氷の花嫁~笑顔を失った能面の少女が幸せになるまで~

 二週間後、顔合わせの日になった。

 「お父様があんたに着物をやれって言うからあげるわ。いつもみたいなボロを着せていたら、変な(うわさ)が立つかもしれないし。雪模様で、氷の織姫にふさわしいでしょう」

 紗良の部屋に入ってくるなり、ちくちくと嫌み混じりの綾子に手渡されたのは、裾や袖に細かい雪模様が入っている淡い水色の訪問着だった。

 「落ち着いた色の訪問着も一枚あった方がいいからって勧められて作ったけど、なんか寒々しい色柄で、気に入らなかったのよねえ」

 綾子はそう言うが、じんわりとした照りがあり、いい絹を使っているのがひと目でわかる。上品で美しい着物だ。

 「こんなにいいものを……ありがとうございます」

 「そんな地味な柄のお下がりをありがたがるなんて。でも地味なあんたには地味な着物がお似合いだもんね。あたしみたいな着物じゃ着こなせないから」

 綾子は鼻で笑う。そんな彼女が着ているのは赤紫の地に紅白の椿(つばき)模様という華やかな振袖で、はっきりした顔立ちの綾子をより引き立てていた。

 「……わかっています」

 作り笑顔すらできない自分には、華やかな着物はふさわしくないだろう。

 「ま、せいぜいあたしの身代わりを頑張ってよね。でも、黒須夜刀様って他人に興味がなくて怖い人らしいから、その仏頂面で怒らせないようにね。妖魔を豆腐みたいに斬り殺すっていう戦神の刀で斬られてしまうかもしれないわよ?」

 「そ、そんな……」

 「やだ、冗談よ。本気にしたの?」

 綾子はわざと紗良を怯えさせるようなことを言い、クスクスと笑った。

 あの雪の日、夜刀は紗良に優しかった。

 そんな人ではないと思っているが、そもそも夜刀は綾子を嫁に望んでいるのだ。顔合わせの場に能面のような紗良がいては、がっかりさせてしまうかもしれない。

 かすかに指が震えてしまうのをこらえるように、胸元で手をギュッと握った。

 着物を渡して用が済んだとばかりに部屋から出ていった綾子は、紗良が着替え終わる頃に再び入ってきた。

 「紗良、黒須夜刀様がいらしたって」

 「は、はい……」

 「あたしも挨拶しろだなんて。あーあ、面倒くさいなぁ」

 客間に向かう紗良に、綾子も渋々といった顔でついてくる。

 「失礼いたします」

 紗良は(ふすま)を開け、客間に入った。

 奥に夜刀が座り、その向かいに伯父夫婦が並んでいる。夜刀は背筋を伸ばしたまま窓の方に顔を向け、庭を眺めているところだった。

 客間の大きな掃き出し窓から見える庭は、手入れが行き届いた織井家自慢のものだ。

 あの日降っていた雪はもうとうに溶け、跡形もない。(まぶ)しい冬の日差しが、池のほとりに咲く水仙の花を照らしている。

 夜刀は入室の声に気づいたらしく振り返った。

 きっと彼は顔合わせの相手が綾子ではないと知って落胆するだろう。そんな顔を見る前に、深々と頭を下げた。

 「……織井紗良でございます」

 いったいどんな顔をしているのだろう。確認するのは恐ろしいが、いつまでも顔を伏せているわけにはいかない。

 紗良が顔を上げようとした時、ふと綾子の呟く声が耳に届いた。

 「うそ……傷痕なんてどこにもないじゃない」

 正面に顔を向けると、夜刀の銀色の瞳と目線がかち合った。前に会った時には顔にぐるぐる巻きだった包帯はもうない。

 彼の顔に、眉目秀麗という言葉を真っ先に連想した。

 スッと通った()(りょう)に、涼やかな切れ長の目。この距離でもまつ毛が長いのがわかるくらいだ。さらに弧を描く美麗な眉と、頬から顎にかけてのラインが清々(すがすが)しい。

