……なにかが、間違っている。


 昼休みの、放送室。
 海原(うなはら)くんがわたしに、やけにやさしいのだ。


 いや、連載も五作目ともなると。
 登場人物も増えて、わたしの『出番』が減っているので。
 やさしい海原くんとのパートがあるなら、それはそれで構わない。

 ただ、そのやさしさが。

 ……きょうはいつもと違って、調子が狂う。


「み、三藤(みふじ)先輩!」 
「ど、どうしたの?」
 鉄分補給だと、そんなに張り切ってトマトジュースの缶を渡されても。
 わたしはお弁当には、熱いお茶が好きなのに……。
 もしかして『なにかのショック』で、忘れたのかしら?

「あの……冷たいものだと、『この時期』はお腹が冷えそうで……」
 そもそもトマトジュースが苦手だったと。
 思い出してくれるかと、伝えたところ。

「えっ! お腹が冷えるんですかっ!」
「えっ?」
「し、失礼しましたっ!」
 今度はあたたかいものを買ってきますといって、部室を飛び出してしまって。

「……飲むパキスタンカレーと、飲むフライドポテト?」
「はい! あとトマトジュースのホットもありました!」
 残り物のパンを必死に値切っていた佳織(かおり)先生と、購買で会ったからと。
 ちゃんと『相談』して、買ってくれたらしいけれど。
 お弁当のおかずは煮物よ。
 絶対にどれも、合わないわよね……。



「ね、ねぇ。海原くん?」

 ……お願いだから、無理してお茶を淹れないで。

 沸騰したてのお湯を使うのは、間違いよ。
 それにその茶葉は。
 そもそも甘いもののお供に用意した紅茶なので……放課後にしてもらえない?

「失礼しましたっ! 紅茶のカフェイン、よくないですよねっ!」
「い、いえ。そうじゃなくてね……」
「氷を入れて、僕がちゃんと飲み切ります!」
 あの……それなりに……高い茶葉なのよ。
 もったいない飲みかたは、しないで欲しいのに……。

「あの! 毛布とか、枕とかいりますか?」
「えっ……?」
藤峰(ふじみね)先生、たまには洗ってからロッカーに入れてますんで!」

 どうやら、海原君によれば。
 ほとんど見えなくなりそうなほど色あせた、アザラシ柄のブランケットは。
 一応きれいなものらしい。
 でも枕だという、ジャムの染みだらけのくたびれた物体は……。
 とても洗濯済みには、思えないのよね……。


 なんだかチグハグな、そのやさしさの理由が。
 わたしにはまったく、わからない。
 おまけに、朝からなんだか。
 ほかのみんなもわたしのことで。
 なにか『勘違い』をしているような気がする。


 ……結局、玲香(れいか)がお茶を淹れてくれて。

 ようやく、落ち着いたと思ったのだけれど。
 海原くんが、今度はカレンダーを眺めたまま。
 真剣な顔で考え込んでいる。

「ねぇ海原君、なにし・て・る・の?」
 姫妃(きき)がみんなを代表して質問すると。
「いえ、うちの部員はみなさん女性ばかりなので……」

 海原くんがそう答えた、次の瞬間。
 いきなり夏緑(なつみ)がむせはじめて。
「色々、配慮すべきことが多いというか。多すぎというか……」
 続いて、由衣(ゆい)の動きが固まって。
 なんだか急に、顔を赤くしている。

「ウナ君、もうやめて!」
「そ、そこで妄想ストップ!」
 なんなの、あなたたち?
 一年生同士で、なにかあったの?


