なるべく他人に迷惑かけず、細々と生きていた。
高校に入ってからは自由主義に拍車がかかり、睡眠研究会なるものを立ち上げてしまったが、それ以外は特筆すべきこともない。授業態度は真面目、遅刻も早退もなし。
そんな俺が、今や全校生徒の視線を集めている。

いや、正確には俺の隣。

「辰野先輩、おはようございます!」
「……おはよう」
「辰野先輩、今日の体育、テニスの授業ですよね? 頑張ってください!」
「ありがと……」

想像してた百倍やばい。数歩歩くだけで女子に話しかけられてる。

朋空先輩とめでたく(?)お付き合いしてから、待ち合わせして一緒に登校するようになった。それはいいのだが、校門をくぐってから辰野先輩コールが止まらない。
俺が返事してるわけじゃないのに、聞いてるだけで疲れてきた。

やっぱり朋空先輩ってすごい。淡々と対応してるけど、俺だったらそのうち奇声上げて発狂する。

「みんな朋空先輩に話しかけるところがすごいや。俺だったら、好きな人に話しかけられない。遠くから見てることしかできないよ」

人見知りではないけど、恋愛に関しては間違いなく引っ込み思案。ため息混じりに言うと、彼はようやく楽しそうに笑った。

「かもな。でも、俺はお前のそういうところが好きだよ」
「先輩……学校に入ったら、好きとか言っちゃ駄目です。誰かに聞かれたら大変」
「いいだろ別に。むしろ聞かせてやりたいよ」

朋空先輩はくるっと振り返ると、俺の髪に触れた。

「俺の可愛い恋人のこと。他の奴らが欲しいと思わない程度にな」

下駄箱で上履きに履き替え、互いの教室へ向かう。……はずだったのだが、何故か男子トイレに連れて行かれ、個室に引き込まれてしまった。
「先輩? 何でここ……」
「みんなお前のこと見てたな」
「いやいや、何言ってんですか。先輩のこと見てたに決まってるでしょ」
「いーや。俺と一緒にいるお前。……一体誰なんだ、って興味津々だったぞ」
先輩は俺の前髪を持ち上げ、額にキスした。

「俺といるせいで目立って、変な奴らに狙われないか。それだけが本当に心配だ」
「あはは……大丈夫ですよ。俺は自衛できます。先輩のことも守るつもりだし」

自身の胸を叩いて自信満々に答えると、先輩は露骨なため息をついた。

「全然駄目だな。こんなちっこくて可愛いんじゃ」
「そ、そんな小さくないですよ!」

確かに高身長とは言い難いけど、がっかりされるほどじゃないはずだ。
猛抗議したものの、簡単に頭を押さえられてしまう。

「いいか、知らない奴にほいほいついていくなよ。放課後は俺に連絡して。教室まで迎えに行くから」
「心配し過ぎですよ……」
「心配もする。今までは大人しくしてたから、気付かれなかっただけだ。俺といることで、お前の可愛さが全校に知れ渡った」

大袈裟にも程がある。もはやノーコメントだ。
とりあえず帰りのホームルームが終わったら先輩に連絡する約束をして、その場は何とか納得してもらえた。
別れ際に首筋に吸い付かれ、女みたいな声を上げてしまったけど。

「はぁ……放課後までお預けか」
「もう、それぐらい我慢してくださいよっ!」

朋空先輩のスキンシップは、俺が思ってるよりずっと過激で、何ていうか……濃厚だ。それは間違いない。

あちこち触られると変に身体が火照って、息が上がる。
これから授業なのに……!
先輩が触れたところが疼いて、全然集中できない。せめて変な顔にならないよう、窓ガラスに映る自分の顔を定期的に確認した。

恐ろしいのは、時間経過で忘れられるものではなく、むしろ上書きしてもらわないといけないということ。
触られた場所を、もっと触ってほしい。研究室に入り、互いにベッドに倒れてすぐ、俺は先輩の胸に飛び込んだ。

「なーんかやらしい顔してんな」
「誰のせいだと……っ」

まだ何もしてないのに、息が荒くなる。
多分、期待してるんだ。今朝の続きをしてくれるって。

「先輩……」
「はいはい」

撫でて、と言わなくても、撫でてほしいところを撫でてくれる。
彼の掌に頬を擦る。気持ちよくて、不覚にも喉が鳴った。

まさか自分にこんな変態的嗜好があるとは。
内心戦慄したけど、朋空先輩が引かないから感覚がバグってしまう。
「お前は猫みたいだな。ごろごろして、可愛がられることわかってるみたい」
「ちょ! 何ですかそれ!」
あまりに恥ずかしいし、屈辱だ。必死で反論すると、顎の下を指で撫でられる。

「良いんだよ。お前は、俺に可愛がられる為に生まれてきたんだから」
「……〜〜っ!!」

こんなの反則だ。
どうしてこの人は、こんなむず痒いことを平気で言えるんだろう。

そして、その彼の優しさに甘える俺は……一番ずるい奴だと思う。

「何で先輩は、そんなに俺に優しいんですか」
「優しい? 好きな奴を可愛がりたいと思うのは普通だろ」

壁にかかった時計を見上げ、朋空先輩は俺の肩を抱き寄せる。

「……あぁ、わかった。好きになった理由が訊きたいのか」
「……教えてくれるんですか?」
「もちろん。ちょっと弱くて、泣き虫で。でもめちゃめちゃ素直で優しい。俺の好きを詰め込んだ存在だったんだよ」
「ツッコミたいことは色々あるんですけど……それ、少なくとも小学生のときの情報ですよね?」
「そうだよ」

先輩は悪びれずに口角を上げた。
「五年近く経ってるんですよ。今の俺は、先輩が知ってた俺とは違うと思う……」
そうだ。現にこんな、……小学生の時すらしなかった甘え方をしている。

ずるくて醜くて、性格が曲がってる。先輩が思ってるような人間じゃない。
彼の襟をぎゅっと掴んで、震えながら話した。

「一緒にいればいるほど……幻滅するかもしれない」

そうなったとき、彼より俺の方が耐えられないかも。
考えたら恐ろしくて、瞼を開けることができなくなった。そんな俺を、先輩は優しく抱き寄せる。

「いらない心配だな」
「先輩……」
「そんな震えて、泣きそうな顔して。……甘やかしたくならないわけないだろ?」

朋空先輩は、そう言ってくれる。
理解できないほどの器の広さで。ある意味、過保護とも言える。

「迷惑しかかけてなかった。俺が家の鍵を忘れて部屋に入れなかったり……先輩の家にお邪魔したこともありましたよね」
「あったな。懐かしい」
「そんな奴のどこが良いんですか」
「卑屈になってんなぁ。良いとかじゃなくて、放っておけなかったんだよ」

先輩は苦笑して、薄いブランケットを俺の腰まで引き上げた。

「俺も家でずっとひとりだったから。お前が引っ越してきて嬉しかったんだ。打たれ弱そうだったから、傷つけないよう必死だったけど」
「気を使わせてごめんなさい……」
「だからいいって。俺が好きでお前に関わろうとしてたんだから」