 傷痕どころか吹き出物ひとつない艶やかな肌に、短いサラサラの髪には(からす)()()(いろ)を思わせる青みがかった光沢がある。

 紗良は驚くほど整った顔立ちに目を奪われていた。吸い込まれるように、彼の銀色の瞳をじっと見つめる。

 「……ああ、君だ」

 夜刀もまた、紗良に視線を向けたまま、ふわっと微笑む。

 まるで眩しいものを見るように柔らかく目を細めた優しい笑みに、心臓がドキンと音を立てた。

 「俺は黒須夜刀という」

 低いのに、どこか甘さを感じさせる声に、もっと聞きたいと思ってしまう。

 紗良の心臓はまるで期待をするかのように全身に温かい血を巡らせていた。

 「あ、あの、先日――」

 紗良が改めて先日のお礼を言おうと口を開いたところで、隣にいた綾子に強く押しのけられた。綾子はグイッと前に出ると、三つ指をついた姿勢で夜刀を上目遣いで凝視している。

 「あたしは織井家のひとり娘の、綾子と申します! 夜刀様はあたしをご所望と聞きましたの。あたし、喜んで嫁がせていただきますっ!」

 紗良は押しのけられたまま息を()んだ。綾子の紅潮した頬から夜刀の顔に視線を移す。どうしてそんなことをしたのかなんて、聞くまでもなかった。

 綾子は夜刀の顔に傷痕が残るという噂を聞いて結婚を嫌がったのだ。しかし、夜刀の顔は美しいままで、どこにも傷痕らしいものはなかった。だから結婚してもいいと思い直したのだろう。

 紗良の高揚していた気持ちが(しぼ)み、じわじわと冷たくなっていく。

 「お、おい、綾子っ!」

 伯父は手のひらを返した娘を(とが)めようとするが、伯母がそれを先んじて制止した。

 「ねえ、あなた。紗良の態度を見てくださいな。いくら結婚が嫌だからといって、ご挨拶にもこんな仏頂面で失礼にもほどがあります。やはり、この家の娘である綾子こそが黒須様に嫁ぐべきですわ」

 「そうよね、お母様!」

 味方を得た綾子はニッコリと微笑む。

 「うむ……まあ……綾子がそう希望するのであれば」

 伯父は困惑しているが、元々、実の娘の綾子に黒須家に嫁いでほしかったのだし、綾子の意見を尊重したいようだ。

 頬を染めた綾子の黒い瞳はうるうる潤んでいる。

 白い肌に艶やかな黒髪も美しく、華やかな柄の着物にも負けていない、大輪の花のような美少女だ。綾子にじっと見つめられて悪い気がする男などいないだろう。

 一方で、紗良は作り笑いすらできず、能面みたいで薄気味悪い氷の織姫と、周囲からも散々言われてきた。

 こんな()(わい)げのない紗良より、綾子の方がいいに決まっている。しかも、綾子は実子で、養子の紗良では同じ土俵にすら上がっていない。

 夜刀がスッと立ち上がった。きっと綾子の手を取るのだろう。

 紗良はその姿を見たくなくて、深く俯いた。ギュッと握り込んだ拳が震えてしまう。

 「俺は君をずっと探していた」

 どこか焦りを含んだ絞り出すような声が耳に届くも、俯いている紗良の目には畳しか映らない。

 しかし、立ち止まった夜刀の足先が視界に入ってきて目を瞬かせた。

 「顔を上げて」

 夜刀はしゃがみ込み、紗良の髪を(すく)い取る。

 「え……?」

 紗良が弾かれたように顔を上げると、優しい銀色の瞳が至近距離にあった。

 目が合った瞬間、夜刀はふわりと微笑む。

 「……やっと見つけた。俺は君がいい」

 そのまま紗良の手を取り、ゆっくりと立たせた。

 (どういうこと……?)

