遠いあの日の約束


「行っちゃったな」
「だな」
「なぁ、セレク。お前は何でこの船に乗ったんだ?」

 カイルは暗くなってきた空を見上げながら、セレクにそう問う。
 セレクが船に乗った理由は自分の夢に関わることでもあった。

「んー、俺さ、画家を目指しているって言っただろ? そういうことをもっと学びたいから、プロの画家の弟子になりに行く!って親に言ったら、案の定、反対されてさ」

 セレクは家を出て行く前の両親とのやり取りを思い出しながら、月の光によって照らされている水面を見つめながら、ふと気付く。

 自分は親の思いを聞こうとはしなかった。聞いたところで、自分の夢を認めて応援してくれると思えなかったからだ。

 俺は一方的に自分の気持ちだけを伝えるだけで、母さんと父さんの思いを聞こうともしなかった。

「なるほど。そうだったのか」

 カイルの声にセレクは、はっと我に返る。

「そうそう、特に反対したのは父親の方だったんだけどな」
「何か少し羨ましいな。俺の親は小さい頃、離婚したから、そういう風に両親から言ってもらえるのは、俺からしたら凄く羨ましい……」

 カイルの父親と母親は、仲が良かったが、互いの考えの違いから離婚し、カイルは父親の方で育てられた訳である。

「そうか、そうだよな。カイル、お前は母親に会ったら、一番、何を言いたい?」

 セレクの唐突な問い掛けにカイルはほんの少し考え込む。

「母さんに会ったらかぁ…… んー、母さん、久しぶり、とかかな?」
「めっちゃ普通じゃないか!」
「でも、普通が一番だろ。会いたいかったよ、母さん!って言うのも何かむず痒いしさ」

 カイルは苦笑しながら、そう返答してセレクの方に顔を向ける。

「まあ、確かに、そうだよなぁ……」
「ああ、」

 暗くなった夜空を見上げながら、カイルは左隣に立つセレクに対して、気になっていたことを質問する。

「なぁ、セレクはさ、ティーナのことが好きなのか?」

 カイルの唐突な言葉にセレクは動揺の声を上げる。

「えっ……! い、いきなりどうしたんだ?」
「いや、流石は身分が高い位に立つ人というか。とても美人で可愛いじゃないか? その、ティーナは」

 どうやら、カイルはティーナのことを好意的に思っているらしく、自分セレクがティーナのことをどう思っているのか、気になっているようである。

「んー、俺はそういう目線で見ていなかったからな。確かに美人で可愛いとは思うが……」

 セレクの微妙な返答にカイルは思わず、眉を寄せる。

「好きじゃないのか?」
「いや、まだそういう風に思うきっかけがないから、何とも言えないが」
「そうか……」
「ああ、うーん、あのさ、もしかして、カイルはティーナのことが好きなのか……? その、さっき出会ったばかりだよな?」

 セレクの言葉通りティーナとカイルは、先程、出会ったばかりである。

 一体、ティーナの何に惹かれたのか、純粋に気になったセレクは、話しを終わらせることをせずに、会話を続ける。

「そうだけど、何か一目惚れっていうか。まあ、最初に会った時は、母親に似ていたから、驚いたけど。よく見ると綺麗で可愛いなってことに気付いて……」
「ほう、それで意識し始めたと?」
「まあ、そうかなぁ」
「けど、お前さ、そんな素振り一度も見せなかったじゃないか」

 カイルがティーナと初めて会ったのは今さっきであったが、カイルは最初、自分の母親とティーナが似ていることに対して、驚いていた為、ティーナに好意を抱いているという気持ちはわかりやすく表に現れていなかった。

「まあ、俺、劇団とかに所属していたことが小さい頃あったから、多少、感情を抑えて取り繕ったり、演技をするのはそう難しくはなくてさ」
「なるほどな」
「でも、セレクと出会えたから、ティーナにも会えたような物だし、セレクが好意を抱いているのなら、身を引こうと思ったんだけど、よかったよ」
 
