「――ねえ、お母さん。雪が積もりそうよ。お父さん、帰ってこられるかしら」

 三年前。紗良は父の帰宅を待ちながら、窓から舞い落ちる雪を見ていた。

 父は薬売りで、今日も村の人に薬を届けに行っていた。

 この辺りではあまり雪は降らず、数年に一度しか積もらない程度だ。雪の備えもないため、これ以上雪が積もったら、父は今日中に帰ってこれないかもしれない。

 父と呼んでいたが血は繋がっていない。それでも紗良にとって大切な父親だった。

 (お父さんが無事に帰ってきますように)

 紗良はそう祈りながら窓の外をじっと見つめていると、「おーい」とかすかに声が聞こえ、手を振る父の姿が桑畑の向こうにあった。

 「あ、帰ってきたわ!」

 紗良が父を出迎えるため、玄関先に出る。

 「ただいま、紗良」

 「お父さん、お帰りなさい!」

 その時だった。遠くでドーン、ドーンと不思議な音がし始めた。

 「なんの音……?」

 紗良は眉を寄せ、周囲を見回した。

 そこからは悪夢のようだった。結界を破った妖魔の群れが、瞬く間に紗良の家を襲ってきたのだ。

 大型の妖魔も混じり、外の壁を引っかく音がひっきりなしに聞こえていた。このまま籠城していても朝まで保たないだろうということは紗良でも察しがつく。

 「……俺が(おとり)になる。絹子、紗良。お前たちはその隙に裏から逃げなさい」

 そう言って立ち上がったのは父だった。

 「私も行きます。少しでも多く引きつけなければ」

 母も決意を秘めた顔でそう告げる。

 両親は農作業用の(なた)や草刈り鎌を手にしていたが、それで妖魔の大群を倒せるわけもなく、ないよりはマシという程度でしかない。

 「やめて、お父さん……っ! お母さんも行かないで!」

 紗良は必死に両親の手を掴み行かせまいとしたが、あっさりと振り払われた。

 「紗良。お父さんたちが出ていったら百数えるんだ。数え終えたら裏口から出て、村の方に逃げなさい」

 嫌だと紗良が首を横に振るたび、涙がボロボロとこぼれ落ちた。

 「紗良、声を出さないようにね。ひとりで怖くても泣いてはダメよ」

 母が着物の袖で涙を拭ってくれたが、ひっきりなしに流れてきて止まらない。

 「お願い。行かないで……ううん。私も一緒に……」

 紗良は震える手で、草刈り鎌を握ろうとした。

 囮になれば、ほぼ確実に死ぬ。ひとりで逃げるくらいなら家族一緒に――紗良はそう考えた。

 「紗良っ! そんなことは考えるな!」

 そんな紗良の胸元を、父はドンッと強く押し草刈り鎌を奪い取った。

 普段穏やかで声を荒らげたことなどなかった父親が、初めて見るような必死の形相をしていた。母もくしゃくしゃの顔で、泣きそうになるのをこらえている。

 「いいか、お前だけでも逃げるんだ!」

 「そうよ、紗良。貴方だけでも生きて……」

 ふたりとも怖くないはずがないのに、それでも紗良をなんとかして逃がそうとしてくれているのだ。

 「この守布を被っていきなさい。織女神様、どうかこの子をお守りください!」

 母は織ったばかりの守布を紗良の肩にかける。

 「……紗良、本当の娘のように愛しているよ」

 「どうか幸せにね……」

 ふたりは紗良をギュッと抱きしめると、大声をあげながら玄関から飛び出していった。敢えて大きな物音を立て、妖魔をおびき寄せているのだ。

 「……お父さん……お母さん……」

 紗良は震えながら両親に言われた通り、百を数え、裏口から出た。

 薄く積もった雪で滑り、全速力で走るのは無理だったけれど、紗良は必死に走る。

 急いで村に行って妖魔討伐隊を呼べば、両親はまだ助かるかもしれない。そんなわずかもない望みにかけ、喉が苦しくなっても足を止めずひた走った。

 「お兄ちゃん……助けて……っ!」

 涙が浮かび、母の言葉を思い出して慌てて目元を拭った。

 紗良に兄はいない。『お兄ちゃん』と呼んだのは随分昔、幼い頃に妖魔に襲われた際に助けてくれた年上の男の子のことだった。

 妖魔に襲われても、何度でも助けに行くと言ってくれた。

 なのに、彼は来ないどころか、両親が囮になってくれたにもかかわらず、紗良の背後に妖魔が迫っていた。

 追いつかれたら死ぬ――そう覚悟した時、誰かの走る足音が聞こえてきた。

 その人は妖魔を切り捨て、紗良を助けてくれた。

 「もう大丈夫だ」

 銀色の瞳をしたその人は、約束してくれたあのお兄ちゃんにどこか似ている気がした――。

 「ん……」

 暗闇の中、紗良は目を覚ました。

 まず、自分が生きていることに驚いていた。それどころか、体を確認しても痛みはなく、怪我すらしていない。

 頬に風が触れ緑の匂いがするので、納屋ではなく屋外にいるようだ。気絶する直前の記憶からすると、おそらく妖魔に連れ去られたのだろう。

 幸いにも、帯に挟み込んでいた夜刀の日記もそのままだ。

 (綾子さんは無事かしら……)