 紗良は表情が変わらないまま呆然(ぼうぜん)とした。

 綾子を見初めたという話ではなかったのだろうか。

 「織井家の当主殿。彼女は御息女ではないのだろうか」

 ポカンと口を開けていた伯父は、夜刀にそう問われて慌てている。

 「い、いや……紗良は養子なのです。亡くなった妹の子ですので、確かに織井の血を引く娘ではあるのですが……」

 「そうか。問題なければ、紗良を俺の妻にしたい」

 紗良は(きょう)(がく)を通り越し、ぼんやりと夜刀を見つめた。

 「わ、私を……?」

 「ああ。君がいいんだ」

 夜刀は指で掬い取った紗良の髪に、そっと口づけを落とした。

 「俺の紗良……」

 そんな仕草に、紗良の心臓がドキッと音を立ててしまう。

 「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで紗良なのっ⁉︎」

 すっかり忘れられていた綾子が突然、叫ぶように声を張り上げた。

 「や、やめなさい、綾子!」

 「あたしと結婚したいって言ってきたはずでしょうっ?」

 綾子は伯父の制止を振りきり、夜刀に食ってかかる。

 夜刀は冷静なままだったが、わずかに眉をひそめた。

 「悪いが、君じゃない。織井家に同じ年頃の娘がふたりもいるとは知らず、紗良の名前もわからなかったから、織井家の娘さんとの縁談として当主殿に申し込んでしまった。当主殿がそれを勘違いしたのだろう」

 「は……はあっ⁉︎」

 綾子の頬が怒りと屈辱に、じわじわと赤く染まっていく。

 「な、なんでよ! あたしの方が美人だし、まともに学校にも行っていない紗良より、あたしの方が頭だっていいんだから! こんなのおかしい……っ!」

 駄々っ子のようにその場で足を踏み鳴らしていたが、ハッとしたように血走った目を紗良に向けた。

 「わかった……あんたが誘惑したのね……この能面女っ!」

 綾子は紗良をギロッと睨み、手を振り上げた。

 叩かれる――そう覚悟した紗良は、ギュッと目を閉じる。

 しかしいつまで経っても衝撃は訪れない。

 おそるおそる紗良が目を開くと、夜刀が綾子の手首を掴んでいた。紗良を見つめている時とは大違いの、冷たい目で綾子を睨んでいる。

 「振り回してしまったことは謝罪する。だが、紗良に手を出すのは許さない」

 「い、痛いっ!」

 解放された綾子はその場に座り込む。夜刀に掴まれた手首にくっきりと(あざ)が浮かんでいた。

 「綾子ちゃんっ!」

 伯母の金切り声が部屋に響く。紗良もその痛々しい手首に、つい声をかけた。

 「綾子さん、大丈夫? 手当を……」

 しかし綾子は手首を押さえ、キッと紗良を睨む。

 「なによっ! こんな時まで能面みたいな顔しちゃって! いい気味だとでも思ってるくせにっ!」

 目からボロボロと大粒の涙をこぼした綾子の姿に、紗良はヒュッと息を呑む。

 いい気味だなんて思っていない。けれど、綾子のように泣けないのも事実だった。

 わあわあと子供のように泣き叫んでいた綾子だったが、伯父は綾子の頭を掴み、夜刀に向かって力尽くで頭を下げさせた。

 「こ、こら、綾子っ! く、黒須様、娘が大変失礼をいたしました」

 「え……お、お父様……?」

 綾子は呆然としている。いつだって自分に甘かった父親から、そんなことをされるとは夢にも思わなかったのだろう。

 「こちらこそ、力加減をしそびれてしまった。怪我をしているようなら、治療費を出そう」

 怒っていない様子の夜刀に伯父はホッと息を吐き、綾子を解放した。

 「いえ、とんでもございません!」

 「ええ、そうですわ! ほら、綾子ちゃん。いい子だからお部屋に戻っていなさい」

 「なっ、……ッ!」

 父親だけでなく母親からも庇ってもらえなかった綾子は、紗良を憎々しげに見つめてからドスドスと足音を立てて出ていった。

 「娘が本当に申し訳ありません」

 伯父と伯母は夜刀に向かって深々と頭を下げる。

 「いや、こちらこそ勘違いさせてしまい、失礼した。改めて、紗良を俺の妻として迎えさせてほしい」

 「え、ええ! もちろんでございます! ほら、紗良、黒須様の隣に座りなさい」

 伯父にそう促され、紗良が夜刀の横に座ると、夜刀は壊れ物のように紗良の頬に触れた。そっと目の下にある泣きぼくろをなぞられる。

 「よかった……紗良」

 夜刀は唇の端を緩めた。綾子の時とはまるで態度が違う。

 (でも、どうして……?)

 夜刀がこんなにも自分を(いと)しげに見つめる理由など、わからないままだった。