銀警察署の格納庫は、深夜になると機械油と冷却液の匂いが濃くなる。
整備中のドローンが低く唸り、床に落ちた工具が乾いた金属音を立てて転がった。
奏史朗は、今日も最後の点検を終えたところだった。
人間部門トップクラスの成績。信頼率ナンバーワン。
「奏史朗さんなら任せられる」――仲間はそう言い、安心して背を預ける。

だが今夜、彼の指先は、レンチを握ったまま震えていた。

原因は、格納庫の奥に立つ男――オジェ=ル=ダノワ。
白い髪、白い瞳。銀の制服に包まれた屈強な体躯は、まるで精密に設計された機械だった。
怜悧で、冷徹。言葉の一つひとつが、規格通りの出力のよう。
奏史朗にとって、彼は「人間」ではなかった。
感情を持たぬ存在、銀警察の教官としてただ機能する“完璧”。

──そう、これまでは。

昨夜の夜間訓練のとき。
ドローンの制御パネルに指を伸ばしたオジェ=ル=ダノワの袖口が、ふと緩んだ。
白磁のような手首が露わになり、一滴の汗が首筋を伝って鎖骨の窪みに落ちた。
それを見た瞬間、奏史朗の呼吸が止まった。
理性より先に、彼を「女」として見てしまったのだ。

「奏史朗」

低く、氷を砕くような声が格納庫に反響する。
振り向くと、オジェ=ル=ダノワが立っていた。
白い瞳が、まっすぐに彼の心臓を射抜く。

「明日の夜間演習、君が指揮を執る」

「……了解!」

掠れた声が、格納庫の空気の中に溶けた。
唇が震えて、名を呼べない。
(オジェ……俺は……)
心の中で繰り返すたび、胸の奥が焼けた。
その名を口にした瞬間、自分が壊れてしまう気がした。

深夜。誰もいない工具倉庫。
奏史朗はワイヤーロープを手に取った。
天井のクレーンに結びつけ、首にかける。
静かな呼吸が、機械油の匂いに溶けて消える。

──正義感? 責任感? 笑わせる。

こんな妄想を抱いた自分など、許せはしない。
仲間を裏切り、銀警察の誇りを汚した。
男の体躯を、女として見てしまった時点で――
彼はもう「奏史朗」ではなかった。

足場を蹴る。
首が締まり、視界が白く滲んでいく。
最後に浮かんだのは、白い髪と、白い瞳。
そして、けっして口にできなかった名。

──オジェ。

翌朝。
格納庫の床に、一枚の遺書が置かれていた。

「オジェ=ル=ダノワ教官へ。
俺は機械を見た。
けれど、壊れたのは俺の方だった。」

オジェ=ル=ダノワはそれを読み終えると、
無言で制御パネルに指を伸ばした。
ドローンが完璧な軌道を描いて上昇する。
白い瞳には、何の感情も映っていない。
ただ、タッチパネルに触れた指先が――
ほんの一瞬だけ、止まった。

「……君を壊した機械を壊す」