……昨晩は、あまり眠れなかった。

「いいから、気にしない!」
「そうだよ、由衣(ゆい)は気にしない!」
 夜中まで、スマホで陽子(ようこ)ちゃんと夏緑(なつみ)をつないでおしゃべりした。

 わたしは、涙が出たり笑ったり。
 残りのふたりも、同じようなことをして。
 いつまにか、みんな寝てしまっていた。

 いや、もしかしたら。
 一番最後に夏緑が。

「……海原(うなはら)君のこと、よろしくね」
 なんだかそうつぶやいた気がするのだけれど。
 それはたぶん、わたしの勘違いだろう。

 だって夏緑は、アイツを『ウナ君』と呼ぶはずだし。
 そのいいかたが、なんだかこう。
 あまりにもやさし過ぎる気がしたから。
 だから……。


「……気のせい、だよね?」

「ん、なにがだ?」
「うわっ! なんでアンタがいるのよ!」
「あ、朝の電車なんだけど……寝ぼけてるのか、高嶺《たかね》?」

 ええっ?
 ほ、ほんとだ。わたし……。
 三駅分も、寝てたの?

「由衣。ヨダレ、垂れてるよ」
「ウソっ!」
「わたしが……拭いてあげたわよ」
「ウ、ウソっ……」
 玲香(れいか)ちゃんと、月子(つきこ)ちゃん。心臓に悪い冗談とか、やめてよね……。

「えっ、ど? どこですかっ!」
 ちょっと、アンタ。
 なんでそんなバイキン扱いしてんの?
 それに、寝起きのわたしでも冗談だとわかるのに。
 アンタが本気にして、どうすんのよ……。

(すばる)君、肩の上だよ」
「えっ! 玲香ちゃん、ホントにっ?」
 あぁ……いっそ本当になにかつけてやりたくなる。
 というかそれだと、アンタの肩に寄りかかってたことになるから。
 さすがに、ふたりがとめるでしょ……。


 乗り換え駅に到着すると。
「……着いたわね。降りるわよ」
 月子ちゃんがチラリとわたしを見てから、そう声をかけてくる。 

「お・は・よ」
 姫妃(きき)ちゃんが階段を降りたところで、ニコリとしながら待っていてくれる。
 ある意味それは、いつもと変わらない光景なんだけれど。

 でもきょうからは。
 これでもう……『全員』なんだよね……。


「由衣……あなた、間違っているわよ」
「えっ? 月子ちゃん?」
「まだ美也ちゃんが、いるじゃない」

 ……わたしいま……声に出したっけ?

「そうそう、あの先生たちもいるしね」
「なにより部活が変わっても親友なのは、変・わ・ら・な・い!」
 不安に思う必要はない。
 心配しなくても、大丈夫。
 みんながさり気なく、そんなことを伝えてくれた気がして。
 わたしは心があたたかくなると同時に。

 みんなはわたしの『先輩』で。
 いつか、わたしは見送る立場になるのだと。

 ……ふと、そんなことを感じてしまった。



 学校に着き、教室棟の長い廊下を進んでいく。
 一番奥の、一組の教室が見えてきたとき。

 待ち構えていたかのように『その子』が慌てて走ってきて。
「ご、ごめんなさい!」
 わたしに、謝罪の言葉と同時に頭を下げてきた。

「い、いや……こっちのほうこそ。迷惑かけてごめんね。」
 わたしをバレー部に誘ってくれた三組の女の子が。
 恐る恐る、頭をあげる。

「ご、ごめんね……」
「だから、いいってば。わたしこそ考えが至らずで、ごめんなさい!」
 むしろ、わたしが悪いんだし。
 それに、謝るべきは迷惑をかけたわたしだと。
 そういいながら、笑顔で『その子』を見る。

「あ、ありがとう……」
「朝練でしょ? こちらこそ、待っててくれてありがとう」
 これで、一件落着。
 わたしとしては、そう思ったのだけれど……・


「あの……ほかの人たち。怒ってた?」
「あぁ、平気。みんなもう納得してるし。先輩たちってどのみち親友だから」
「そうなの?」
「うん、あと夏緑とも平気だから!」
「よかった……」
 そういったあと、『その子』は。

「海原昴君は?」


 ……なぜかアイツのことまで、質問してきた。


「……あぁ、そういえばアイツ。部長だったかぁ〜」
 自力で理由を見つけたわたしは、それも心配ないと告げる。
 ただ、少しだけ。
「よかった……」
 その子の言葉の、ニュアンスが。
 さっきのそれとは違う気が。なんとなく……した気もした。


 体育館に向かって走り出すその子に。
「試合がんばれ〜!」
 そう声をかけてから、教室に向かう。
 いつもとっても感じのいい子だから、きっと夏緑をまかせても平気だろう。
 陽子ちゃんだって、部長と仲良しだし心配ない。

 そう思うとわたしは。
 わたしがもし、バレー部に入っていたら。

 ……果たして、馴染めていたのだろうか?

 放送部のときみたいに、笑ったり怒ったりできるのだろうかと。
 そんなことをふと思って。

 ……あれ、もしかして?


「わたしって、意外とややこしいとか?」

 うわっ! 月子ちゃんが移ったの、わたし?
 それはそれで、ピンチだと。

「やっぱり、もう少し愛想よくしないとね……」
 今後は、気をつけようと。

 そんな『前向き』なことを。少しは、考えたのだけれど……。
 まだ考えが甘かったことを、すぐに思い知った。




 ……放送室では、すでにアイツが書類に埋もれている。

「なにそれ?」
「この先の……頼まれごとだ」
「うそっ? また増えてない?」
「減ることなんて、あるわけないだろ」

 そっか、人数は減ったのにね……。
 頑張らないと、マズイよね。

「じゃ、こっち印刷してくる!」
 気合いを入れたつもりのわたしに。
 あいさつがわりに軽く手を挙げた、アイツがいる。

 ……よし、これなら大丈夫。

 わたしがそう思った矢先。
 アイツが、書類を読んだまま。

「あの、春香(はるか)先輩?」


 ……空席に向かって、冊子を渡そうとしていた。



 月子ちゃんが、無言で代わりに受け取ると。
鶴岡(つるおか)さん、これお願いしていいかな?」
 また、考えごとに没頭しているアイツが。
 手を伸ばした玲香ちゃんに、メモ用紙を渡している。

 思わず口を開きかけたわたしに。
 姫妃ちゃんが、そっと背中をさすってくれて。
 このままでいいんだと、目で訴えてくる。


 ……『先輩たち』は、みんなやさしい。


 アイツにも、そしてわたしにもやさしい。


 ……でも。

 こんな状況を、作り出したのはわたしなのに。
 解決させたのは、わたしじゃない。

 だから、だからこそ。
 わたしは、このとき。


 ……このやさしさが、耐えられなかった。



「印刷にいってきます」
 なんとか、声を振り絞って。
 どうにか、印刷室にたどり着いて。

 機械が回り出して、扉を閉めると。
 部屋の中には大きめの音が響いてくる。
 それからわたしは、音の漏れない大きさにだけ気をつけると。
 あとはひとり。



 ……声をあげて、泣いていた。