時の流れは早いもので、翔也からの『クリスマスデート』のお誘いから数週間たち、もう冬休みに入っていた。

「答えなくていいんで! 会うだけ! 会うだけでいいっす! ダチと遊ぶみたいなもんです!」

「……」

そう言われても、橙には“友達と遊ぶ”なんて経験がほとんどない。
それでも、翔也は少しだけ息を飲みながら、真っ直ぐこちらを見つめてきた。

「特別な日に、先輩と一緒にいたい……ダメっすか?」

「い、いいよ……」

喉の奥がぐっと詰まった。

けれど、それでも確かに言葉になった。
その瞬間、翔也の顔がぱっと明るくなる。

「ほんとっすか!? やった、しゃっ!」

弾けたような笑顔に、橙もつられて小さく笑ってしまった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。



その夜。
ベッドの上で天井を見つめながら、橙はむず痒い気持ちに身を捩らせていた。

(うわー……デートOKしちゃった。答える自信なんてないのに……でも、あんな顔で見られたら)

思い出すのは、翔也の真剣な表情。
少し赤くなった頬、ぎこちなくも真っ直ぐな視線。
その不器用さが、どうしようもなく可愛くて——ちょっとだけ、かっこよかった。

(……かっこいいってなんだよ!)

顔を毛布にうずめて、布の中で小さく呻く。
「服、何着てこ……」



そして迎えたクリスマスイブ。
橙はダブルコートを羽織り、待ち合わせ場所の駅前へ向かっていた。
吐く息が白く曇り、頬にあたる風が冷たい。

(服、これでよかったかな……)
私服を学校の人に見せるのは初めてだ。しかも相手は翔也。
(翔也くん、どんな服着てるんだろ)
そう思うと、少しだけ心が弾んだ。


人混みの向こう、翔也が照れくさそうに立っていた。
フードにふわふわのついたジャンバー姿。
手には、リボンで不器用に結ばれたマフラー。

「……あの、これ。先輩に、ばぁちゃんに教わりました。」

差し出されたマフラーを見て、橙の胸がきゅっと鳴った。

「僕も……」

震える手で、小さな包みを差し出す。
中には家庭科部で焼いたクッキー。
上手く焼けたから、食べてほしかった。

「うわ、これ……先輩が!? めっちゃ嬉しいっす! 俺、これ一生の宝物にします!」

「そんな、大げさだよ……」

橙が小さく笑うと、翔也も少し頬を赤らめながら笑い返した。

「じゃあ、行きましょう! 俺、先輩に楽しんでもらえるデートプラン考えてきたんで!」

「デートプラン...」

その言葉に橙の心臓が跳ねる。
(本当に、デートなんだ……)
(翔也くんと、僕が……) 

頬が熱くなるのを感じながら、橙は小さく頷いた。



① 映画鑑賞

アクション映画のスクリーンが眩しく光る。
隣の翔也はポップコーンをぽろぽろこぼして、慌てて拾おうとする。

「……ほら、僕が拾うよ」
橙がそっと手を伸ばすと、翔也は息を呑んだ。
暗闇の中、触れそうになった指先が、やけに意識に残る。

(なんか……近い)
橙の胸の奥が、かすかに鳴った。



② ランチ

映画の後は、おしゃれなカフェ。
窓際の席に座った翔也は、カップを持つ手が少し震えていた。

「先輩といると、なんかドキドキするんすよね」
不意に言われて、橙は思わず視線を逸らした。

(そんなの、僕だって……)
コーヒーの湯気の向こう、翔也の笑顔がやけに眩しかった。



③ 水族館
薄暗い館内に、青い光が揺れる。
イルカの水槽を見上げながら、二人の影が静かに寄り添った。

ふと、手が触れた。
橙の心臓が跳ねる。

「手、繋いでいいっすか」
その声がやけにまっすぐで、橙は小さく頷いた。

指先が触れ合い、静かな水音の中で、世界がふたりだけになった。



気づけば、もう夜の七時を過ぎていた。
街はクリスマスカラーのイルミネーションに包まれ、
ショーウィンドウのガラス越しに流れる音楽が、冷たい夜気に溶けていく。
人々の笑い声、カップルの手をつなぐ仕草。
その中で、二人だけが少し違う時間を歩いていた。

「楽しかったっすね、今日」
「……うん。こんなに一日中遊んだの、初めてかも」

橙の言葉に、翔也が少し照れくさそうに笑う。
歩道に伸びた二人の影が重なり、街灯の明かりが橙の頬をやさしく照らした。
胸の奥に、あたたかいものがじんわりと広がる。

(こんな夜が、ずっと続けばいいのに――)

心の中でそう呟いて、橙はふと足を止めた。

「翔也くん」

呼び止めるように声をかけると、翔也が振り返る。
イルミネーションの光がその金髪を縁取って、まるで冬の夜空の星のように瞬いていた。
橙は、その瞳をまっすぐ見つめた。

「僕も……翔也くんのそばにいたい」

言葉にした瞬間、胸の鼓動が早くなる。
冷たい空気の中で吐いた息が白く混ざり合う。

一瞬、翔也の目が驚いたように見開かれた。
そして、ゆっくりと笑みが浮かぶ。

「え、それって……OKってことっすか?」

橙は恥ずかしそうにうつむき、コクンと小さく頷いた。
その仕草が愛しくて、翔也の表情がふわりとほころぶ。

「──じゃあ、これからも毎日。“また明日”っすね!」

その言葉が、まるで冬の空に浮かぶ灯のようにあたたかく響いた。
街のざわめきが遠のいて、二人だけの世界がそこに生まれる。

橙はそっと微笑む。
雪の気配を含んだ風が髪を揺らし、
「また明日」というたった一言が、心の奥で静かに灯をともした。

それは、恋が確かに始まった瞬間だった。