桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

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 翌日の土曜日の朝。
 僕はダイニングルームで、いつもよりゆったりと朝食をとっていた。
 ワンプレートにのったフレンチトースト、目玉焼き、ウィンナー、新鮮なミニトマトにレタスにきゅうり。
 休日でも早起きして、たっちゃんの部活用のお弁当や僕たちの朝ご飯を準備してくれる美織さんには感謝しかない。
 僕も社会人になったら、堅い仕事に就いて、自立して、ちゃんと頼政さんや美織さんに恩返ししていかないと。
 卵のスープをレンゲで口に運んだ後、

 「美織さんはお母さんが華澄高で部活動に入っていたか知ってる?」

 と、質問してみた。
 ”映像研究部”とあえて出さなかったのは美織さんがどこまで知っているのか見極めたい意図があった。

 「菜緒は私と違って忙しかったから部活なんてやっている暇なかったと思うわよ」
 「そうだよね」

 やっぱり咲良菜緒と同級生で、同じく華澄高の芸術総合コースに通っていた美織さんでも知らない情報なんだ。
 それを咲良菜緒は宮永さんには話していた……。
 美織さんも昔は旧姓の篠塚(しのづか)美織名義でタレント活動をしていたけれど、芽が出ることはなく、端役で終わったと話していた。
 芸能界で“売れる“には様々な要素が複合的に必要で、その中には実力以外に運も大きな構成因子となると聞く。
 売り出そうとしても大衆にささらなかったり、見た目が良い順に売れるわけでも、演技力があれば成功するとも限らない。
 難しい世界だと頼政さんが言っていた。

 「寝坊したー!」

 ドタドタと階段を踏み鳴らしながら、部活Tシャツに下はジャージを着たたっちゃんが降りてくる。
 今日は土曜だから陸上部の朝練はないけど、終日部活でこれから学校に向かうんだろう。

 「何で侑はいつも時間ギリギリで行動するのよ。もうちゃっちゃと朝ご飯食べちゃって!」
 「わかってるよ」

 たっちゃんは慌ただしく僕の隣に座ると、慌ただしくトーストにかじりついた。

 「期末テスト近いんでしょ? ちゃんと侑は勉強してるの?」
 「してるしてる」
 「それ、してない時の返事でしょ?」

 美織さんはたっちゃんの態度にご立腹だ。

 「そういえば侑はまたジャージのポケットに何か紙を入れっぱなしにしたでしょ? 洗濯後の処理が大変だったんだからね」
 「あー! 後輩の女子から手紙もらってたの入れっぱなしだった」
 「もう。洗濯に出す前に確認しなさいよ」
 「中身は読んでるし、すでにきちんと断ってるんだけど。良かった! どこかに落としたりしてなくて」
 「良かったじゃないわよ。自分が書いたラブレターを洗濯乾燥かけられてるのよ」
 「手紙って相手に生涯とっておかれても困るだろ」

 相変わらずたっちゃんはモテるんだ。
 僕は女子に告白されたことなんてなかった。
 もちろん男子にもないけど。

 「優陽は何も言わなくてもきちんとしてるのに」
 「あ、優陽。今日の夜、文理共通科目の期末のテスト範囲、教えてくれない?」
 「うん、いいよ。たっちゃん」
 「サンキュ。助かる」
 「ごめんね、優陽。いつも侑が面倒かけて」
 「ううん。たっちゃんに助けてもらってるのは僕のほうだよ。たっちゃんはお兄ちゃんみたい」

 昔から弱々しい僕を守ってくれていたのはたっちゃんだ。
 面倒かけているのは僕のほう。

 「お兄ちゃんか……」

 たっちゃんは意味ありげに呟くと、

 「やべぇ。本気で遅刻する」

 と、残りの朝食をかきこみ、早々に出かけて行った。

 「本当に侑は高2の割には落ち着きないわよね」
 「でも同級生の男子は大半たっちゃんみたいな感じだと思うよ」
 「そう? じゃあ優陽が大人びてるのね。侑も彼女でも出来れば少しは落ち着いてくれるのかしら。いつまでも小学生男子を育てている気分だわ」

 美織さんはため息混じりに嘆いた。
 たっちゃんに彼女か……。
 もし、たっちゃんに彼女が出来たら僕は素直に祝福出来るのだろうか。
 物心つく前から一緒に過ごしてきたたっちゃんだから寂しく感じてしまいそうだ。
 でも、そろそろたっちゃんに特定の彼女が出来た時の心づもりくらいはしておいたほうがいいかもしれない。
 土曜日の穏やかな朝、僕はひそかに決心していた。