……鶴岡(つるおか)宗次郎(そうじろう)

 学園のトップ・理事長という存在であると同時に。
 早くに両親を亡くした、鶴岡(つるおか)夏緑(なつみ)の唯一の肉親だ。

 その老人が、三藤(みふじ)先輩と僕に伝えた言葉の中に。
 鶴岡さんの『転校』という文字は、含まれていなかった。


「……あ、ウナ君。ちょっと待って」
「へ?」
「えっと、神戸におばさんがいるから。唯一は大袈裟」
 す、すいません……訂正入ります。
 というか……僕の心の中のセリフだったのに。
 いったいどうやって聞いたんだろう?

「確かご両親がご健在のときは、あちらの私立小に通っていたのよね?」
 三藤先輩が、そういうと。
「はい、事故のあとも。中学卒業までお世話になりました」
「……そう。すてきな女子校よね」
月子(つきこ)ちゃん……ありがとうございます。」


 三藤先輩のいう『ステキ』は、きっと『制服』の話しだろう。
 なんといっても、先輩は。
 とことん、『制服』が好きなのだから。
 絶対検索して、散々吟味した結果の……褒め言葉のはずだ。

「……海原(うなはら)くん、いいから話しを進めてもらえないかしら?」
 しまった、余分なことを考えたせいで。
 例の僕の非常に不得手な、『恋愛のこと』。
 それを僕が話せと、三藤先輩に決められてしまった……。

「……海原くん」
 あぁ、もう!
 しかたがない、覚悟を決めていうしかない!



「えっと、鶴岡さんは……十六歳を迎えるクリスマスに……」
「じゅ、じゅうろくっ!」
 ふ、藤峰(ふじみね)先生……静かに、しません?


許嫁(いいなづけ)に、会うんだよね……」


「……()りぃ、海原。もう一度いってみろ」
 あの……藤峰先生。
 キャラ、おかしくなってますよ?

「いい名付け?」
 高尾(たかお)先生、わざと誤変換しないでもらえませんか?


「はい、わたし。運命、さだまってるんで!」

 鶴岡さんって、たまに思うんだけど。
 自分で意味わかって、いってるのかな?


「……情報をまとめると。『そう』なるから、転校するということかしら?」
 三藤先輩には、きっと口にしたくない言葉があって。
 指示語で、それを回避したのだろう。

「おじいちゃんからは、そう聞かされて育ってきましたので」
 鶴岡さんのセリフに、藤峰先生が。
 己の置かれたズボラ三昧の境遇と待遇の差に。
 おののいているのが、よくわかる。

「わたしも、最後は『レオ』と一緒になる覚悟だけどね……」
 高尾先生。
 実家の狛犬(こまいぬ)のネタ、また披露しないでいいんで。
 それに、十六歳の女子高生と競うところじゃないですから。
 静かにしませんか?

「……ねぇ響子(きょうこ)。なんか海原君冷たくない?」
「だよね、佳織《かおり》。きっと思春期だよ」

 あぁ、先生たちがいると話しが長くなる……。

「でね、鶴岡さん。その人生設計なんだけどね……」





「……全部嘘だって、知ってるよ?」

 わたしがそう答えたら。
 みんなの目が点になって、思わず笑ってしまった。

 パパがね、わたしにいつか『変な虫』がついたらって心配して。
 あと、高校まで続く女子校が。
 もし嫌になったときのためにって、ね。

『許嫁がいるから、恋人の心配はしなくていい』

『例えどこか別のところにいても、十六歳のクリスマスには会えるから』

 そうやって、小さなわたしに話していて。
 訂正するチャンスのないまま、事故にあってしまっただけ。


 ……おじいちゃんは。きっとなかなか、いいだせなかったんだよね?


 ところが、もうその時期に近づきすぎてしまったから。
 先生とか、ウナ君たちに頼ったんだね……。

「おじいちゃんだもん、恥ずかしがり屋さんだしねぇ〜」
 なぜだろう、おじいちゃんに。
 どうしてみんなに話してしまったのとか。
 そんな文句を、いう気にはならない。

 本当はすっごくプライベートな、話しのはずなのに。
 嫌な気持ちというよりは、むしろ。


 ……わたし、とっても軽くなれた気がする。


「お父さまと、お母さまのことが大切で……」
 つ、月子ちゃん?
「自分の口で『違う』と伝えるのを、避けたかったのじゃないかしら?」

 ……なにそれ。

 おじいちゃんって、なんだか子供みたい。


「そんなの、あれは嘘って。ひとこといえば済むのにね〜」
 少しだけ、目元が潤んできたから。
 わたしは笑って終わろうとしたのに。
 もう、ウナ君ったら……。

「嘘じゃなくて、御伽話(おとぎばなし)とか。思い出話、みたいなもの……ですかね」
 あぁ、余分なこと。いってくれちゃうから……。
 どうしよう。
 一気に、涙があふれてきて……。

「な、夏緑!」
 ちょっとだけ、ぎこちないけれど。
 慌てて月子ちゃんが、ギュッとわたしを抱きしめてくれた。

 それから、先生たちも加わって。
 あったかい輪に、包まれていたら……。


「な、夏緑〜!」
「転校なんて、な・し!」
「許嫁も、いないよっ!」
「わたしたちが、いるからね!」
 うわぁ。
 暑い、痛い、重い、く、苦しい……。

 ……みんなが、講堂の機器室まで。

 ゼェゼェいいながら、走ってきた。



 ……そうそう。
 なぜ、みんなが飛んできたかといえば。

 講堂の機器室の、『秘密の扉』。
 まぁ要するに、わたしが放送室直通の電話の受話器を。
 たまたま外しちゃったらしくて。
 みんなに、みんな聞かれてちゃいました!





 ……こうして、鶴岡さんの『大切な件』については。

 一件落着、したようで。
「無事に解決できて、よかったです」
 みんなで放送室に戻りながら。
 僕が隣の三藤先輩に、感想を述べると。

「そうね……」
 先輩は、一瞬だけ立ち止まると。
「親が知らなくても、娘は意外と気がついたりするものよ」
 そういって、僕を見た。


「……あの。それっていわゆる『女の勘』とかいう、やつですか?」
「海原くん」
「はい」
「いいこというのが『たま』で。基本は鈍感なのよね……」
「へっ?」
 僕がどういうことか、聞き直したくて。
 三藤先輩に、声をかけようとして。

 でも、そのとき。


「あっ! 放送部っ!」

 ずっとずっと、元気な声が。


 ……勢いよく、僕たちに飛んできた。