……やっぱり。
 カラオケって、好きでも嫌いでもない。
 いや、いまはわたし。

 ちっとも、好きになれない。


「あ、赤根(あかね)さん……」
 同級生の男子が、わたしになにかいっている。

 ……っていうか、男子バレー部。
 カラオケボックスで勉強会って、ありなの?

 まるで生活指導の先生みたいな表情で。
 わたしはしかたなく、ソファーの一番端に軽く腰かける。


 不機嫌さを、隠すつもりはない。
 でさ、陽子(ようこ)
 あなたはこんな所で、いったいなにをしているの?

「は、春香(はるか)パイセン。長岡(ながおか)パイセンは……も、もうすぐきますんで……」
 山川(やまかわ)君さぁ、重罪になっても知らないよ。

 隣に座る陽子が、こちらにすり寄るたびに。
 わたしの不快感が、どんどん増してくる。

 ついでに、部員の誰かと目が合うたびに。
「ちょ、ちょっと飲み物を……」
「お、俺も喉が渇いたなぁ〜」
「あ、トイレいき忘れてた」
 そういって。ひとり、またひとりと部屋から消えていって。
 ついに最後の、ひとりを残すだけとなる。


「君さ、先輩想いなのは否定しないけど」
「……は、はい」
「この落とし前、つけてもらうからね」
「し、失礼しまっス!」
 こうして最後の、坊主頭が逃げ出したあとで。

「で、陽子。血迷ってるって、わかってるんだよね?」
 わたしが遠慮なく、質問したところ。
「……」
 あろうことか、陽子は。

 ……返事さえ、しなくなった。



 こうなれば、誰もわたしをとめられない。
 もっとも、もうほかに人はいないのだから。
 遠慮する必要も、まったくないよね?

「陽子は長岡先輩と文化祭デートしたから、心が揺れてるってことでいいかな?」
「えっ?」
「わたし、知ってるから」
 陽子の、その顔が。
 ほかに誰が知ってるかと、聞いている。
「そんなの、知らない。興味ない」
 あのね、ウソじゃないよ。
 だってわたしは。

 ……他人の恋愛なんかに、構っている余裕はないんだから。


「見たの?」
「見たけど?」
「誰かにいった?」
「わたしがいうと思う?」
「……思わない」
 モニターで流れる、南国の海みたいな映像に目を向けながら。
 わたしたちは短い言葉のやり取りを交わしている。

「偶然が、重なってね……」
「それ、わたしが聞く必要はあるかな?」
「……ない、よね」

 たぶん、ただの恋バナなら楽しく聞いてあげて。
 いっぱい質問して、盛り上がれるのかも知れない。
 でもわたしたちでは、はしゃぐことができなくて。

 ……カラオケルームは、やがて場違いな静けさに包まれた。



「よ、よう……」

 その高い身長とは似合わない、遠慮がちな声がして。
 ここでようやく、元男子バレー部長の長岡(ながおか)(じん)先輩が。
 静かに扉を開けて、登場する。

「……お久しぶりです」
 無言の陽子に変わって、しかたなくわたしがあいさつする。

「やむを得ずくる羽目になりました。ですがわたしは、先に失礼します」
 この先輩は、悪い人じゃないけれど。
 伝えるべきことは、きちんといおう。
「あと、陽子だけ残しますけど……なにかあったら許しません」

「ちょ、ちょっと玲香(れいか)。長岡先輩に失礼だよ……」
 ようやく口を開いたと思ったら。
 陽子は、先輩をかばうんだね。

「わたし、陽子と違って先輩のことはよく知らないの。それに悪い人じゃなくても、友人としていうべきことはいうのは当然でしょ。でもあとは、勝手にして。じゃ、先輩。わたし、用事がありますので失礼します」

 理由のある不快度が増していたわたしは、そう一気にいい終えると。
 一刻も早くこの空間から離れようと、自分のカバンに手を伸ばす。
 ところが、陽子が。
 顔は下に向けたままだけれど。
 わたしのカバンを、離そうとしない。


「……ねぇ、玲香」
 それから陽子は、わたしをキッと見つめると。
「喧嘩腰にいうのはダメ。長岡先輩、ちっとも悪くないから」
 少し早口でそういうと。
「玲香、謝ってよ!」
 今度は強い口調で、わたしに向かってくる。

 歌うための部屋には、いいことがあって。
 ここは、たとえどれだけ叫んでも。
 誰の迷惑にも、ならない場所だった。


「玲香、先輩に謝って!」
 返事をしないわたしに向かって、陽子が大きな声を出す。

「お願いだから! 謝って!」
 何度も続く。

「玲香! 聞いてるの?」
 その大きな心の叫びを、聞くことができて。


 ……わたしは正直、ほっとした。



「い、いや。俺は別にいいんだ……」
 確かに陽子が、『好きになる』だけはある。
「きょうは……俺の後輩が……迷惑かけてすまん……」
 長岡先輩は、自分はちっとも悪くないのに。
 わたしに謝ってくれる。

 ……そんな勇気のある人だった。



 ただ。
 いや、だからこそ。
 わたしは、悔しい。

 ……長岡先輩が、憎くてたまらない。

「わたしのほうこそ、失礼しました」
 自分のことは、素直に謝ろう。

 でも、(すばる)君を傷つけたあなたを。


 ……わたしは、許さない。



海原(うなはら)には、俺が何度も迷惑をかけている」
「えっ?」
「あいつの足を、これまで何度も引っ張った自覚がある」
 思いがけない、長岡先輩の言葉に。

「誤解していいがかりをつけたり、生徒会を潰したのはすべてこの俺だ……」
 わたしは、返す言葉を見つけられない。

「海原を巻き込んで、本当にすまない……」

 ……わたしは、完全に間違えた。

 昴君なら、こうやって誰かを責めたりしない。
 昴君を支えるわたしが、間違えてしまうと。
 昴君そのものを、わたしが否定することになる。

 それにわたしたちは、自分たちで決めたのだから。

 ……長岡先輩を恨んだり責めるのは、間違いだ。


「ねぇ、玲香?」
 ふと、陽子のやわらかな声がして。我に帰ると。

「玲香は、まっすぐなんだよね」
 隣に座っていた陽子が、とてもやさしい笑顔でわたしを見て。
 それから、ふわりと立ち上がると……。



「わたしからも、謝るね……」

 深々と、まだわたしに頭を下げ続けている。
 その人の隣に向かうと。


 少しだけ恥ずかしそうな顔で。



 ……静かに、その横に並んで頭を下げた。