暗い雲がバルザンクスを覆うと同時に、ぽつぽつと雨が降り始めた。
 やがてそれは勢いを増し、ぼくが魔道具を作り終えるころには、バケツをひっくり返したような勢いになっていた。
 村人たちはすでに高台のほうへ避難が完了していて、いまはガグラウさんや村長に近い人たちが最後の見回りをしているところだった。

「ガグラウさん」
「うぉ!? マヒリトさん!?」

 畑の様子を眺めるガグラウさんの後ろから、雨音に遮られないように大声で声をかけると、彼は驚いた様子でこちらを振り向いた。
 ガグラウさんはカッパを着ているものの、強すぎる雨のせいか顔はビシャビシャで、中の服も濡れているようだった。
 ぼくはといえば、体のすぐ回りを空気しか通さないバリアをつける魔道具を身に着けたから、傘やカッパがなくても濡れる心配はない。
 強いて言うなら、なんかビニールに梱包されているみたいで違和感はあるけれど。

「な、なんだってまだこんなところに!」
「思うところが少しありまして」

 焦った様子のガグラウさんに魔道具を見せる。すると、彼は首をかしげ、しげしげとそれを眺めた。

「ガグラウさんは、土壌の流出を気にしているんですよね?」
「だが、人命が優先だ。……この広大な畑を守れるほどの魔道具も設備も、この村にはないんだ」
「なので、土壌の流出をなるべく防ぐ魔道具を作ってきました」
「……は?」

 ローブの中からガグラウさんに見せた魔道具を取り出す。
 手のひらに収まるくらいの小さな魔道具。
 金属質の立方体というただの置き物にしか見えない魔道具だけど、突貫で作ったからデザインについては見逃してほしい。
 その魔道具を次から次へローブから取り出し、最終的に100個ほど取り出した。
 両腕だけでは抱えきれなくて、念のために持ってきていた布袋にいれてあげた。

「さすがにこの広大な畑すべてを覆う量は作り切れなかったんですけど、上流からの勢いのある水流を防ぐのは足りきると思います」
「あ、ありがてえけど……こんなもらっても、金なんか出せねえよ」

 魔道具――鉄壁魔道具とでも名付けようか――を手にするガグラウさんだが、その表情は浮かない。
 なんならこちらに返してこようとまでしてきた。

「この村はこれまで、どこの街にも団体にも金を借りないでやってきたし、これからもそうするつもりだ。もしこれで儲けたいんなら、これは全部いらん」
「いや、とくにお金はいらないです」
「それならそれで困る。無料の貸し借りはあとあとに響くだろ」

 言わんとしていることは理解できる。
 そもそもバルザンクスは辺境にある穀物栽培で生計をなしている村。魔道具を大量に買うほどの資金の猶予はないのだろう。
 しかもこれから大雨被害のための補填が待っている。となるとここで効果があるのかわからない魔道具に無駄遣いはできない。
 かといって、無料でもらおうものなら、それからずっと恩というものが付きまとってくる。強請られるのも勘弁なのだろう。
 ぼくとしては、後輩であるノイくんの実家がある村のお手伝い、くらいの気持ちだったんだけど……

「そしたら、パンを焼いてください」
「パ、パン?」

 険しい顔つきだったガグラウさんが、きょとんと目を見開く。
 あっけに取られる彼を見つめながら、ぼくは続けた。

「とくにぼくもいまお金には困っていませんし、かといってこの村に恩を売りつけるつもりもありません。なら、美味しいパンが食べたいな、と」
「…………あんた、変なやつだなぁ」
「よく言われます。あ、そこまで大量にもらっても腐れてしまうので、今度ノイくんに送る分にぼくの分を少し追加してもらえれば大丈夫です」
「本当に、それでいいのか?」
「ええ、もちろん。この村の小麦で作られたパンはとても美味しいですから、この魔道具と引き換えるほどの価値があります」
「ははっ! あんた、本当に変わってるんだな! よし、たくさん食わせてやる!」

 いや、だからたくさんはいらない……と言おうとしたところで、突然ガグラウさんに担ぎ上げられた。
 急な浮遊感にびっくりするが、ガグラウさんの体幹がしっかりしているからか、不安定な様子はまったくない。
 ただ、まるで俵を持つように担ぐのはすこしやめてほしいかも。

「よし、善は急げだ。今からその魔道具を設置しに行くぞ。どこに置いたらいい?」
「水の流れ的に、標高高めのほうにずらりと置きましょう」
「おし、んじゃ、ちゃんと掴まってろよ!」
「え、わ、うわああ!?」

 ガグラウさんはそう言うと同時に、凄まじい勢いで走り始めた。
 凄まじい風と雨だとか、地面がぬかるんでいるとかがあっても、おそらく魔法特務機関の誰もが勝てないほどの勢いで、舗装されていない地面を駆けていく。
 まあ、どちらかというと魔法特務機関に非力が多いだけなんだけど。
 そうしてすぐに畑のもとにたどり着き、ガグラウさんは走り、ぼくは担がれながら魔道具を等間隔に落とす役目となった。
 ガグラウさんの瞬足のおかげで、魔道具の設置はすぐに完了した。
 本当に大量の水が流れてきそうなところに限定したからすべてをカバーできるわけではないけれど、これで甚大な被害は回避できるはずだ。

「よし、あとはこれで」

 すべてを設置し終え、担がれたまま高台までやってきたぼくは、最後に大きく手を叩く。
 すると、畑に置かれた魔道具が光りだしたかと思うと、標高の高いほうに向かって障壁を形成した。
 水が流れる先は川だから、他の場所に迷惑をかけることはない……はず。
 ちなみに、魔道具が展開したことで、地中深くに根のように棒を伸ばしたから、そう簡単に移動することはない。
 ……そのおかげで、片付けるのがすこし大変になっちゃったけど、まあそれはいいか。

「たすかった、マヒリトさん」
「いえ、ぼくもパンを食べたいという下心がありますので」

 するとガグラウさんはニカッと歯を見せて笑い、ぼくの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。

「雨が止んだらたらふく食わせてやるから、覚悟しておくんだな」
「おーい、村長さーん!」

 すると、高台に設置された簡易的な小屋から、村民のおじいさんが出てきた。

「すまん、行かなければ。マヒリトさんも、空島に戻って避難してくれよ」
「ええ、気を付けてくださいね」
「ガハハッ、そっちもな」

 ガグラウさんはもう一度ぼくの頭をわしゃわしゃと撫でまわすと、おじいさんのほうへ駆けて行った。
 その後ろ姿を見て、父親ってこういう感じなのかな、とふと思った。