俺がこのマンションに引っ越してきたばかりの頃。

意外と同じ学区に通う小学生がいなくて、最初はかなり寂しかった。鍵っ子だったし、人見知りが災いしてクラスメイトと打ち解けるのも時間がかかって。

( 何でここだったんだろう…… )

母も忙しいから、仕方ない。誰にも弱音は零せないけど、いつも考えていた。
引っ越しでばかりだから部屋は綺麗で片付いているけど、それが返って虚しい。自分しかいない部屋は、まるで世界から遮断された空間のようだった。

マンションの隣に併設された公園に向かうも、誰かに声をかける勇気はない。ブランコに座って、ただ時間を潰していた。

『あら。雅月君、こんにちは』

そんなときに声を掛けてくれたのは、同じマンションの住人。
母とよくお喋りしてる女性、辰野さん。

『こ……こんにちは』

人見知りが炸裂して声が全然出なかったけど、彼女は笑顔を浮かべた。

『そうだ。朋空は会うの初めてよね? このあいだ四階に越してきた入川さんの息子さん、雅月君よ』

あれ。
息子さんいたんだ。しかも俺と同じぐらいの。
恐る恐る見ると、彼はわずかに首を傾げた。

『今何してんの?』
『え』

突然訊かれて、露骨に狼狽えた。別に誰と待ち合わせてるわけじゃないし、やることもない。
ただボーっとしていた……って言ったら、初対面から変な奴だと思われちゃうかな。

責められてるわけでもないに、怖くて俯いてしまう。そんな俺に、その子は鞄から取り出したお菓子を見せた。

『これ美味いんだ。一緒に食べようよ』
『え。で、でも』

絶対根暗だと思われたのに、意外だった。彼は俺の隣のブランコに座ると、チョコがたっぷりついたお菓子を渡してくれた。
そうこうしてる間に、辰野さんは近くの自販機で飲み物を買ってきてくれた。

『朋空、お母さん先に帰ってるから。雅月君のこと宜しくね』
『うん』

よく分からないけど、宜しくされてしまった。
頂いたジュースを飲み、そわそわしながら隣の彼を窺う。

すごくかっこいい……。
今まで見たことないぐらい、綺麗な男の子だった。もう少し髪を伸ばして喋らなければ女の子に間違われそう。

俺ももっと小さいときは女の子だと思われたことがあるけど、彼の場合は美人という言葉がぴったり当てはまった。

でも、朋空って名前良いな……。

『前はどこに住んでたの?』
『え。ええと……』

それから、彼とたくさん話した。今まで住んでいた場所のこと、この地にまだ馴染めてないこと。彼は黙って、静かに相槌を打っていた。

こんなに喋ったのは久しぶりだ。空が薄暗くなるころには、喉は枯れ、声がガラガラになっていた。

『うっううん……声が変になった』
『あはは。ごめん、喋らせ過ぎたな』

そこで初めて、彼は可笑しそうに笑った。お菓子の空箱をたたみ、ゴミ箱に入れて戻ってくる。
『明日学校行ったら、今みたいな感じで喋んなよ。聞いて、っていうより、聞け! って勢いでさ。そしたらいつの間にか皆寄ってくるよ』
『うぅ……嫌われそうでできない……』
『そんなことで嫌うわけないだろ。俺はお前の話、聞いててすごく面白かったし』
そう言ってもらえたのは嬉しかったけど、単純に彼が落ち着いていて、話しやすかっただけだ。クラスメイトは皆声が大きくてバタバタしてるからついていけない。

そう零すと、彼はまた少し笑って、俺に手を差し出した。

『……何となく分かる。確かに無理に話す必要もないか。ごめんな』
『ううん、俺が駄目なだけ』
『そういうネガティブなことは言うの禁止。ここはもう家みたいなもんだろ。学校じゃない』

俺の手を取り、引き寄せる。それほど身長は変わらないけど、彼はずっと大人びて見えた。

『自分らしくいていいんだよ。笑った時のお前、明るくて可愛かったもん』
『可愛……?』
『可愛い。最初はビクビクしてるなーと思ったけど、話してたら全然違くてびっくりした』

初対面から可愛いとか何とか……やっぱり、朋空先輩は昔から変わってた。

でも、知らない土地で初めて心を開けたのが彼だった。
怖いもなんて何もなくて、リーダーシップがあって、おまけに美少年。近所ではかなり目立っていたと思う。
そんな彼がどうして俺のことを気にかけてくれていたのか、正直分からない。
最初は親同士が仲良いからかと思ったけど、彼は基本ひとりでいるのが好きなようだった。同学年の子やクラスメイトがいても、積極的に声をかけようとはしない。でも俺を見つけると嬉しそうに手を差し出してくる。

すごいギャップに戸惑いもしたけど、だからといって深く考えることもなかった。

その頃にはもう、彼のことが大好きになってしまっていたから。

『雅月、中学になってもこうやって会おうな』
『うん!』

そう言って笑い合っていたのに。日常が崩れるのは本当に呆気なかった。
あの頃は近所で不審者が度々目撃されていて、各家庭に注意喚起がきていた。俺も知っていたけど、留守番が億劫でいつもの公園にいたんだ。

それがいけなかった。俺に気付いた朋空先輩がやって来て、少しだけ付き合ってくれて……そのまますぐに帰れば良かったのに、知らない男の人が俺達に声を掛けてきた。

初めは道を訊かれたけど、通ってる学校とか、だんだん関係ないことまで訊かれて、さすがに変だと気付いた。

その男の人はずっと先輩のことを見て話していたけど、離れた位置にいる俺に近付いてきた。