桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

 3/31のあの日のことを一条琉唯は気にかけてなどいないだろう。
 仮に出くわすことがあったとしても、僕は素顔を分厚いレンズの大きな眼鏡で隠しているし、気づかれないと思う。
 それでも何となく顔を合わせたくはなかった。
 一条琉唯の鋭く美しい双眸は対象者の何もかもを暴いてしまいそうなミステリアスな雰囲気を持っていて対峙したくはない。
 始業式は形式的に始まった。
 ここぞとばかりに話したいのか初老の学園長先生の話はすでに5分を経過している。
 さすがに生徒たちも飽きてきたのか、そこかしこから声を潜ませた雑談が聞こえてきた。
 ――僕もさすがに眠くなってきた。
 緩んだ空気が体育館を支配していた時だった。
 悲鳴のような歓声が沸いては増えていく。
 何が起こっているのだろう。
 疑問に思った時には、その人物は学園長が話し続けている体育館の壇上へと軽やかに飛び乗った。

 「え? あれ琉唯くんじゃん」
 「嘘! 一条琉唯だよ!」
 「何、何でここにいるの?」

 体育館は若手ナンバーワンの人気俳優の想定外の登壇に一種のパニックに陥っている。
 学園長も焦っていた。

 『一条くん。今は私の話の途中です』

 マイク越しに一条琉唯へと注意を促す。

 「話し続けてくれて構わない。邪魔しないから、5分……いや、3分でいいから時間くれ」

 一条琉唯は学園長に指で3の形を作って見せながらも、壇上から体育館の生徒へと視線を走らせていた。
 まるで誰かを探しているかのように、一人一人体育館の人間を目線で辿っていく。
 ――やばい。
 僕は眼鏡を直して、俯いた。
 一条琉唯が誰を探してるのかはわからないけど、彼に見つかってはいけないと直感が警告してくる。
 常に捕食側でいるような攻撃性すら孕んだ瞳。
 僕は野生の世界だったら獲物になって食べられる被食側になるだろうと自覚があるだけに。
 生徒たちは一条琉唯の壇上での行動を固唾を呑んで見守っていた。
 学園長は話し続けているけれど、誰の耳にも内容が入っていないだろう。
 体育館には妙な緊張感が漂っていた。
 壇上の一条琉唯はひと通り体育館中の生徒を目線で素早く辿り終えると、

 「なあ」

 まだ話し続けていた学園長に対して、振り返って呼びかけた。
 思いっきり不遜な態度で。

 「今日、欠席している生徒ってどうやったらわかんの?」
 『は、はあ?』
 「それか顔写真入りの生徒名簿ってないのかよ」
 『個人情報だから、生徒に公開することは出来ません』
 「俺だけに秘密で見せてほしいんだけど」
 『秘密ってこんな全校生徒の前で言われても』
 「一条くん、壇上から降りなさい!」
 「学園長のありがたい話の途中だぞ」

 ようやく事態を飲み込めてきた教員たちが一条琉唯の元へと慌てて近づいてくる。
 一条琉唯はどこか納得できない様子で壇上から飛び降りると、そのまま長い足で歩いて体育館から出て行ってしまった。
 騒然となっている教員と生徒たちを残して……。

 「え? 今の何だったの?」
 「琉唯くん、誰かを探してた?」
 「誰かって誰よ」
 「やっぱり、一条琉唯かっこよすぎ」
 「あれって何頭身? 公式では身長181センチだったけど」

 不可思議な一条琉唯の言動に誰もかれもが疑問を募らせている。
 一条琉唯がもたらした喧噪は落ち着きを取り戻せないまま、始業式は終了した。
 ――何だったんだろう。
 そう疑問に思ったのは僕だけじゃないらしく教室に戻ってからも、どこのグループでも話題の中心は一条琉唯だった。