 紗良はあの時、咄嗟に綾子に木箱を被せて守ろうとした。これまで散々自分をいびり、夜刀の日記を盗んだ張本人なのに。

 しかし不思議と後悔はなく、それどころかすっきりとさえしていた。

 気絶している間に三年前の夢を見て、欠落していた記憶のすべてを思い出していたからなのかもしれない。

 怒った顔の父の幻――いや、あれは怒ってなどいなかった。紗良を助けるために必死になっていただけだった。父も母も、紗良を生かすために命を捨ててまで守ってくれた。紗良は両親から深く愛されていたのだ。

 胸の中に熱いものが込み上げて、ぐっと拳を握る。

 どういうわけかまだ生きているのならば、絶対に諦めることだけはしない。抗って生き残れる道を探すのだ。そう決意し、紗良は周囲を見回す。

 暗くてわかりにくいが、風が吹くたびに木々の葉が擦れ合う音がするし、森の中のようだ。紗良がいる場所は平らになっていて、手で触れてみると石の感触がする。

 屋外で、しかも月も見当たらないが、少しずつ目が慣れてきて、薄らとではあったが景色が見えた。周囲にたくさん転がっている石がぼんやりと発光しているからのようだ。

 光る石など紗良は初めて見たし、ほのかに照らされた木々や草も馴染みのない形をしている。おそらく、ここは禍山だと察して、血の気が引くのを感じていた。

 紗良を攫った妖魔は今、そばにいない。今なら逃げられるかもしれないが、月も出ていないため方角がわからない。ここが本当に禍山であれば道がどうなっているかも不確かで、逃げたところで結界に阻まれたら出られないのだ。

 そもそも闇雲に動いていいものだろうか。もし逃げる最中に妖魔に遭遇したら、どれほど小型の妖魔であろうと非力な紗良には太刀打ちできない。悩んでいると、人の足音とは思えない重そうに響く足音が聞こえた。

 「……っ!」

 逃げる間もなく、巨大な妖魔がぬうっと姿を現した。

 黒いシルエットは見上げるほどで、赤く光る目が八つの狼のような形をしていたが、桁違いの大きさだ。

 納屋を襲った時にはあれほどたくさんいたというのに、周囲に他の妖魔はいない。

 「目ガ覚メタ、カ……」

 (しゃべった……⁉︎)

 たどたどしくはあったが、鳴き声や(うな)り声ではなく確かにしゃべったように聞こえた。

 紗良は十年前、三年前、そして今と、人生で三回も妖魔に襲われていた。しかし、しゃべる妖魔というのはこれが初めてだ。

 「(ソウ)()()ノ娘……」

 意思疎通ができるのなら、どうにか生き残る道もあるかもしれない。

 恐怖に膝が震え立ち上がることすらできなかったが、紗良は冷静にそう考える。

 「()()ソウダ……モウ、邪魔ハ、ナイ……」

 妖魔は紗良を見て舌なめずりをした。

 「あ……ぁ……」

 ダメだ、と全身に鳥肌が立つ。逃げるのも対話で解決するのも無理だと紗良は悟った。

 しゃべるからといって相互理解ができるわけではない。そもそもこの巨大な妖魔は紗良を食べるつもりなのだ。絶対に逃がさないという妖魔の意思を感じた。

 妖魔は濡れた犬が水気を切るような仕草でブルッと震える。

 ドチャッと重い音を立てて、黒い泥のようなものが地面に滴ったが、おそらく妖魔の死体だろう。欠落した記憶を取り戻した紗良は、妖魔を倒すと泥状になるという話も思い出していた。

 納屋を襲った時、あれほどたくさんいた妖魔が今はもうこの目の前の一匹しかいないのは、この妖魔が他の妖魔をすべて殺したからだ。理由は紗良を独り占めして喰らうためだとしか思えなかった。

 「モット、怯エロ……恐怖デ、ヨリ、肉ガ美味クナル……」

 妖魔の八つの目が細まり、ニタッと笑みを浮かべているのがわかった。しゃべったのも、紗良を怯えさせるためなのだろう。

 身勝手な妖魔に対して恐怖はもちろんあったけれど、それ以上の怒りが湧き起こる。

 (こんなやつのために怯えたまま、ただ喰われるなんて嫌!)

