***
「――こんな時がいつか来るんだと思ってたよ」
駆けつけてくれた宮永さんの柔和な笑顔が張り詰めていた部屋の空気も緩慢にさせた。
今、シムプロの社長室の応接セットには4人が着席している。
僕と琉唯が隣同士で、僕の前には宮永さん、その隣に滝川社長。
何とも不思議なメンバーが揃っている。
そして、僕は滝川社長に眼鏡を取り去られたまま、外している。
2学期が始まった頃に宮永さんから言われていた僕が自分の父親の話を聞くタイミング……。
あれはもう約3ヶ月前の話で言葉の意味がわからず、そのままにしていたけれど。
まさか本当にこんなにタイミングが自分で判断出来るとは思わなかった。
宮永さんに連絡したら、奇しくも今日の夜はスケジュールが空いていて、すぐに駆けつけてくれた。
後日……という選択肢もあったけど、僕はともかくとして3年先までスケジュールが詰まってる琉唯、シムプロの滝川社長、そして中堅俳優として活躍している宮永さんが同時に集まれる時なんてこの先無いに等しく、今日の今日で揃うことになった。
この場に滝川社長がいることとシムプロの社長室に僕が居ることで察したらしい。
――僕の父親が滝川社長?
混乱しているのか、何から考えたらいいのかわからなくて、ただただ口の開き方がわからない。
僕の困惑や不安が伝わるのか、琉唯は僕の手を握ったまま離さなかった。
それだけですごく心強くて。
琉唯のお父さんが倒れた時と立場が入れ替わったみたい。
あの時、琉唯も僕の存在が力になっていたのかな?
「僕は何から話したらいいのかな?」
宮永さんが僕に問いかけてきた。
口を開こうとして喉が詰まる。
「――優陽」
琉唯の低い声が柔らかく隣から響いてきて、顔を向ける。
琉唯が愛おしいものでも見るような瞳で僕を見つめていた。
――大丈夫。俺がいる。
声にしなくても、そう琉唯が言ってくれているようで……。
僕は琉唯に向かって、ひとつ頷いてから小さく息を吸って口を開いた。
「宮永さんだけが知っている僕の父親の話。“タイミング“は今なのかなって」
宮永さんは陽光のような温かい眼差しで僕を受け止めていた。
「――滝川さん。お話してもいいですか? とは言っても滝川さんもまだ困惑しているだろうけど」
「私から話しますよ。直子が宮永さんを父親のように慕っているのは知っていました。私たちの関係を宮永さんだけには打ち明けていたことも聞いてました。でも、まさか……」
滝川社長が僕に目線の先を注ぐ。
その鋭い眼光に複雑ないろいろが織り成されていて僕は唇を引き結んだ。
「直子……咲良菜緒と出会ったのは華澄高校の映像研究部でした」
「社長は華澄高の卒業生だったのか?」
「――ああ。私は映画監督になるのが夢で、芸術総合コースに通っていた。直子は私の2学年下でした」
滝川社長は低い声色でゆっくりと言葉を紡いでいく。
咲良菜緒は入学当初すでに売れている人気女優で、芸術総合コースでも最高峰の華やかさと存在感で憧れの的となっていた。
滝川社長もまさか自分が咲良菜緒と恋に落ちるとは思わなかったらしい。
その辺りの詳細は省かれていたけれど、どうやら先にアプローチしたのは咲良菜緒だった。
「私は直子をヒロインとして映画を撮るのが夢だった」
多忙な咲良菜緒は登校することもままならなかったけど、恋人同士になった滝川社長と咲良菜緒は映像研究部の部室で密会していた。
当時は部員が他にもたくさん居て、滝川社長は部長だった。
2人の関係は誰にも漏れないように細心の注意を払い、滝川社長は高校を卒業して、専門学校には行かず有名な映画監督の付き人として業界に飛び込んだ。
精神的にも肉体的にもきつかったらしく、付き人とはいっても監督の身の回りの世話をしたりと、完全に下働きみたいなもので、当時は24時間稼働していたような形だったそうだ。
全てを監督から体得しようとがむしゃらにしがみつき、ハードだったけど、とても充実していたと滝川社長は語る。
咲良菜緒と撮影現場で一緒だったこともあったという。
お互い忙しくても、会うことすらままならなくても、密やかな二人の関係は続いていた。
そんな関係には急にピリオドがうたれる。
現在のシムプロの会長がまだ社長だった頃、社長の娘であるアンナさんは撮影現場でたまたま見た滝川社長をたいそう気に入ったらしい。
