桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

 「琉唯は今後二度と桜庭優陽に関わらないってノアと約束したわよね!?」
 「――あぁ。あの時はノアに陥れられた優陽を助けるために仕方なかった。実際にあれから表面上だけじゃなく優陽とは関わらなかった」

 僕と関わらないことがノアさんとの約束?
 僕を助けるためってことは僕がノアさんに軟禁されてた日のことを指しているんだろう。

 「絶対に琉唯を逃がさない! 私を裏切ったら芸能界から干してやるわ! お父さんが病気でお金がないと困るんでしょ?」
 「これで俺がノアに潰されるような俳優だったら、それまでだったってことだ」
 「そんな男のどこがいいのよ!?」

 僕を指差しながら、ノアさんが感情的に叫ぶように言った。
 僕を映す目が憎しみに満ちていて、本能的に後ずさりしそうになった。

 「――全部。芯から美しいと感じたのも優陽が初めてだったし、」

 手首を掴んでいた琉唯の手が僕の手を握り直した。

 「――俺は優陽しかいらない」

 隣を見上げれば、琉唯は憂いのこもった真剣な眼差しで僕を見下ろしていて、息を呑んだ。

 「私をとりなさいよ! もう琉唯が芸能界の仕事なんて出来なくしてやるわ」
 「――ノア」

 ずっと黙していた滝川社長が重低音の声を放つ。
 それだけで室内の空気に緊張感が増した。

 「ねぇ、パパ! もう琉唯に仕事回さないでよ。思いっきり干してやって。芸能界から追放してよ!」
 「一条琉唯を失ったら、シムプロの大損失だ。他国と巨額出資した映画の公開も控えているし、オファーは絶えず、3年先まで琉唯はスケジュールが埋まっている。琉唯のスケジュールを押さえられなくて泣いているクリエイターも多いくらいだ」
 「他に琉唯の代わりなんて吐いて捨てるほどいるでしょ?」
 「あいにく現時点で琉唯の代わりを務められるのはシムプロどころか日本にも居ない。名実ともに若手俳優のトップだ。それは琉唯本人が一朝一夕ではなく地道に積み上げてきた今までの努力があってこそだ」

 滝川社長の言葉の一つ一つが重い。
 それは琉唯にも同じだったようで僕と繋がれている手が少し震えていて、僕は大丈夫だと伝えるように力を加えた。

 「じゃあママに言うわ。パパはしょせん婿養子でしょ?」
 「ノア。これ以上琉唯を縛り付けて何になる?」
 「……」
 「ノアこそ、琉唯に単なる固執をしているだけに見える」
 「……」
 「ノアはインフルエンサーとして同世代の支持を受けているし、滝川家の力もシムプロの力も借りなくても自己プロデュース力に長けていると私は思っている」
 「……そんなことパパが言ってくれたことなかったじゃない……」
 「”滝川ノア”だったら、どんな見せ方をしたいのか考えなさい。去っていく男に(すが)る女はみんなが理想としている”滝川ノア”なのか?」

 ノアさんは小さく首を横に振った。
 滝川社長はノアさんの強気な部分を巧みに刺激して別の方向に持っていこうとしている。

 「琉唯に後悔させるほど、ノアはノアで輝けばいい。我が娘ながらノアにはそのポテンシャルがあると私は思っているよ」

 ノアさんは唇を引き結んで、しばらく無言で居たけれど、そのまま退室していった。
 泣きそうになっていたけれど、絶対に涙を見せなかったノアさんはやっぱりノアさんらしくて。
 固執だけじゃなくて琉唯のことを本気で好きだったんじゃないかと思う。
 滝川社長は立ち上がり、執務デスクから僕たちの方に歩み寄ってきた。

 「――琉唯。私が居る場でノアに話したのはわざとだな」
 「いや、博打でした。社長がノアに味方して、芸能界追放される可能性も覚悟してました。この間までの大作の撮影で追放出来ないくらい結果を残してやろうとは思ってましたけど」
 「最初に見込んだ通り琉唯は肝が据わってるな。他国の撮影スタッフも琉唯をベタ褒めだったと耳に入っている」

 琉唯とノアさんの修羅場を固唾を飲んで見ていた僕はィじわじわと琉唯に言われたことが胸の奥にまで染み渡ってくる。
 結構、熱い愛の言葉を僕に向けられていたような……。
 顔面が熱くなりすぎて視線を落とす。

 「顔を合わせるのは二度目だな」

 その声に弾かれたように顔を上げると、滝川社長が目の前に立っていた。
 僕がはいと答える前に、

 「二度目?」

 と、琉唯は怪訝そうに言った。

 「――“桜庭優陽“で合っているか?」
 「……はい」
 「その眼鏡をとってくれないか?」
 「――だめ」

 琉唯は横から僕に腕を回して滝川社長に言い放つ。

 「滝川社長も優陽に夢中になったら困ります」

 独占欲を剥き出しにしてくる琉唯。
 いや、僕は振られてたのに、いきなり重めの愛情をぶつけられたら、心が追いついてこなくて。

 「――琉唯。滝川社長に失礼だよ」
 「優陽は自分にどれだけ魅力があるのか自覚がないだけ。もう俺以外にその素顔を見せるの禁止」
 「何で琉唯が決めるんだよ」

 滝川社長は僕と琉唯のやり取りを見ながらクッと喉の奥で笑った。
 いつも滝川社長の端正な顔立ちは無表情と呼べるほどで威厳ある雰囲気も相まって相手が自然と縮こまるようなオーラを放っているけれど、それが少し和らいだような……。
 琉唯も僕もそんな滝川社長に見入ってしまった。

 「俺は貫けなかったから、琉唯を応援したいと思った」
 「貫けなかった?」
 「桜庭優陽、年齢は?」
 「俺と同じ学年ですけど」

 なぜか毎度毎度、僕への質問に琉唯が答えてしまう。

 「母親の名前は“直子“じゃないか?」

 滝川社長の言葉にぐらりと頭を揺さぶられた感覚がした。
 咲良菜緒の本名が桜庭直子だと知る人物は少ない。
 僕が咲良菜緒の息子だと知らないはずの滝川社長。
 琉唯も僕の母親が咲良菜緒だと知っているけれど、僕の顔色が変わったのを見て今度は会話に割り込まなかった。
 滝川社長は僕の眼鏡を両手で取り去ってしまった。

 「――ああ、やっぱり。直子そっくりだ」

 滝川社長は咲良菜緒ではなく直子と呼ぶ。
 それだけで咲良菜緒との関係性を物語っているようで。

 「――君は私の息子かもしれない」

 滝川社長の衝撃の一言が社長室の空気を重くした。