低く流れるジャズのリズムが、氷の音と重なってとけていく。
ホストクラブの空気にも、もう慣れたと思っていた。けれど――レオンが目の前に座ると、結局いつもみたいに胸がざわつく。

「今日も、来てくれてありがと」

「……べ、別に、その……暇だっただけ、で……」

言い訳めいた声が、自分でも情けなく響いた。
レオンは口元をゆるめて「そう?」とだけ返す。
その微笑みの奥が、どうにも読みきれない。

カウンター越しに響くグラスの音や、他の客の笑い声。
そのすべてを遮るみたいに、レオンとの距離だけが鮮明だった。
大学の話、アルバイトの愚痴、ニュースの小さな話題。
他愛ない会話のはずなのに、レオンの相槌は一つひとつに温度がある。

(……わかってる。これは“仕事”だ。惑うな、俺)

安心させるための計算だって、頭では理解していた。
なのに、声の抑揚やちょっとした間合いが、妙に心臓を甘やかしてくる。

「ねえ、陸くん」

唐突に声の調子が変わった。
低く、真剣な響き。
いつもの軽さを消して、まっすぐに射抜いてくる。

「俺だけ、見てよ」

その言葉に、呼吸が詰まった。
ジャズのリズムが遠のいて、自分の鼓動だけが大きく響いてくる。
営業トークにしては真剣すぎる。
冗談にしては、視線が揺れなさすぎる。

「……そ、そんなの……レオンさん、俺をからかいすぎだって……!」

誤魔化す声が自分でも声が上ずっているのがわかった。
笑い飛ばしたつもりなのに、逆に必死に縋るみたいになってしまう。

しかし――

「……違うよ」

返ってきた声は即答だった。
低く、真剣で、余計な飾りも軽口もなかった。
目を逸らせないほど強い視線が、まっすぐに突き刺さる。

(……ちが、う? 本気で……?そんな、馬鹿な……)

心臓が暴れて、耳鳴りのように鼓動が響く。
のどが乾いて、グラスに伸ばそうとした手が震えた。
逃げ道を探すようにテーブルへ視線を落とした瞬間、手首を取られた。

「……っ」

軽いのに、逃がさない力。
驚いて顔を上げると、レオンの瞳がすぐそこに迫っていた。
黒目がちの瞳に自分の顔が映っていて、そこから逃げられなかった。

「……本気。俺はずっと、陸くんを見てるよ?」

囁きは、熱を帯びた吐息と一緒に耳をなぞる。
肩と肩が触れそうな距離まで、ソファが沈み込む。
香水の甘さと体温が混じった空気が、胸の奥へ流れ込んでくる。
だから、とレオンが言葉を紡ぐ。

「ほんの少しでいい。俺を見て」
「っ……ち、近いって……!」

拒む言葉を吐いたのに、身体は固まったまま。
ソファに沈んだ背中が熱を持って、逃げ場がなくなる。
レオンの膝が視界の端にあり、その近さが逆に実感を強めた。

わずかにレオンは口角を上げる。だが、その目は真剣なまま――。
視線だけで心臓を掴まれて、息の仕方を忘れそうになる。

……と、次の瞬間。

ふっと笑みが軽く戻る。
いつもの柔らかい仮面をかぶったように。

「……ね。覚えておいてね?」
「……っ」

何を覚えろっていうんだ。
問い返す言葉は喉で渦巻いて、声にならなかった。
ほんのさっきまでの真剣さとの落差が、余計に刺さる。

グラスの氷が、澄んだ音を立てて崩れる。
その音に、自分の心臓まで砕かれていくようで、落ち着かなかった。
汗ばむ手をズボンにこすりつけても、鼓動は収まらない。

(……なんで、あんな顔……)

営業なのか、本気なのか。
本気と信じたい俺と、冗談にしたい俺が、同じ胸の中でぶつかり合う。

そして――どちらを選んでも、結局はこの視線から逃げられない自分に気づいてしまう。