上半身だけ彼の方に向き、力強く言い放った。
朋空先輩は尚も迷ってる様子だったから、彼の手を引いて無理やり研究室へ連れて行くことにした。
睡眠研究会に割り当てられたのは四階の一番奥にある、資料室の隣の空き部屋だ。教室の半分もないけど、簡易ベッドを置くには充分な広さ。
窓とドア側の窓ガラスにも暗幕を掛けていて、防音のパーテーションを置いている。
ほんとは更に耳栓もしたいところだけど、そこまでするとドアを叩かれても気付けないからやめた。先生が来たときに対応できないと、同好会の存続も危ぶまれるから。
「先輩、このエアーベッド結構寝心地良いんですよ!」
「これ持ち込んでること、先生は知ってんの?」
「知りません」
「バレたらひと悶着ありそうだ……」
先輩はある程度きょろきょろして、パーテーションの中に入ってきた。
「ベッドはクイーンサイズだからぎりぎり二人でも寝られると思います。でも俺はしばらく来ないので、この部屋は先輩がつかってください」
「お前は? 来ないのか?」
「そうですねぇ……。部屋も狭いし、これからはバイトしようかなって思ってる」
から、と言って振り返った。
その瞬間唇に柔らかい何かが当たり。───視界が真っ暗になった。
え?
……温かい。
それが何なのか確認したかったけど、後頭部を手で押さえられ、腕を掴まれる。逃れることはできなかった。
「ん……ふっ……!」
息ができない。苦しさのあまり咳き込んだとき、ようやく目の前に色が戻った。
先輩の唇に絡めた、みだらな糸つきで。
「な。な、な、な、何」
「キス」
状況が理解できず口をパクパクさせる俺に、先輩は「ほう」と頷いた。腹立つぐらい無表情で、切れ長の瞳を細める。
「その反応は初めてみたいだな。良かった」
「はい!?」
反応って。
いきなりキスされたら、誰だって動揺するだろ!
キャビネットのガラスに映る自分の顔は確かに真っ赤だったけど、むしろこの程度で済んでるのは冷静な方じゃないのか?
「何するんですか! 冗談きついですよ!」
「冗談っていうか、さっきのお返しだよ。俺をからかったお返し」
「さっき?」
「ほんと、素直過ぎてタチ悪いな」
それだけ言うと、先輩はキャスターのついたパーテーションをどけた。
「まぁそれはともかく。お前がいないのに部屋は借りられないよ。この話はナシな。じゃ」
「いやいやいや!!」
先輩の乱高下激しい行動についていけない。でも負けるな、俺!
今しがたファーストキスを奪われたことも忘れて、部屋を出ていこうとする先輩の腕を掴んだ。
「わかりました、これからもここに来ます! だから空き教室で寝ないでください!」
あんな無法地帯で、無防備に眠るなんて危険過ぎる。
子どもの頃は確かに、先輩にはよくしてもらった。マンションに引っ越したばかりの頃。知り合いがひとりもいない環境で、親が帰ってくるまで家に上げてもらったこともある。
感謝してるんだ。随分時間が経ってしまったけど、今こそあの時の恩に報いたい。
必死に引き留めると、彼は徐ろに振り返った。
「わかった。それなら安心だ」
「よ、良かったです。お願いだからもう、変な場所にひとりで行かないでくださいね」
「変な場所って何だよ。学校内だろ」
二人で部屋を出て、無人の廊下に躍り出る。
ひとまず胸を撫で下ろしてると、今度は優しく頭を撫でられた。
「ありがとな。本当は、またこうやって話せるだけでも嬉しい」
ハッとして見上げると、彼は泣きそうな顔で笑っていた。
どうしてそんな苦しそうなのか……訊きたいけど、それを訊くのは野暮な気がして、ぐっと堪えた。
ぶっちゃけ、同じ気持ちだし。
「俺も……です。先輩って呼ぶの、ちょっと不思議な感じするけど」
「じゃあ呼び捨てでいいよ。タメ語でいいし」
「いや〜それは……他の人に見られたら殺されそうなんで」
学校の姫にナメた口を利いたら、それこそ集団リンチに遭いそう。
でも朋空先輩は、依然として可笑しそうに笑ってる。
笑い事じゃないぜ……と思ってると、不意に耳元で囁かれた。
「心配ないよ。これからは俺が守るから」