 するとちょうど、放送室の扉が軽いノックと同時に開いて。
「海原君さぁ、さっきのはお腹に『たまる』やつだったわ〜」
「冷えているお腹には、キツイからやめといたほうがいいわよ」
 そういいながら、佳織先生と響子(きょうこ)先生がやってきて。
 いつもならすぐに、なんで間違えるのかといいそうな海原くんが。

「ええっ……」
 一瞬、困ったような声をあげると。

「乙女心は枯れてたとしても……先生たちも、追加しないとまずいのか……」
 ブツブツと大胆なことを口にする。

「は?」
「えっ?」
 一気に低い声になった、ふたりのことなど気にかけず。
 十二月のカレンダーを持ったその手が、微妙に揺れはじめる。

「……そうねぇ、楽しみよねぇ」
「はい、アドバイスありがとうございます!」
 最後に、ふたりで談笑しながら。
 寺上(てらうえ)校長と美也(みや)ちゃんがやってくると。

「わ、わからない……」

 ……ついに海原くんが、頭を抱え込んだ。



「海原君。どうしたの?」
「な、なにかあったの? またトラブル?」
「い、いえ……都木先輩はともかく……」
「て、寺上先生は……」

「あ、ああっ……アンタさぁ……!」
「ウ、ウナ君! やめてっ……!」
 由衣と夏緑が、思わず飛び出して。
「ちょっと、そのマグカップ!」
「わたしのジャムがっ!」
「熱いよ、そのス・ー・プ!」
 みんなが一斉に動いて、かろうじて食べ物の安全が確保されたあとで……。


 ……規則正しい、赤い線が引かれたカレンダーが。

 海原くんの手元から、はらりと落ちた。



「……九本の実線と、最後だけ薄い点線?」
 玲香は、成績がいいだけあって分析が素早くて。
「ちょ、ちょっと……!」
「え、ええっ……」
 いったいどこまで引っ張るの、一年生のこのふたり?


「あれ? 月子(つきこ)だけ名前入り。あとなに……二日目くらいか? ……だって」
 美也ちゃん、チェックが細かいわよね……。

 ……って、えっ?


 わたしの中で、朝から続くこの違和感。
 妙なやり取りのすべてが、点から点線、そして実線へとつながっていく。

「わたしは……『この時期』は落ち着かないのよ……」

 ええっ。ま、まさか……。


「二十五日周期と仮定し……」
 あぁ、陽子(ようこ)が。
 メモ書きの続きを、読み上げてしまった。

「この『非常に薄い点線』って、もしかして……」
 寺上校長が、絶望的な顔で海原くんを見て。

 ついに『女子』がみんな、気づいてしまった……。



「バカなの? どこまでバカなの! バカだからバカなの?」

 ……怒る役は、由衣にまかせておいて。

「無駄に気づかいされてもねぇ……」
「本気で考えてそうだけど、方向性が間違ってるよね……」
 乙女たちはみんな、頭を抱えている。


「そんな安定してたら苦労しないって! これだから男子はダメだよねぇ〜!」
 自分の『周期』について。
 ひとりハイテンションなあの先生は、どうでもいいわよね。

 それと……。
「わたしだけ、『薄い点線』扱いよ……」
「海原君だもん……許してあげようよ……」
 残りふたりの教師は……そっとしておこう。




「……三藤先輩が、『生理痛』だと聞きまして」
「それは勘違いだし、口にしないで!」
 放課後、小さな声で。
 改めて謝罪する海原くんに、そう答えたけれど。

 きょうの海原くんは、意外なくらいしつこくて。
「……じゃぁ『この時期』は落ち着かない、というのはなんですか?」
「えっ?」

「そ、それは……」
 口々におしゃべりしていたはずのみんなが、一斉に聞き耳を立ててくる。
「な、なんでもないわよ!」
 みんなに、嘘だろうという顔をされたけれど。
 それでもわたしは。
 その日いっぱい、知らぬ存ぜぬを貫いた。



 ……そして迎えた、日曜日。

「月子、お買い物お願いね」
 母親に頼まれて。
 わたしはスーパーに、食材を買いにいく。
 そのわずか五分後に。
 海原くんが、わたしの家にやってきたなんて。このときのわたしは。


 ……想像さえも、していなかった。