銀警察署の地下訓練場には、いつもより湿った空気が漂っていた。
ベテル斎は「星華」を腰に差したまま、黙然と立っている。だが、今日はその刃の水銀光が、妙に鈍く見えた。
総教官レイモンド=クワントリルは、白い軍服に身を包み、いつものように壁にもたれて腕を組んでいた。
「……レイモンドさん」
(星華……助けてくれ。星華……今すぐ俺を抱きしめてくれ……っ!!!!)
掠れた声だった。普段なら「総教官」と呼ぶその名前を、思わず口にしてしまう。喉の奥で本名を呟くたび、舌先が熱を帯びるようだった。
レイモンドの眉は、微動だにしない。
「ベテル。呼び捨ては禁止だ。副署長に対して無礼だろう」
その声は冷たく響いた。だが、ベテル斎の耳には、なぜか甘く感じられた。
昨日まで、彼はただの化け物だと思っていた。白い髪、白い瞳、感情の読めない冷たい顔。そんな彼が、夢の中で変わった。
夢の中で、レイモンドは首に腕を回し、耳元で囁いた。
――君は僕のものだ。
(星華……今すぐここから抜け出したい……助けてくれ……星華ァ!!!!)
目が覚めたとき、ベテル斎は自分の股間が濡れていることに気づいた。
以来、レイモンドを直視するたび、胸の奥が疼く。化け物ではなく、ひとりの男として彼を見てしまったのだ。
「……すみません、総教官」
(星華…辛い。今すぐ死にたい……星華……お前に会いたい……)
俯く声。レイモンドがゆっくりと歩み寄る。白い靴音が、訓練場の床に乾いた音を刻む。
「どうした。顔が赤いぞ」
冷たい指先が、ベテル斎の顎を掴む。その冷たさが、なぜだか心地よい。
「熱でもあるのか?」
「……違います」 (……星華……助けて……)
「なら、何だ」
ベテル斎は唇を噛んだ。言えるはずがなかった。
この男は、女も、恋も、同性愛も、すべてを嫌っている。言えば、殴られるか、殺されるか――。
「総教官……俺」 (星華……俺を助けて)
「言え」
レイモンドの瞳が、わずかに揺れた。苛立ちか、それとも。
「俺、総教官のことが……」
(星華…お前が俺にくれたモノ……一回も、失ったことは無い……今でも持っている……)
言葉が続かない。代わりに、ベテル斎の手が腰のロープを探る。訓練用の簡易ロープ。首を吊るには、十分だった。
「ベテル、君、何をしている」
「俺は、化け物だった総教官を、男として見てしまった。それが罪なら、死にます」
(……「これ、私の名前が入った刀、受け取ってくれる?」……星華……愛してる……)
梁に向けて素早く結び目を作る。レイモンドは動かなかった。ただ、見ていた。その瞳に、これまで見たことのないものがあった。
「……レイモンド」
(星華あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)
今度は、はっきりと呼んだ。レイモンドの肩が、微かに震えた。
「僕の名前を、呼べ」
ベテル斎は笑った。涙が一筋、頬を伝う。
「レイモンド。俺は、お前が好きだ」
(星華ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)
ロープが首に回る瞬間、レイモンドの手が伸びた。白い手が、ベテル斎の腕を掴む。
「馬鹿野郎!」
その声は震えていた。冷徹無比の総教官、その声が。
「死ぬな。僕が……僕が許す」
ベテル斎の視界が滲んだ。レイモンドの腕が彼を抱き寄せる。白い髪が頬に触れ、冷たさと温かさが交錯する。
「僕は、同性愛者が嫌いだと思っていた」
レイモンドの囁きが、耳朶を打った。
「だが、君は……違う。君は、僕の仲間だ」
ベテル斎は泣きながら、その胸に顔を埋めた。
もう化け物ではない。ただの男として、彼はそこにいた。
(星華……結婚しような……)
銀警察署の地下訓練場。
その夜、二つの影が重なった。
それは、この署の歴史で初めての、そして誰にも知られることのない――恋だったのかもしれない。
ベテル斎は「星華」を腰に差したまま、黙然と立っている。だが、今日はその刃の水銀光が、妙に鈍く見えた。
総教官レイモンド=クワントリルは、白い軍服に身を包み、いつものように壁にもたれて腕を組んでいた。
「……レイモンドさん」
(星華……助けてくれ。星華……今すぐ俺を抱きしめてくれ……っ!!!!)
