桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

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 今日の午後は入学式だから昼前に在校生は下校となった。
 ほとんどの生徒は帰宅してしまったけれど、野球部やサッカー部など屋外の部活動は活動している。
 陸上部で短距離種目選手のたっちゃんも部活をしているのだろう。
 僕も午後は部活動をしていくつもりだった。
 とは言っても、たっちゃんみたいに熱心に取り組んでいるわけではない。
 僕の部活は”映像研究部”だ。
 芸術総合コースの教室があるアネックス館の2階に部室がある。
 部活といっても部員は僕1人。
 年度末で、もう1人の部員だった男の先輩が卒業してしまって、僕1人になってしまった。
 その先輩も受験勉強が忙しいと、昨年度は片手で数えられるほどしか部室に来なかったから、入部時から1人みたいなものだった。
 どんな活動をするかと言えば、12畳ほどの部室に暗幕を引いて暗くして、DVDプレイヤー内蔵型のプロジェクターで壁いっぱいに映画を映して鑑賞するだけ。
 3人がけのソファーは座面が柔らかすぎるけど、この狭い僕だけの空間で映画を観る時間が大好きだった。
 部室で勉強していくことも多い。
 顧問の先生も居るけれど、速記部と兼任で幽霊顧問状態。
 映像研究部はかつては自分たちで脚本、演出、撮影と全て行い短編映画を創り上げる本格的な部活動だったらしいけど、いつの時からか、部員は減少して、ただ映画を鑑賞するだけの部活になったらしい。
 OBの先輩たちが置いていった大量のDVDは少し古いものが多い。
 僕は映像研究部の部室に向かうため、自販機で緑茶を購入してから連絡通路を歩いてアネックス館へと足を踏み入れた。
 下校時刻を過ぎてアネックス館にも人影がない。
 部室のある2階へと階段を上がろうとした時だった。

 「ねぇ、琉唯。今日の始業式の“あれ“なんだったの?」

 女の子の高い声が聞こえてきて、足を止める。
 琉唯って、一条琉唯か……。
 どうやら踊り場で話しているらしく、僕は階段を上がるのをやめて、物影に隠れた。

 「何でもねぇよ」
 「何でもなくて琉唯がわざわざ目立つことするわけないでしょ? 誰か探してそうだったけど?」

 たぶん相手は芸術総合コース3年の滝川ノアさんだ。
 ティーン誌のモデルや恋愛リアリティショーの人気番組に参加したりして女子が憧れる大人気のインフルエンサー。
 そして日本の3大芸能事務所といわれる一つシムプロダクションの会長の孫娘らしい。
 一条琉唯はシムプロ所属の俳優だ。
 ノアさんはクォーターらしく、美人でスタイルもいいけど、見るからに気の強そうな雰囲気で僕は勝手に苦手意識を持っていた。

 「琉唯と同じクラスのチャラいアイドルに『この高校でショートカットのかわいい子っていえば誰』なのか聞いてたんでしょ? あいつ一般進学コースの女にも手を出してるわよね」
 「何でノアの耳に入ってんだよ」
 「ねぇ、その女は琉唯の何なわけ?」
 「だから何でもねぇって言ってるだろ」

 徐々にヒートアップしていく会話にハラハラしながらも、引っかかった台詞。
 “ショートカットのかわいい子“って何だろう。

 「ねぇ、琉唯。空いてる教室でセックスしない? ノアね、学校で一回ヤッてみたい」

 いきなり話がアダルトなほうへと傾いて僕は顔が熱くなるのを感じた。

 「学校で(さか)る趣味はねぇよ。それに今から仕事。そろそろ蝶野(ちょうの)さんが迎えに来る」

 一条琉唯が連れない態度で階段を降りてくる。
 僕はその場にしゃがみ込み、見つからないで通り過ぎてくれることを願った。

 「ねぇ、琉唯。忘れてないわよね」
 「――何が?」
 「ノアの機嫌を損ねれば、例え琉唯だって、簡単に芸能界から干されるわ。お父さんのためにも琉唯の仕事が無くなったら困るんでしょ?」