拳を握り、伏し目がちに零す。
本当に、ささいなことでも話したかった。先輩の反応を見たかったんだ。
今となっては後の祭りだけど。急に恥ずかくなり笑って誤魔化すと、彼も残念そうに答えた。
「そうか。一緒に喜んでやりたかったな。……ごめん」
「先輩が謝ることはありませんよ。俺が突撃すれば良かったんです」
「はは。でも尚さら、これからは今までの分取り返していこう」
先輩は軽く空を見上げ、次いで俺のネクタイを直した。
「昔とは違うし。もう大丈夫だから」
「……?」
昔、か。
先輩は時々、懐かしそうに呟く。それは俺も知らない、ずっと遠くの記憶を指してる気がした。
まるでなにかを悔いてる。それを知ろうと、脳の奥底に仕舞った過去を辿ろうとした。
先輩と会わなくなったのは、正確にはいつ頃だっけ。
会わなくなる前に、……何があったんだっけ。
「雅月」
ぼうっとしていたせいで、腕を引き寄せられる。見れば目の前は横断歩道で、信号は赤だった。
「危ないぞ。何か顔色も悪くないか」
「あぁ……すみません。寝不足で」
あなたのことを一晩中考えていました。なんて口が裂けても言えねえ。
「大丈夫ですよ。死ぬほど眠いけど」
学生鞄を肩に掛け直し、ため息をつく。すると先輩は少し考えて、それから俺の前髪を持ち上げた。
「じゃ、放課後は一緒に寝る?」
「え!」
先輩と寝る。何だ……早朝だってのに、何かすごく危うい響きに聞こえる。
フリーズしてると、先輩は手を離して歩き出した。
「お前さえ良ければな。心配しなくても、キスはもうしないし」
「あ。はぁ……」
何だ、しないのか。
……ん?
何でちょっとがっかりしてんだ、俺。
意味不明過ぎて首を傾げる。
あのキスは事故みたいなもんで、深い意味はないはず。
そう思うのに、あっさりなかったことにされると……何故か胸の辺りがチクッとした。
それでも、やっぱり先輩が心配だから。
「それじゃ、放課後……研究室で」
別れ際に会う約束をした。互いの教室へ行こうとした時、彼の背中に声を掛けた。
朋空先輩は少しだけ振り返り、微笑んだ。
「まいったな。いつもの数倍、一日が長く感じそう」
言葉とは裏腹に、声はいくらか弾んでるように感じる。
「ううん……」
あと、俺も同じ感想。
放課後まで長い。長すぎる。
ひとりになった後も、その場で少し立ち尽くしてしまった。


