桜月夜に、言葉よりも強く君を抱き締めて。

 シムプロダクションの社長……って、琉唯が所属している大手芸能事務所だ。
 しかも滝川ってことはノアさんの父親。
 滝川社長はさして地味で野暮ったい僕に興味はないようで一瞥だけすると、

 「宮永さんがそうおっしゃるなら」

 と、低く硬質な声で返していた。
 この世界では情報管理がとにかく大事らしい。
 まだ情報解禁前のCMの出演者情報を父親から聞いた一般の女子高生がSNSで漏らしてしまい大炎上したこともあった。
 琉唯もいろいろ僕に話してくれるけれど、台本は僕の前では開かないし、これから撮影がある作品に関して詳細までは明かさない。
 それくらい機密管理を徹底していた。

 「シムプロは育成が上手いのか、若手に良い俳優が揃ってますね。共演した中だと、一条琉唯くんがダントツに演技力ありましたよ。特に眼差しが台詞以上に感情を語っていて素晴らしい」

 宮永さんから琉唯の名前が出てきて、心音が乱れた。
 僕の態度に出ていないか気になったけど、二人が僕を気にしている様子はなさそうだった。

 「ありがとうございます。ただ若手の女優が知名度は上がっても今いちお茶の間まで浸透しきれない子ばかりで、完全に宝山(ほうざん)芸能さんやフレイムさんの後塵を拝してます」
 「何がきっかけでブレイクするかはわかりませんしね。一条くんはルックスも申し分ないし、相当、シムプロ内で鍛えあげたんですか?」
 「本人の努力の賜物です。私も琉唯がここまで化けると思わなかったですから。少なくとも、最初に琉唯の演技を見た時は才能のかけらも伸びしろも感じられなかった。ただ今まで数多く見てきた新人の中でトップクラスに根性は据わってました」
 「余り精神論を語りたくはないですが、この世界で生き残っていくにはメンタルの強さが不可欠ですからね」
 「何が何でも、この世界でのし上がってやろうっていう気概を琉唯から感じました。琉唯は素材が最高級に優れていたから、早くアイドル売りさせたほうがいいと主張する事務所の人間が多かったんですが、琉唯の俳優としての育成に時間を費やしたほうがシムプロの中長期的な利益に繋がると睨みました」
 「結果、大成功でしたね」
 「まだまだこれからです。この世界は目論見が外れることのほうがざらです。運も実力のうちでしょうか」

 滝川社長が言っていることは琉唯の話と符号した。
 琉唯が演技の相談で直談判した社長がこの人なんだ。

 「一条くんのロールモデルは咲良菜緒でしょう?」

 宮永さんが滝川社長に問いかけると、ポーカーフェイスの滝川社長の眉がピクリと跳ね上がった。

 「さすが宮永さんは見抜きますね。おっしゃる通り。新人には咲良菜緒の演技を参考にするよう私は薦めてます。演技の幅も広いですし、咲良菜緒の演技力に圧倒されて心折られて辞めていく子もいます。バイト感覚で仕事をしようとしてた子をふるいにかけるにはちょうどいい教材だ」

 温度を持たない滝川社長の台詞に僕は腹が立った。
 咲良菜緒を教材と例えられるのは僕が複雑な気持ちになる。

 「だてに菜緒に演技力を叩き込んだわけではないので」
 「宮永さんの演技指導に七嶋さんのプロデュースとマネジメント能力で花開いた咲良菜緒の成功モデルは(たぐい)まれすぎて参考に出来ません。第二の咲良菜緒はシムプロで発掘したいんですけどなかなか……。宮永さんにはうちの事務所で講師をお願いしたいくらいだ。もちろんギャランティーはお出しします」
 「いや、僕は決して教えるのがうまいタイプではないんですよ。それに生涯イチ役者が目標ですので」

 滝川社長の申し出を笑顔で退ける宮永さん。
 日本の三大芸能事務所のうちの一つシムプロダクションの社長から指導者としてオファーされるとは、やっぱり宮永さんって役者として定評があるんだ。

 「……ごめん、宮永さん。僕、お手洗いに行ってくるね」
 「うん。行ってらっしゃい。優陽」
 「ゆうひ……?」

 個室を後にした僕の背中を滝川社長が目線で追いかけてきていたことに僕は気が付かなかった。
 お手洗いを済ませた僕が戻ってきたら、すでに滝川社長の姿は消えていた。

 「久しぶりに滝川さんと顔を合わせたから話し込んで申し訳ない。優陽にとってはつまらなかったよね?」
 「ううん。気にしてないよ」
 「滝川さんも頼さんと同じくらいワーカホリックだからさ。あれだけ大手芸能プロの社長だと今は身動きとりにくいんだろうけど、本来は現場に出ていくのが好きなタイプ」
 「そうなんだ。僕が関わることはないけど、同じ高校の芸術総合コースにシムプロ所属の人たちも居るよ」
 「確か一条くんもそうか」

 琉唯の名前が出てきた動揺を宮永さんに見透かされてしまいそうだ。
 宮永さんは琉唯を高く評価しているみたいで僕まで嬉しい気持ちになったのはばれたくない。
 さして宮永さんは僕の態度に不審点を持つことはなかった。

 「滝川さんの一人娘も華澄高だったよな?」
 「う、うん。滝川ノアさんは僕の一学年上だよ」
 「余り優陽の前で言うことじゃないんだけど、滝川さんの娘さんは現場で女王様だって耳に入ってくる。滝川家の笠を着てわがまま放題らしい。職を失ったスタッフや芸能界から追放されたタレントも居るからね」

 僕がノアさんに関わったことはないけど、女王様って言葉は印象そのままだ。
 滝川社長は落ち着いていて、しっかり地に足がついているように見えたけど。

 『犬がお手って言われたら手を差し出すように、ノアにセックスしろって言われたら抱いてるだけ』

 また僕は琉唯の台詞を思い出して、胸が苦しくなりながらも頬は熱くなる。
 頭上のオレンジ色の照明のおかげで宮永さんには伝わっていないと信じたい。