 座り込んだままジリジリと後ずさりをする紗良の手に石ころが触れた。それを握り、妖魔に投げつける。石は当たりもせず地面に転がったが、紗良は諦めない。

 紗良はこれまで多くの人に助けられて生きてきた。

 両親、夜刀、そして夜刀の父。彼らのためにもこんなところで死ぬわけにはいかない。絶対に生きて帰らなければ。

 紗良は左手で夜刀の日記を抱きしめ、手当たり次第に石ころを投げ続けた。

 「モット、投ゲテミヨ……」

 妖魔は石ころが当たってもひるむ様子はなく、ニタつきながら少しずつ紗良に迫る。

 これほどの大きさの妖魔であれば、紗良の力で投げる石がいくつか当たったところでなんのダメージにもならないのだ。

 気づけば、紗良の周囲に投げられる石ころがなくなっていた。

 次の武器は、着物に挟んで持ち歩いていた携帯式の裁縫道具。中に入っていた鋏も投げるが、妖魔に傷ひとつつけられない。

 (絶対に諦めるもんか……!)

 「モウ、終ワリ、カ……」

 ニタニタと笑う妖魔の顔が迫りくる。

 そこで、紗良はあとひとつ、投げていないものがあったことを思い出す。

 「夜刀さん……っ!」

 これまで肌身離さず、ずっと持ち歩いている、夜刀からもらったつげ櫛だ。

 石ころでもダメだった以上、これを投げたところで意味はないだろう。それでも、諦めるのは絶対に嫌だった。

 最後に投げた櫛は放物線を描き、偶然ではあったが妖魔の目のひとつに当たった。

 妖魔はギャアッと高い悲鳴をあげる。どれほど強大な妖魔であっても、目は弱点になるらしい。

 一矢報いたけれど、その程度で妖魔を倒せるわけではない。振り上げた妖魔の前脚が目の前に迫り、紗良はギュッと目を閉じた。

 ドシュッと肉を切り裂く鈍い音が響くが、紗良に痛みは一向に訪れない。

 「え……?」

 おそるおそる目を開いた紗良の視界に飛び込んできたのは、漆黒の軍服を纏った夜刀の背中だった。

 「や、夜刀、さん……」

 夜刀は振り上げた妖魔の前脚を戦神の刀で易々(やすやす)と斬り落としていた。落ちた前脚はたちまち泥状になり、ベチャッと地面に落ちる。

 妖魔は悲鳴のような咆哮(ほうこう)を上げた。

 空気が震え、ビリビリ響く音に、紗良は思わず耳を塞ぐ。

 しかし夜刀は、ひるみもせず戦神の刀を構える。その太刀筋は、まるで稲妻のようだった。鮮やかすぎる一閃(いっせん)の後、あれほど強大で恐ろしかった妖魔はバラバラになり、地面に落ちて泥になった。

 刀にも泥がこびりついていたが、夜刀がサッと戦神の刀を振ればすべて落ち、刀身は三日月のような美しい姿を取り戻した。

 「夜刀さん!」

 そう呼びかけると、夜刀は振り向く。刀身と同じように銀色の瞳が輝いていた。

 「……紗良。間に合ってよかった……偶然、妖魔の悲鳴が聞こえて、走ったんだ」

 夜刀は刀を(さや)に収めると、紗良をきつく抱きしめた。

 紗良の目に涙が浮かぶ。

 絶対に敵わないとわかっていても諦めずに石や櫛を投げ続けて、ほんのわずかでも時間を稼ぎ、また妖魔に悲鳴をあげさせたおかげで夜刀が場所を特定できたのだ。紗良のかすかな抵抗は、決して無駄ではなかった。

 「夜刀さん、大丈夫ですか⁉︎」

 もう深夜をとうに過ぎ、木々の合間から細い月が東の空に登り始めているのが見えた。おそらく今は明け方の四時過ぎではないだろうか。ということは、タイムリミットからもう何時間も経ち、夜刀の記憶はかなり失われてしまっているはずだ。

 「君こそ怪我は?」

 「どこにもありません。あの、記憶は……?」

 そう尋ねた紗良に、夜刀は左の手のひらを広げた。

 そこにあったのは、千切れてボロボロになってはいるが、間違いなく紗良が作った組紐の腕輪だった。

 「この組紐に、紗良を忘れたくないと強く願ったんだ。ここに来るまで、たくさん記憶は消えてしまったけれど、紗良のことだけは忘れずに済んだ。きっと、この腕輪が肩代わりしてくれたんじゃないだろうか」

