桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

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 華澄高校は先週から1ヶ月の夏休みに突入していた。
 病院に優陽を連れて行った日から優陽とは顔を合わせていない。
 優陽の存在をノアに知られて、念には念をいれて映像研究部の部室には行かなかった。
 あの部室は優陽が大切にしている場所だし、何より優陽がノアの標的になることだけは避ける必要がある。
 ノアのことを話題にはあげずに優陽にもメッセージのやり取りで伝えていた。
 たった10日程度、優陽に直接会っていないだけ。
 すでに優陽が欠乏しすぎておかしくなりそうだった。
 ――優陽も同じ気持ちでいてくれたらいいのに……。
 優陽は夏休みも映像研究部の部室に出向いているらしい。
 俺も遅れた分の補講を夏休みに入れる予定が、今週の金曜に封切される全国公開のW主演映画のプロモーション期間で雑誌の取材や番組出演が重なって、華澄高には足を向けられなかった。
 俺とW主演の二つ年上の若手女優とセブファク所属の宮永泉さんという実力派の中堅俳優や監督とほぼ連日顔を合わせている。
 バラエティ番組に慣れていない俺をベテランの宮永さんはことあるごとにカバーしてくれていた。

 「――一条くん、疲れてる?」

 トーク番組の出演が終わって、控室に戻る途中、宮永さんが俺の肩を軽くたたきながら声をかけてきてくれた。

 「フォローしていただいてありがとうございます。こういう番組は慣れないままで」
 「だてに年季は重ねていないから。そのために僕もキャスティングされているようなものだよ」

 多くの作品で幅広い役柄をこなす宮永さんは役者業以外の場でもトークスキルに長けていた。
 長く活躍し続けている役者の方々はその人にしか出せない個性や味がある。
 いつか俺もそんな風に自分の個性を確立できる俳優になりたいとは思うものの、現場で顔を合わせれば格の違いを見せつけられて圧倒させられていた。

 「今回の映画はストーリーに深みがあるし、ヒットしてくれるといいよね」
 「そうですね」
 「一条くんは出演作が”当たり”続きでしょ? さすがだな」

 クランクアップするまで全身全霊、完全燃焼するほど役にのめりこんで撮影に打ち込むけれど、映画の興行成績、ドラマの視聴率は人事を尽くして天命を待つ状態で俺にはどうにもならない。
 一度でも失敗すれば”オオコケ”や”数字を持っていない””低視聴率俳優”と烙印をおされる。
 その分、ヒットして成功すれば大きな喝采も浴びるし実績にもなった。
 主演を任されるというのは名誉でありながら、常に恐怖やプレッシャーとも隣り合わせだった。

 「環境に恵まれているだけです。あとは運だと思います」
 「一条くんは謙虚だね。運も実力のうちって言うけど、実力があるから運を引き寄せられるんだよ。だから一条くんは自信もって」

 宮永さんの口から褒められると説得力があって、頼もしかった。
 多彩な役柄を演じきれる役者としての経歴に重みがある宮永さんだからこその芯のある言葉として響く。

 「――って、この言葉、菜緒の受け売りなんだけど」
 「なお?」
 「咲良菜緒。一条くん、咲良菜緒の演技、研究したでしょ?」

 俺が咲良菜緒をロールモデルにしていたことは特にインタビュー等で答えたことはない。
 俺に咲良菜緒の演技を参考にするよう勧めた滝川社長と自分から打ち明けた優陽くらい。
 すぐに返事が出来ずに口を噤んでいたら、

 「誰かから聞いたとかじゃなくて一条くんの演技見てたら、そうかなって思っただけ。実は最初に咲良菜緒に演技指導したのって僕だったんだよね。菜緒の場合はデビュー後の巣立ち方が半端なかったけど」

 俺に説明するように宮永さんが言葉を続けた。
 宮永さんと咲良菜緒はセブファクの先輩後輩か。
 宮永さんになら見抜かれていても不思議ではない。

 「宮永さんのおっしゃる通り、咲良菜緒の出演作はどれも繰り返し見て研究しました」
 「そうなんだ。一条くんとは何度でも共演したいくらい演じていて楽しい。まだまだ僕も頑張るね」
 「いや、俺のほうこそまたご一緒したいと思っています」
 「いよいよ明日は映画の公開日か。宣伝で朝から生放送の情報番組に出ずっぱりでほぼ一日一緒だよね? またよろしく」

 俺は手を振って歩き去る宮永さんに立ち止まって頭を下げた。
 宮永さんはベテランでありながらも腰が低い。
 そういった面も俺にとって尊敬にやまない人だった。
 セブファクてことは宮永さんも優陽を知っていたりするのだろうか?
 慌ただしかった映画のプロモーション活動も明後日の舞台挨拶で一区切りを迎える。
 あと少しだと気を取り直して、俺は自分の控室へと戻った。