「――今よりもシムプロの会長は芸能界を掌握できるほどの権力があって、師匠である監督の仕事すら脅しのように手の内で転がされて、抗うことも出来なかった」
滝川社長は自分よりも10歳年上のアンナさんと結婚。
シムプロの社長職の後継者になるべく映画監督の夢を断念せざるをえなかった。
滝川家に婿養子になったけれど、滝川社長の旧姓は”出水”。
――出水 大地だった。
だから咲良菜緒はいずみ先輩と滝川社長を呼んでいた。
「直子とも別れるしかなかった。シムプロの社長の娘婿と不倫なんて世間に知られたら、女優として上り詰めていた咲良菜緒は一巻の終わりになる」
密やかに育んできた滝川社長と咲良菜緒の関係は強制的に終わりを告げた。
「アンナと結婚して、しばらくしてノアが産まれて、私はシムプロの仕事を覚えるだけで精一杯で……。そんな日々の中で、一度だけ直子から私に連絡があった」
――最後に一度だけ、いずみ先輩との忘れられない思い出がほしい。
滝川社長と咲良菜緒は厳重に注意を払いながら、一夜だけ再び関係を結んだ。
「高校時代、直子は私によく自分に子どもが産まれたら、
『男の子でも女の子でも名前は優陽にするの。大切な人を優しく照らしてあげられるような温かい子になってほしい』
そう言っていた。私の名前は大地だから……」
僕の名前は咲良菜緒の渾身の滝川社長への愛情。
”大地”を優しく照らしてあげられるような温かい子に育つようにと。
「――まさか、あの時に直子が妊娠していたなんて……」
それきり滝川社長は文字通り頭を抱えるように額へ手をあてて俯いた。
僕の頬にはいつの間にか涙がはらはらと散っていた。
「――菜緒が頑なに父親の名前を周囲に漏らさなかった理由が理解できたかな?」
宮永さんに言われて、僕はコクコクと首を縦に振った。
咲良菜緒は自分の女優としての立場を守りたかったというよりは滝川社長を守りたかったのだろう。
どれだけお互いが愛し合っていたとしても、第三者からすれば完全に不倫で僕は不貞の子。
恐らく咲良菜緒……お母さんは産まれてくる僕のことも守りたかったはずだ。
「菜緒は優陽が産まれてくるのを本当に楽しみにしていた。菜緒は父親を明かさずに自分自身の手で優陽を育てるつもりでいたし、まさか自分が亡くなるとは思わなかっただろう」
「っ……」
お母さんに一度でいいから抱き締めてもらいたかった。
僕を胸に抱くことも出来ずに咲良菜緒は亡くなって……。
――咲良菜緒に……お母さんに愛されていた僕。
ようやく僕が僕で産まれてきて良かったと思えたかもしれない。
ぐずぐずと泣き続ける僕を琉唯は隣から自分の胸へと抱き寄せてきた。
咲良菜緒が宮永さんにだけ打ち明けていた真実……。
――ずっと長く長く、宮永さんは頼政さんのことを想い続けている。
咲良菜緒だけが知っていた宮永さんの秘密を僕が教えてもらうのはもう少し先の話だった。
「――こんな時がいつか来るんだと思ってたよ」
駆けつけてくれた宮永さんの柔和な笑顔が張り詰めていた部屋の空気も緩慢にさせた。
今、シムプロの社長室の応接セットには4人が着席している。
僕と琉唯が隣同士で、僕の前には宮永さん、その隣に滝川社長。
何とも不思議なメンバーが揃っている。
そして、僕は滝川社長に眼鏡を取り去られたまま、外している。
2学期が始まった頃に宮永さんから言われていた僕が自分の父親の話を聞くタイミング……。
あれはもう約3ヶ月前の話で言葉の意味がわからず、そのままにしていたけれど。
まさか本当にこんなにタイミングが自分で判断出来るとは思わなかった。
宮永さんに連絡したら、奇しくも今日の夜はスケジュールが空いていて、すぐに駆けつけてくれた。
後日……という選択肢もあったけど、僕はともかくとして3年先までスケジュールが詰まってる琉唯、シムプロの滝川社長、そして中堅俳優として活躍している宮永さんが同時に集まれる時なんてこの先無いに等しく、今日の今日で揃うことになった。
この場に滝川社長がいることとシムプロの社長室に僕が居ることで察したらしい。
――僕の父親が滝川社長?
混乱しているのか、何から考えたらいいのかわからなくて、ただただ口の開き方がわからない。
僕の困惑や不安が伝わるのか、琉唯は僕の手を握ったまま離さなかった。
それだけですごく心強くて。
琉唯のお父さんが倒れた時と立場が入れ替わったみたい。
あの時、琉唯も僕の存在が力になっていたのかな?
