「だからさ、だいぶ頑張ったと思わない? 珍しく新人育成会議に出たし、経営戦略会議は……サボったけど」
『ええ、マヒリト先輩にしては、とっても頑張ったと思いますよ。4つあるうちの1つの会議に出ただけても、快挙です。本当に』
「ねえ、なんでそんなに言葉に気持ちがこもってないの?」

 照りつける陽がだいぶ和らいで、過ごしやすくなったとある日。
 遠くに雪が積もった山々と、眼下に一面黄金色の景色を眺めながら、ぼくは空島の桟橋に座り、ハヤブサのノイジュニアくんに尋問されていた。
 厳密に言うと、ノイジュニアくんを操るノイくんに、だけど。

『まあ、会議に出てくれたのはありがたいことですから、ありがとうございます。……いや、もともとはマヒリト先輩の仕事なんですけど。それで、なんで魔法特務機関から遠く離れた、メブラスカ島にいるんですか?』

 ノイジュニアくんの眼光が鋭くなった、ように見えた。
 いや、でもたしかノイジュニアくんは音声しかやり取りできなかったはずだ。だってぼくが作ったんだもん。
 ぼくは傍らに置いたお皿から、パンを手に取った。
 魔法特務機関の自室から持ってきたパンなのだけど、これがまあ美味しかった。
 小麦の香りが強く、咀嚼してもまったくパサパサにならない。それでいて、バターやジャムを使わなくてもまったく飽きない味は最高だ。

「そりゃあもちろん、ぼくのライフワークである魔道具の研究だよ。今回は気温や空気中の湿度を観測して、自動的に天気予報を……」
『それ、魔法特務機関(こっち)でもできますよね? というか、なんで人の食事を勝手に持ってってるんですか?』
「ノイくん! 人が作った魔道具を改良するのは、魔術師の倫理的にいかがなものかと思うよ!」

 ノイジュニアくんの目が、ぼくの手元をじっと見つめてから、再びこちらを睨みつけた。

『これをくれたとき、「好きにしな」って言ったのはあんたですからね。ちゃんと録音もしてますから』

 魔法特務機関に入ったときは、堅物で規律をしっかり守らないといけない、と豪語していたのに、たかだか1年と少しでこんなに変わってしまうなんて……!

「そんな子に育てた覚えはありません……!」
『いや、あんたに育ててもらった覚えはないですけど。……まあいいや。先輩、いつごろ戻ってきます?』

 はあ、と大きなため息が聞こえてきた。ノイくんにはいつも手間ばかりかけてるからね……

「今やってる魔道具は最終調整だけで、それからバルザンクスに寄ってから帰るから、2日後くらいには帰れると思うよ。何か質問でもあった?」
『は? バルザンクス!?』

 ノイくんの叫びとともに、ノイジュニアくんがバサバサと勢いよく羽ばたく。まさか感情も伝達できるようになっているなんて。

『あんた、なんで俺の地元なんかに行くんですか!』
「先輩チューターは年に1回、後輩のご両親と面談することになったんだ。この間の新人育成会議で言ってたよ」
『だから珍しく自分で出たのか……!』
「そういうこと。つまりは、家庭訪問ってやつ」

 ノイジュニアくんの喉元から、『うわぁああ!!』とか『おい噓だろ!!??』とか聞こえてくるが、ノイズが強くてよく聞こえない。
 まあ、慌てているのは間違いないか。

「ということで、何か質問があったら明後日くらいに見るから、それまで別の研究進めてて」
『ちょっ、待て! マヒリト先ぱ――』

 ノイジュニアくんの首元のスイッチをオフにしたせいで、ノイくんの叫びが途中でプツンと消える。
 こうなることを予想して、ノイくんですらなかなか見つかりづらいところにつけておいてよかった。ノイジュニアくんが戸惑うように首を傾げていたので、パンの残りをあげておいた。

「いつもありがとね」
『あんまりご主人に迷惑かけるなよー!』

 満足そうにパンを食べるノイジュニアくんの頭を撫でると、彼は食べ終えるなり空島から旅立っていった。そういえば翻訳魔道具をオンにしていたね。

「さて、と」

 空島に静寂と平和が戻ってきたところで、さっそく魔道具の最終調整でもしよう、と立ち上がる。
 今回研究している魔道具は、アトリエのそばの空島辺縁部に設置している。
 大きさは以前の翻訳魔道具よりも一回り大きく、平均的と言われるぼくの身長よりも10センチほど高い。
 人間2人が腕を伸ばしてギリギリ外周1周できるかできないかぐらいだから、結構な大きさだ。
 いろんなものを詰めに詰めちゃったから、なんか図体が大きくなっちゃったんだよね。まあ、これは動かすことを想定していない設置型だし、いいか。

「気温と室温の計測はもう十分に結果がとれてるから……あとは予測なんだよなぁ」

 実を言うと、すでに魔法特務機関において気象観測というのは実施されているので、いまから気象予報というのを研究するのは旨味が少ない。
 とはいえぼくとしては、もう少し予測の精度をあげたいところ。それこそ、いつごろ作物を収穫したらいいのか、とか、通り雨がいつごろ来るのか、とか。
 ざっくりとした気象予報しか出せない現状をどうにかしたかったのだ。

「このパン、いつまでも食べたいしね」

 ノイジュニアくんにあげた残りを、パクリと口に含む。
 このパンはノイくんのご両親が育てた小麦を、ノイくんがパンとして焼き上げたもの。
 いつも早朝から深夜まで研究を行っているので、片手間で食べられるようにと結構な数を作って、冷凍用の魔道具に保存しているのだ。
 もう少しいろんなもの食べたほうがいいと思うけど。

 そんなことを思いながら魔道具の電源をつけると、魔道具についたディスプレイに現在の気温や湿度が表示された。
 それと同時に、このあたり一帯の気象観測データをもとにした様々な予測が、確率ごとにリストアップされる。
 とその中で、とある一つの項目に視線が吸い寄せられた。

「んー……あんまり良くないな……」

 ちらりと遠くを見ると、黄金色の実りが広がる向こうにポツンと村が見えていた。まだはるか遠くだから鉱石の破片くらいの大きさだけど、あれがノイくんが育った村、バルザンクスだ。

「ちょっと急ごうか」

 もともとはもう少しこのあたりで観測を続けるつもりだったけれど、予定変更。
 空島が降りられるところを探しながら、バルザンクスに向かったのだった。