間違いない。
この高校に入ってから……初めて、見かけた。
気付けば扉を開け、教室の中へ入っていた。足音を殺し、息を殺しながら彼に近付く。
やばいやばい。引き返せ、俺。
寝てるところを起こしたらキレられそうだし。何より、会うべきじゃない。
そう思うのに足が止まらない。脳内だけで鳴り響く警鐘は、動悸でかき消されてしまった。
机を縦に四つ並べた上に横たわる、栗色の髪の少年。
この学校で知らない人はいない。眠り姫の、辰野朋空《たつのともそら》先輩。
「……っ」
前から綺麗な人だと思ってたけど、寝顔の破壊力は凄まじかった。
長い睫毛。高い鼻。薄い唇。
陶器のような、汚れを知らない白い肌。
同じ男なのに……何故か緊張してしまうほど、彼の全てに目を奪われた。
こんなに綺麗な男の人がいていいのか、真面目に考えてしまう。盗撮は絶対駄目だけど、こっそり覗こうとしたさっきの少年の気持ちもちょっと分かる気がした。
どうせ手に入らないなら、写真だけでも。……みたいな。
俺は、写真はあまりこだわらない。撮っても全然見返せないタチだ。その分、今目の前にあるものに脳を焼かれる。
もっと近くで見たい。
引きずるように足を一歩踏み出したが。
「うーん……」
「っ!!」
彼が身じろぎをした為、全速力で教室から飛び出した。
( あっぶねえええぇ……!! )
何とかバレなかったと思う。ドアにへばりつき、廊下の床に崩れ落ちる。
好奇心て怖い。最後の方とか記憶ないもん。
そもそも人の寝顔を見るとか最低だろ! 俺が逆の立場だったらめっちゃ嫌だわ!
罪悪感と自己嫌悪に苛まれながら、とぼとぼと家路についた。
もう辰野先輩のことで頭がいっぱいで、疲れる。俺が勝手に考えてるだけなんだけど……何よりも楽しみだった放課後が、憂鬱で仕方ない。
以前は帰りのホームルームが終わったと同時に大手を広げて、研究室に駆けていたのに。
「雅月、おかえりなさい。最近帰り遅いけど、仲良い友達でもできた?」
夜。帰宅してリビングに向かうと、テーブルを拭いていた母が不思議そうに尋ねてきた。
「ただいまー。……うん、ちょっと遊んでた。あ、勉強はしてるよ!」
「あら、偉いじゃない。でも仲良い子がいる方が嬉しいわ。たくさん遊んでおいで」
「おけ。お金は使わないようにする」
「大丈夫よ〜。仕事増やしたし、前よりはお小遣い増やすからね」
夕食の支度を始めた母にならい、手を洗ってキッチンに立つ。唐揚げを作ると言ってるので、俺は適当にサラダを作ることにした。
母ひとり子ひとりで暮らしてきたから、これが俺達の当たり前だ。俺は家事をしながら、母はフルタイムで働き、時には遅くまで残業する。
今も充分幸せだけど……本当はバイトしてお金を貯めて、自立したい。自分のしたいことを我慢してきた母に、早く楽をさせてあげたかった。
睡眠研究会も一年満喫した。よく考えたら、先輩に教室を譲る良いタイミングかもしれない。
「最近の子は何して遊ぶの?」
「ンッッ」
でも俺は今、優しい母に嘘をついている。
友達はいるけど、最近学校外で遊んだことがない。眠活という、青春とは程遠いことに取り組んでいる。徒競走でよーいドンをした瞬間、俺だけがゴールと逆方向に全力疾走してる状況だ。
結果、適当に答えてしまった。
「……ゲーセン?」
しかも疑問形。
「へえ! やっぱり皆ゲーセン好きなのね」
何とか誤魔化せたけど、喜ぶ母の顔を見て胸がチクッと痛んだ。
実を言うと格ゲーもクレーンゲームもド下手だから、ゲーセンは苦痛だ。この話は一刻も早くフェードアウトせねば。
ちょうどあることを思い出したので、冷蔵庫からドレッシングを取り出し、母の背に声を掛けた。
「話変わるけどさ。下の階の辰野さんと、最近話した?」
「辰野さん? 時間が合わないみたいで、しばらくお会いしてないわねぇ。お元気かしら……」