「僕は何から話したらいいのかな?」
宮永さんが僕に問いかけてきた。
口を開こうとして喉が詰まる。
「――優陽」
琉唯の低い声が柔らかく隣から響いてきて、顔を向ける。
琉唯が愛おしいものでも見るような瞳で僕を見つめていた。
――大丈夫。俺がいる。
声にしなくても、そう琉唯が言ってくれているようで……。
僕は琉唯に向かって、ひとつ頷いてから小さく息を吸って口を開いた。
「宮永さんだけが知っている僕の父親の話。“タイミング“は今なのかなって」
宮永さんは陽光のような温かい眼差しで僕を受け止めていた。
「――滝川さん。お話してもいいですか? とは言っても滝川さんもまだ困惑しているだろうけど」
「私から話しますよ。直子が宮永さんを父親のように慕っているのは知っていました。私たちの関係を宮永さんだけには打ち明けていたことも聞いてました。でも、まさか……」
滝川社長が僕に目線の先を注ぐ。
その鋭い眼光に複雑ないろいろが織り成されていて僕は唇を引き結んだ。
「直子……咲良菜緒と出会ったのは華澄高校の映像研究部でした」
「社長は華澄高の卒業生だったのか?」
「――ああ。私は映画監督になるのが夢で、芸術総合コースに通っていた。直子は私の2学年下でした」
滝川社長は低い声色でゆっくりと言葉を紡いでいく。
咲良菜緒は入学当初すでに売れている人気女優で、芸術総合コースでも最高峰の華やかさと存在感で憧れの的となっていた。
滝川社長もまさか自分が咲良菜緒と恋に落ちるとは思わなかったらしい。
その辺りの詳細は省かれていたけれど、どうやら先にアプローチしたのは咲良菜緒だった。
「私は直子をヒロインとして映画を撮るのが夢だった」
多忙な咲良菜緒は登校することもままならなかったけど、恋人同士になった滝川社長と咲良菜緒は映像研究部の部室で密会していた。
当時は部員が他にもたくさん居て、滝川社長は部長だった。
2人の関係は誰にも漏れないように細心の注意を払い、滝川社長は高校を卒業して、専門学校には行かず有名な映画監督の付き人として業界に飛び込んだ。
精神的にも肉体的にもきつかったらしく、付き人とはいっても監督の身の回りの世話をしたりと、完全に下働きみたいなもので、当時は24時間稼働していたような形だったそうだ。
全てを監督から体得しようとがむしゃらにしがみつき、ハードだったけど、とても充実していたと滝川社長は語る。
咲良菜緒と撮影現場で一緒だったこともあったという。
お互い忙しくても、会うことすらままならなくても、密やかな二人の関係は続いていた。
そんな関係には急にピリオドがうたれる。
現在のシムプロの会長がまだ社長だった頃、社長の娘であるアンナさんは撮影現場でたまたま見た滝川社長をたいそう気に入ったらしい。
「――今よりもシムプロの会長は芸能界を掌握できるほどの権力があって、師匠である監督の仕事すら脅しのように手の内で転がされて、抗うことも出来なかった」
滝川社長は自分よりも10歳年上のアンナさんと結婚。
シムプロの社長職の後継者になるべく映画監督の夢を断念せざるをえなかった。
滝川家に婿養子になったけれど、滝川社長の旧姓は”出水”。
――出水 大地だった。
だから咲良菜緒はいずみ先輩と滝川社長を呼んでいた。
「直子とも別れるしかなかった。シムプロの社長の娘婿と不倫なんて世間に知られたら、女優として上り詰めていた咲良菜緒は一巻の終わりになる」
密やかに育んできた滝川社長と咲良菜緒の関係は強制的に終わりを告げた。
「アンナと結婚して、しばらくしてノアが産まれて、私はシムプロの仕事を覚えるだけで精一杯で……。そんな日々の中で、一度だけ直子から私に連絡があった」
――最後に一度だけ、いずみ先輩との忘れられない思い出がほしい。
滝川社長と咲良菜緒は厳重に注意を払いながら、一夜だけ再び関係を結んだ。
「高校時代、直子は私によく自分に子どもが産まれたら、
『男の子でも女の子でも名前は優陽にするの。大切な人を優しく照らしてあげられるような温かい子になってほしい』
そう言っていた。私の名前は大地だから……」
僕の名前は咲良菜緒の渾身の滝川社長への愛情。
”大地”を優しく照らしてあげられるような温かい子に育つようにと。
「――まさか、あの時に直子が妊娠していたなんて……」
それきり滝川社長は文字通り頭を抱えるように額へ手をあてて俯いた。
僕の頬にはいつの間にか涙がはらはらと散っていた。
「――菜緒が頑なに父親の名前を周囲に漏らさなかった理由が理解できたかな?」
宮永さんに言われて、僕はコクコクと首を縦に振った。
咲良菜緒は自分の女優としての立場を守りたかったというよりは滝川社長を守りたかったのだろう。
どれだけお互いが愛し合っていたとしても、第三者からすれば完全に不倫で僕は不貞の子。
恐らく咲良菜緒……お母さんは産まれてくる僕のことも守りたかったはずだ。
「菜緒は優陽が産まれてくるのを本当に楽しみにしていた。菜緒は父親を明かさずに自分自身の手で優陽を育てるつもりでいたし、まさか自分が亡くなるとは思わなかっただろう」
「っ……」
お母さんに一度でいいから抱き締めてもらいたかった。
僕を胸に抱くことも出来ずに咲良菜緒は亡くなって……。
――咲良菜緒に……お母さんに愛されていた僕。
ようやく僕が僕で産まれてきて良かったと思えたかもしれない。
ぐずぐずと泣き続ける僕を琉唯は隣から自分の胸へと抱き寄せてきた。
咲良菜緒が宮永さんにだけ打ち明けていた真実……。
――ずっと長く長く、宮永さんは頼政さんのことを想い続けている。
咲良菜緒だけが知っていた宮永さんの秘密を僕が教えてもらうのはもう少し先の話だった。