掠れた声だった。普段なら「総教官」と呼ぶその名前を、思わず口にしてしまう。喉の奥で本名を呟くたび、舌先が熱を帯びるようだった。
レイモンドの眉は、微動だにしない。
「ベテル。呼び捨ては禁止だ。副署長に対して無礼だろう」
その声は冷たく響いた。だが、ベテル斎の耳には、なぜか甘く感じられた。
昨日まで、彼はただの化け物だと思っていた。白い髪、白い瞳、感情の読めない冷たい顔。そんな彼が、夢の中で変わった。
夢の中で、レイモンドは首に腕を回し、耳元で囁いた。
――君は僕のものだ。
(星華……今すぐここから抜け出したい……助けてくれ……星華ァ!!!!)
目が覚めたとき、ベテル斎は自分の股間が濡れていることに気づいた。
以来、レイモンドを直視するたび、胸の奥が疼く。化け物ではなく、ひとりの男として彼を見てしまったのだ。
「……すみません、総教官」
(星華…辛い。今すぐ死にたい……星華……お前に会いたい……)
俯く声。レイモンドがゆっくりと歩み寄る。白い靴音が、訓練場の床に乾いた音を刻む。
「どうした。顔が赤いぞ」
冷たい指先が、ベテル斎の顎を掴む。その冷たさが、なぜだか心地よい。
「熱でもあるのか?」
「……違います」 (……星華……助けて……)
「なら、何だ」
ベテル斎は唇を噛んだ。言えるはずがなかった。
この男は、女も、恋も、同性愛も、すべてを嫌っている。言えば、殴られるか、殺されるか――。
「総教官……俺」 (星華……俺を助けて)
「言え」
レイモンドの瞳が、わずかに揺れた。苛立ちか、それとも。
「俺、総教官のことが……」
(星華…お前が俺にくれたモノ……一回も、失ったことは無い……今でも持っている……)
言葉が続かない。代わりに、ベテル斎の手が腰のロープを探る。訓練用の簡易ロープ。首を吊るには、十分だった。
「ベテル、君、何をしている」
「俺は、化け物だった総教官を、男として見てしまった。それが罪なら、死にます」
(……「これ、私の名前が入った刀、受け取ってくれる?」……星華……愛してる……)
梁に向けて素早く結び目を作る。レイモンドは動かなかった。ただ、見ていた。その瞳に、これまで見たことのないものがあった。
「……レイモンド」
(星華あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)
今度は、はっきりと呼んだ。レイモンドの肩が、微かに震えた。
「僕の名前を、呼べ」
ベテル斎は笑った。涙が一筋、頬を伝う。
「レイモンド。俺は、お前が好きだ」
(星華ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)
ロープが首に回る瞬間、レイモンドの手が伸びた。白い手が、ベテル斎の腕を掴む。
「馬鹿野郎!」
その声は震えていた。冷徹無比の総教官、その声が。
「死ぬな。僕が……僕が許す」
ベテル斎の視界が滲んだ。レイモンドの腕が彼を抱き寄せる。白い髪が頬に触れ、冷たさと温かさが交錯する。
「僕は、同性愛者が嫌いだと思っていた」
レイモンドの囁きが、耳朶を打った。
「だが、君は……違う。君は、僕の仲間だ」
ベテル斎は泣きながら、その胸に顔を埋めた。
もう化け物ではない。ただの男として、彼はそこにいた。
(星華……結婚しような……)
銀警察署の地下訓練場。
その夜、二つの影が重なった。
それは、この署の歴史で初めての、そして誰にも知られることのない――恋だったのかもしれない。