 カイルは安心した顔をセレクに向ける。セレクはカイルが何に対してのよかったなのか、わからず聞き返す。

「良かったって……? 俺がティーナに好意を抱いていなかったことがか?」
「まあ、そうだね」
「ふーん、そうかぁ~」

 セレクのそっけない返事にカイルは眉間に眉を寄せる。

「やっぱり、好きなんじゃないのか?」
「んー、まだ、わからないけど。何かきっかけがあれば好きになるかもな」

 セレクは好きになることはないと断言は出来ないなと思い、素直な気持ちを言葉にする。

「なるほど。じゃあ、ライバルだな」
「いや、まだ好きかどうかもわからないんだが」
「これからだろ?」

 カイルはそう言い優しい笑みを溢した。
 


 穏やかな夜の海上で、ゆっくりと時間が流れていく。先程、夕食を食べに立ち去ったティーナがセレクとカイルの元に戻って来たのは、セレクとカイルの会話が一区切りついた頃であった。

「あら、2人共、まだ話していたの?」

 ティーナはもう部屋に戻っていると思っていたのか、カイルとセレクを見て少し驚いた顔を見せる。

 セレクとカイルは苦笑しながら、そんなティーナに対して返事をするべく口を開いた。

「ああ、カイルとは男同士の深い話をしていたんだ。な? カイル」
「ああ、そうだな」
「へえ、どんな話か気になるわ」

 ティーナはセレクとカイルの顔を見ながらそう言うと、カイルは夜の空を見上げながら呟く。

「それより、ティーナ。今日はとても星が綺麗だよ」

 カイルの声でティーナとセレクはカイルと同じように無数の星が瞬く夜の空を見上げた。

「本当だ。とても綺麗ね」
「ああ」



「綺麗な夜空ね」

 星が煌めく夜空を見上げながら、エレノアは独り言のように呟く。そんなエレノアの姿を見掛けた1人の航海士(エリック)はエレノアの隣にそっと歩み寄り、声を掛ける。

「お隣いいですか?」
「ええ、いいですよ」

 エレノアの返答にエリックは軽く会釈し、会話を続ける。

「俺、最近、仕事ばかりで実家に帰れていないんですよ」
「そうなんですね」
「はい。あ、あと、貴方のことは船内でお見掛けしていたので、一方的に認知しておりました」

 エリックは今日、見かけたことをさりげなくエレノアに伝えると、隣に立ち、夜の空を見上げていたエレノアはエリックの方に顔を向けて微笑み返答する。

「まあ、そうなんですか。私も貴方のことを遠目でお見掛けしましたよ」
「あ、そうなんですか?」

 エリックの問い掛けにエレノアは頷き、話し始める。

「私、婚約者がいるんですけれど、その人は、私には勿体なさすぎるくらい素敵な方で、それに彼はこの先もきっと、私のことを愛してはくださらない。だって、彼には心から思って愛している方がいらっしゃるもの」

 エレノアには婚約者がいた。
 けれど、相手の婚約者には思い人がいる。

 そのことをエレノアは知っていた。
 けれど、エレノアには婚約破棄をすることは出来なかった。

 エレノアの父親は大企業の社長であり、婚約者である相手の親は全国に100店舗を経営する名の知れた有名ブランド店の最高経営責任者である。

 そして、エレノアの父親と婚約者である相手の父親は高校時代からの付き合いであり友達であった為、自身の子供を引き合わせ、婚約の話しを持ち出すこともごく自然な流れであった。

 私も彼も婚約を破棄したいと言うことが出来ていたら、苦労はしないのだが。

 気持ちは私以外の人に向けていてもいい。そう互いに了承した上で、私は彼の気持ちのない形だけの婚約を受けたのだ。

「その彼が、貴方以外の人を愛しておられるのなら、貴方は彼じゃない人と幸せになればいい。そうだな、例えば、俺とか?」

 エリックの冗談混じりの言葉にエレノアは苦笑する。

「ふふ、そうね。けど、まだ、名前も知らない貴方とは恋人になるのも難しそうね」
「ご最もです」
「まあ、でも、そうね。貴方のその言葉で私がこれから取るべきである行動が何となくわかったわ」

 エレノアの何処か吹っ切れた顔を見て、エリックは優しく微笑む。

「それは何よりです」