放課後職員室に乗り込み、扉付近にいた担任に手招きした。
「俺決めました。研究会は今日で終わりにします。短い間でしたが、一年間ありがとうございました」
「おいおい、突然過ぎるぞ。どうしたんだ」
まだ若い男の先生は、コピーしてた手を止めて心配そうにやってきた。親身になってくれるのは非常に有り難いけど、詳しくは話せない。最終的に「やる意義を見失ってしまって……」という一番駄目野郎みたいな返答をしてしまった。
「こんなことして何になるんだろ、って急に思ったんです。だって俺、寝つき良いし」
「そうか……でも、無駄ではないだろ。他の先生も驚くぐらい、睡眠に関する論文をまとめてたじゃないか。眠れないって悩んでる子がいたらアドバイスもできる」
「うーん……まぁ、そうなんですけど……」
「とにかく一年頑張ったんだ。いきなり廃止は性急だよ。快眠クラブに入りたいって生徒もちらほらいるんだし、もうちょっと様子見しよう。な?」
快眠クラブって……一体どこのネカフェだ。
ツッコミたかったけど、真面目に心配してくれる先生を前に何も言えない。なんやかんやで言いくるめられ、職員室を出た。
廊下をとぼとぼ歩く。
先生はああ言ってたけど、研究会に入りたいって言ってきた子なんて今までひとりもいない。多分そこまで睡眠に関心がないのだ。寝るのが好きだとしても、それならさっさと家帰って寝よう、という思考になる。
だから一年ずっとひとりで快適に眠れてたんだ。俺は家に帰ってもつまらない、でも帰宅部は嫌、という想いだけでこの同好会を作った。空き教室で動画観ながら寝落ちすることを至高としてる俺と同じ志の子を見つけるのは、中々大変なのだ。
「ん?」
そのとき、また異様な光景を目撃してしまった。
以前と同じ、廊下から教室を覗く男子生徒Aの図。周りをきょろきょろしてるから、こっちも一旦隠れてしまった。
って、何で俺が隠れるんだよ。悪いことしてるわけじゃないんだから堂々とせい。
そう思うわりにチキンなので、何度かその場で深呼吸する。そして襟元を直し(何故?)、少年の方へ向かった。
「ね、ねえ。何してるの?」
「っ!」
上履きの色からして一年生だったから、何とか声を掛けられた。相手が三年だったら無理かもしれない。
内心どきどきしながら、努めて笑顔を保った。
「教室の中に誰かいるの?」
「あ、いや……何でもないです!」
「ち、ちょっと!」
彼はまるで、万引きGメンに声を掛けられたひとみたいな形相で走り去っていった。
この前みたく盗撮してたわけじゃないし、悪いことしちゃったな……。
でもやっぱり、用があるなら普通にノックして、声を掛けた方が良いと思うんだ。
彼が立っていた教室の扉を、指三本ほど入れて静かに開ける。
思ったとおり。中には、我らが眠り姫がいた。
また綺麗に机を並べ、簡易ベッドにして眠っている。
どこに行ってもこうしてファンやギャラリーが来ちゃうんだから、家に帰れば安心なのに。……帰りたくない理由でもあるんだろうか。
余計な詮索をしそうになり、慌てて首を横に振る。俺には彼の事情は分からない。なんせ、余裕でもう三年以上口を利いてないのだ。
そう……この学校では誰にも話してないけど、“昔”は確かに一緒にいた。慣れない土地に引っ越したばかりの頃、彼は独りだった俺を気にかけ、話しかけてくれたから。
まさに近所の優しいお兄ちゃんで、大好きだった。でもある日突然、顔を合わさなくなった。
本当に同じマンションに住んでるのか? と思うほど。生活リズムが違うなら分かるが、お互い学生だし。夕方ぐらい会える。そう楽観的に考えながら、なんと数年が経った。
会おうと思えば数分もかからないのだが、わざわざインターホンを押して会いに行く間柄でもない。むしろウザかられないか、という不安の方が強くて、とんでもない空白が生まれてしまった。
眠り姫なんて渾名、心外だ。俺も彼も。
扉を閉めて、しばらく天井を見上げた。
あぁでも……俺は彼のことをどう呼んでたっけ。
呼び捨ては絶対ない。くん付けか、さん付け。でもどれもしっくりこない。
ひとりで悩んでいたけど、扉に背を預けてずるずると下へ落ちていった。結果として床に座る形になる。
ここにずっといたら、誰か来てもすぐ分かる。辰野先輩を盗撮しようとしてる生徒のことは止められるかもしれない。
完全に偶然だけど……こうして同じ高校に入ったのもなにかの縁だし、見張り番でもするか。
噂だと、先輩はいつも十八時まで寝てるらしい。今は十五時半だから、まだ当分起きないだろう。
ちょうど、俺も眠くなってきた。
昨日は母さんが熱を出して看病していたから、寝不足なのだ。授業中もずっと首がガクガクして、先生にも注意された。
「ふあぁ……」
ちょっとだけ、寝てもいいかな……。
スマホのアラームを小音でセットし、ズボンのポケットに入れる。瞼を伏せれば、暗闇に落ちるのは早かった。


