「それとも、下の名前忘れた?」
「まさか! 朋空先輩。です」
「よし」
何がよしなのか分からないが、頬をぎゅうぎゅう押される。先輩は眠そうだが、満足したように頷いた。
「一年もいたのに俺のこと気付かなかったのか?」
「まさか! 気付いてました」
「なら声かければいいのに」
「だ、だって先輩って学校のアイドル的存在だから。気安く近付いちゃいけないって思ったし」
モゴモゴと答えると、彼は可笑しそうに吹き出した。
でも事実だし、笑い事じゃない。
「先輩、最近すごく狙われてるんでしょ? その、ちょっと過激な人達に」
「あぁ……大丈夫だよ。いつものこと」
先輩は何でもないように答えたけど、以前襲おうとした人がいるって赤城先輩も言ってた。決して楽観視していいことじゃないと思う。
「それはそうと、お前睡眠研究会とかいうの入ってるんだって? この間赤城から聞いたよ」
「うっ!」
「何」
「…………嬉しい。初めて、名前ちゃんと覚えてくれてる人に会えた…………」
感動のあまりえづきそうになる。口元を手で塞ぎ、後ろにフラついた。
「すごく安直なのに、皆わざとかってぐらい研究会の名前間違えるから」
「わざとじゃないか?」
「こんなに感動したの、ウミガメの産卵動画観たとき以来です。……決めた! 朋空先輩、これからは毎日睡眠研究会の部屋つかってください!」
朋空先輩の両手を握り、前のめりで提案した。
「ほんとは駄目だけど、俺は寝るとき部屋の鍵かけてるんですよ。鍵かけちゃえば、先輩の睡眠を誰も邪魔できないでしょ? 今まで辛かったと思うけど、もう大丈夫! 安心してください!」
「……」
微笑みかけると、先輩は目を逸らした。迷惑だったかと内心焦ったが、その耳と頬は火照ったように赤い。
どうしたんだろ。
「先輩、熱でもあります? 顔赤いですよ」
「ない」
額に触れようとした手を払われる。様子がおかしかったのは本当に一瞬で、すぐにいつもクールな先輩に戻った。
「お前、そんな適当な理由で部屋に引き入れようとするなよ。この学校はゲイであふれかえってんだぞ」
「ええ、朋空先輩だから誘ったんですよ」
「だからなぁ……」
先輩は頭が痛そうにしていたが、やがて腕を組み、ため息をついた。
「そんなんでよく今まで襲われなかったな。不安過ぎる」
「襲われませんよ〜。先輩みたいに美人じゃないし」
「馬鹿言え。……大体、お前より可愛い奴なんかいない」
ようやく狭い空間から解放された。でも先輩の視線は、さっきより鋭い。
ていうか、可愛いって。それこそ言われたことがない。
朋空先輩は案外乙女なのかもしれないな。心の中で頷いて、彼の隣に腰を下ろした。
「可愛くはないですけど……先輩は、何で研究室に来なかったんですか? 赤城先輩から行くように言われてたんでしょ?」
「行くわけないだろ。お前の同意を得たとか言ってたけど、絶対強引に言わせたんだと思った」
さすが、察しがいい。先輩は一見気だるそうだけど、実は周りをすごく見てて、思慮深いんだろう。
でも、そんな先輩だから……尚さら力になりたい。
「俺、先輩を助ける為なら何でもします。だから遠慮しないで、研究室をつかってください」


