翌朝。
目覚ましのベルが鳴っても、布団から出る気力はなかなか湧かなかった。
頭の奥に残っているのは、昨夜の余韻――いや、残滓と言うべきか。
「……っ」
耳の奥に、まだあの熱が残っている。
指先で触れてみても、感触なんてあるはずないのに、そこだけが異様に敏感で、思い出すだけで胸がざわめいた。
(……全部、夢ならよかったのに)
そう思って顔を洗っても、冷水では熱を消せなかった。
鏡の前で見た自分の顔は、寝不足でひどく冴えない。
それでも大学には行かなくてはならない。
いつもと同じように、リュックを抱えて電車に乗り、校舎へ足を運ぶ。
――そして。
廊下の向こうに、見慣れた背の高さが見えた瞬間。
心臓が跳ねた。
(……奏真……)
いや、「レオン」なのか。どっちだ。
違う。どちらもあいつで……とにかく――昨夜の相手。
すぐに呼吸が乱れた。
「……っ」
反射的に視線を逸らす。
そのまま、何も見なかったふりをして通り過ぎた。
目が合ったかどうかも、確かめられなかった。
確かめたら最後、また心臓が暴れ出すのが目に見えていたから。
その日から、俺は桐嶋奏真を「無視する」と決めた。
決めた――はずだった。
廊下ですれ違えば、無意識に視線が吸い寄せられる。
ゼミの教室では、同じ空間にいるだけで背中が熱くなる。
ノートを取ろうと顔を上げたとき、ふと目が合ってしまった瞬間、慌てて逸らした。
……それが余計に、意識している証拠みたいで。
自分で自分に腹が立った。
(なんで……なんで俺が避けなきゃいけないんだよ……)
心の中で毒づく。
(いや、俺が避けるって決めた)
でも、言葉とは裏腹に、胸は落ち着かない。
昼休み、ゼミ仲間と学食で並んでいたときのこと。
「なあ、お前ら最近、なんかあった?」
不意にそう言われて、箸を持つ手が止まった。
「……は?」
「お前と桐嶋。ゼミのとき、目も合わせてないだろ。前は割と話してたのに」
軽い調子でからかわれただけ。
けれど心臓が跳ね上がる音は、他人に聞こえるんじゃないかと思うほど大きかった。
「別に……なにも、ない」
「ふーん? まあ、そう見えただけならいいけど」
友人はそれ以上追及せず、笑って唐揚げを口に運んだ。
俺は笑い返すこともできず、水を無理に流し込んだ。
喉が渇いているわけでもないのに。
(……まずい。気づかれたら……)
そう思うと余計に、胸の奥が落ち着かなくなる。
誰かに勘づかれるのが怖い。
でもそれ以上に、気づいてほしい自分がいることにも気づいてしまう。
講義後、教室を出ようとしたとき。
背中に視線を感じた。
振り返らなくてもわかる。
あいつだ。
気づけば足が速まる。
逃げるみたいに廊下を抜け、階段を下りた。
(……なんなんだよ、俺は)
無視しているはずなのに、気になる。
気にしないようにすればするほど、気になって仕方ない。
昨夜の感触が消えないから、どこまでも意識してしまう。
――耳に残る、熱。
――「俺には、ありえる」という声。
その記憶が、否定を押し潰していく。
校門を出たとき、胸を押さえた。
押さえたところで鼓動は収まらない。
むしろ、余計に暴れ出す。
「……なんで、無視してんのに……気になるんだよ」
吐き出した声は、夕暮れに紛れて自分にさえ届かなかった。
それでも心臓だけは、容赦なく答えを迫っていた。
目覚ましのベルが鳴っても、布団から出る気力はなかなか湧かなかった。
頭の奥に残っているのは、昨夜の余韻――いや、残滓と言うべきか。
「……っ」
耳の奥に、まだあの熱が残っている。
指先で触れてみても、感触なんてあるはずないのに、そこだけが異様に敏感で、思い出すだけで胸がざわめいた。
(……全部、夢ならよかったのに)
そう思って顔を洗っても、冷水では熱を消せなかった。
鏡の前で見た自分の顔は、寝不足でひどく冴えない。
それでも大学には行かなくてはならない。
いつもと同じように、リュックを抱えて電車に乗り、校舎へ足を運ぶ。
――そして。
廊下の向こうに、見慣れた背の高さが見えた瞬間。
心臓が跳ねた。
(……奏真……)
いや、「レオン」なのか。どっちだ。
違う。どちらもあいつで……とにかく――昨夜の相手。
すぐに呼吸が乱れた。
「……っ」
反射的に視線を逸らす。
そのまま、何も見なかったふりをして通り過ぎた。
目が合ったかどうかも、確かめられなかった。
確かめたら最後、また心臓が暴れ出すのが目に見えていたから。
その日から、俺は桐嶋奏真を「無視する」と決めた。
決めた――はずだった。
廊下ですれ違えば、無意識に視線が吸い寄せられる。
ゼミの教室では、同じ空間にいるだけで背中が熱くなる。
ノートを取ろうと顔を上げたとき、ふと目が合ってしまった瞬間、慌てて逸らした。
……それが余計に、意識している証拠みたいで。
自分で自分に腹が立った。
(なんで……なんで俺が避けなきゃいけないんだよ……)
心の中で毒づく。
(いや、俺が避けるって決めた)
でも、言葉とは裏腹に、胸は落ち着かない。
昼休み、ゼミ仲間と学食で並んでいたときのこと。
「なあ、お前ら最近、なんかあった?」
不意にそう言われて、箸を持つ手が止まった。
「……は?」
「お前と桐嶋。ゼミのとき、目も合わせてないだろ。前は割と話してたのに」
軽い調子でからかわれただけ。
けれど心臓が跳ね上がる音は、他人に聞こえるんじゃないかと思うほど大きかった。
「別に……なにも、ない」
「ふーん? まあ、そう見えただけならいいけど」
友人はそれ以上追及せず、笑って唐揚げを口に運んだ。
俺は笑い返すこともできず、水を無理に流し込んだ。
喉が渇いているわけでもないのに。
(……まずい。気づかれたら……)
そう思うと余計に、胸の奥が落ち着かなくなる。
誰かに勘づかれるのが怖い。
でもそれ以上に、気づいてほしい自分がいることにも気づいてしまう。
講義後、教室を出ようとしたとき。
背中に視線を感じた。
振り返らなくてもわかる。
あいつだ。
気づけば足が速まる。
逃げるみたいに廊下を抜け、階段を下りた。
(……なんなんだよ、俺は)
無視しているはずなのに、気になる。
気にしないようにすればするほど、気になって仕方ない。
昨夜の感触が消えないから、どこまでも意識してしまう。
――耳に残る、熱。
――「俺には、ありえる」という声。
その記憶が、否定を押し潰していく。
校門を出たとき、胸を押さえた。
押さえたところで鼓動は収まらない。
むしろ、余計に暴れ出す。
「……なんで、無視してんのに……気になるんだよ」
吐き出した声は、夕暮れに紛れて自分にさえ届かなかった。
それでも心臓だけは、容赦なく答えを迫っていた。

