息を吸い込む度に朋空先輩の香りがする。
すごく変態っぽくてやはいけど、これを数回繰り返すだけで眠れてしまう。

朋空先輩もそうだ。俺を抱き締めただけで、静かに寝息を立てる。
まるで相互の睡眠薬だ。可笑しくて笑いそうになったけど、そんな夢想すら瞬く間に波に攫われてしまった。





俺は、物心ついた時には母親しかいなかった。
父は俺が一歳の時に急死した。母は発作だと言っていたけど、子どもが生まれたことで張り切って、働き詰めだったからかもしれない。中学生の頃にふと考えたが、口にしたことはない。
何となく、命日以外はあまり父の話題を出せなかった。母は気にしてないかもしれないけど、何となく……色々思い出させて、辛い気持ちにさせてしまうことが怖かった。

でも小さい頃はそんな気遣いできなかったと思う。友達の家にはお父さんという存在がいるのに、ウチにはいない。そのことを何度も母に尋ねた気もする。
母がなんて答えたのか、全然覚えてない。だから俺は当時訊きまくってたわりに実際は関心がなかったんじゃないか、と考えた。

子どもって残酷だ。その質問が誰かの心を引き裂くことなんて、まるで気付かない。
純粋で、真っ直ぐで、それだけに容赦ない。俺は小さい頃、きっと母をたくさん傷つけたんだ。

遅くまで働いて、帰ってこない母のことを想い、泣いた夜もある。

せめて良い子でいよう。母を悲しませないよう、常に笑っていよう。

もう父さんのことは絶対訊かない。
だから、ごめん……ごめんなさい。母さん。

「……ぅ」

手を伸ばした先には、誰もいなかった。
「……ん?」
瞼を開けた先に広がるのは薄暗い部屋と、パーテーション。

え。夜?

研究室で眠ったことは覚えてる。でも変だ。ガバッと起き上がり、胸ポケットに入れてたスマホを取り出した。
「え!」
現在の時刻、十九時二十分。下校時間をとっくに過ぎた、バリバリ夜である。

やばい。アラームかけ忘れたんだ!

「せんぱ……っ」

慌てて隣を向いたが、そこには誰もいなかった。ベッド、いや部屋にいるのは自分だけ。
えぇ。朋空先輩、どこに行ったんだ?
スマホを膝に置いて、呆然とする。寝起きということもあって、まだ頭がちゃんと働いていない。

俺が寝てる間に誰かが部屋に入ってきて、先輩を連れて行った? でも、話し声が聞こえたらさすがに起きると思うんだよな。
ということは、先輩はひとりで出ていった可能性が高い。

え。俺置き去り……?

ないと思いたいけど、……絶対ない、と言い切れないのが辛い。

そうだ、何か急用ができて先に帰ったとか! 慌ててスマホを確認したが、特に先輩から連絡はきていなかった。