戻っても状況は変わらなかった。
机に突っ伏して、スマホを見つめる。
白い画面に文字を並べても、削除ボタンを押すたびに、胸の奥がざわついた。

(……逃げてても仕方ねぇだろ)

自分に言い聞かせる。
何度も深呼吸して、ようやく短い言葉を打ち込んだ。

――会いたい。

送信。

一秒、二秒。
あまりに早く、既読がついた。

「……っ」

心臓が爆発する。
返事が来るまでの数秒が、永遠みたいに長かった。

すぐに、新しい吹き出しが現れる。

――じゃあ今夜、店じゃなくて外で会おう。

画面を見つめる指先が固まった。
返事を返す余裕なんてなかった。
ただ、その文字が胸の奥を貫いて、呼吸を奪った。

ベッドに倒れ込む。
画面の光が天井に反射して、青白く部屋を照らす。
心臓の速さはもう自分のものじゃなかった。

窓の外、街の灯りがぽつぽつと点き始めている。
夜の気配。ネオンの光。

――待ち合わせに向かう自分の姿を、想像するだけで胸が焼けそうだった。

鼓動と、画面の光だけが、今の俺を動かしていた。

そうだ。
俺は――あいつに会いたいんだ。