 「そんな……」

 紗良は帯に挟み込んでいた日記を取り出す。

 夜刀のために取り返しに行ったのに、逆に紗良のせいで夜刀の記憶をたくさん失わせてしまった。

 「……ごめんなさい」

 「紗良のせいじゃない。俺は君が無事なだけでいいんだ」

 「でも……!」

 弱い自分に腹が立ち、紗良は唇を噛みしめる。

 織女神の加護があるのなら、もっと夜刀を守る力が欲しい。

 癒神の加護があるのなら、夜刀の記憶まで取り戻せるほどの癒す力が欲しい。

 そう、強く願った時だった。泥になった妖魔の死体の中に、なにかがキラッと光った。

 「今、なにか光ったか」

 夜刀も気づいたらしく、泥から光るものを拾い上げた。

 「金属の棒……か?」

 真っぷたつに折れているが、金属でできた棒である。薄ら模様らしきものも見えた。

 模様にどこか見覚えがある気がして、紗良はそれを受け取り、こびりついていた泥をハンカチで落とした。まだ暗くてよく見えないが、なんの模様なのか読み取ろうと顔を近づける。

 次の瞬間、紗良の手から細い糸状のものが現れた。

 「な、なにこれ……⁉︎」

 次々と溢れる糸はキラキラと輝いている。まるで、守布を織る時の、陽光を浴びて輝く絹糸のようだ。

 輝く糸は手のひらの上にあった棒を繭のように包み込んでいく。

 瞬く間に糸の輝きは消えたが、手のひらの上にあった金属の棒は、折れていた部分すらどこかわからなくなるほど綺麗に繋ぎ合わされていた。

 今まで泥にまみれていたようには見えず、傷どころか汚れひとつない。目の前で奇跡のようなことが起き、紗良は口をポカンと開けた。

 まっすぐになった棒は簪に似ている。

 「か、簪でしょうか……?」

 しかし、夜刀は目を見開いて首を横に振り、腰に下げていた刀を鞘ごと外した。

 「いや、これは笄だ」

 ちょうど日の出前の薄明が周囲を照らし、笄の模様がはっきり見えた。

 「これ、刀の目貫と同じ模様です!」

 四柱の神々を表す、四つの星模様。

 「……ああ」

 紗良は夜刀に笄を渡す。夜刀が刀の(つば)に開いた笄穴に笄を挿し込むと、ピッタリと嵌まる。

 以前、立花が説明してくれた。かつて戦神の刀には、妻である織女神がお守りとして渡した笄があったのだと。その笄の力により、戦神の刀を継承しても記憶を失われなかった。しかし、その笄は、妖魔との激戦により失われてしまったそうだ。

 「ではこれは、戦神の刀の笄――」

 紗良がそこまで言った時、夜刀が額を押さえガクリと膝をついた。

 「……うっ……⁉︎」

 「夜刀さんっ!」

 紗良は慌てて夜刀に駆け寄る。

 「……いや、大丈夫だ」

 夜刀は紗良を手で制すると、スクッと立ち上がった。

 「消えていた記憶が戻った」

 「え……き、記憶が戻ったんですか⁉︎」

 紗良は呆然と目を見開いた。

 薄明の下、夜刀はすっかり落ち着いた表情をしている。銀色の瞳が紗良をじっと見つめていた。

 「ああ。……それも、父の亡くなる間際、戦神の刀を継承した以降の記憶がいきなり頭の中に流れ込んできたから驚いてしまった。なにせ、三年分だからな」

 目を瞬かせる紗良と裏腹に、夜刀はすべてを受け入れているかのようだった。

 戦神の刀の笄という神具に加え、紗良の手から光る糸が出て折れた笄が繋がるという奇跡を目の当たりにしても、紗良は夜刀の記憶が戻ったことに驚きは隠せなかった。

 「三年間、妖魔を(ほふ)り続けた記憶や、あの雪の日に紗良に再会した記憶も。君は、俺のボタンをつけてくれたね。君につげ櫛を贈った記憶も、それ以降も、すべての記憶を取り戻したよ」

 「本当に……?」

 紗良の目に涙が浮かび、同時に夜刀に会った雪の日の記憶が脳裏をよぎる。

 誰もが冷たくあしらった紗良に、夜刀だけが優しい言葉をかけて微笑んでくれた。

 「あの時、俺は君が生きていたのを知って嬉しかった。でも君はひどくつらそうで、君を救いたいと思った。だが、本当に救われたのは俺の方だった」

 「そんなことありません。私も確かに救われたんです」

 泣きたくても泣けずにいたあの頃、夜刀は紗良を救い出してくれた。

 今思えば、あの雪の日、倒れそうになったのを助けてもらってから夜刀が好きだった。いや、それどころか、それよりもずっとずっと前から。

 涙がポロポロこぼれ落ちる。夜刀は紗良の頬を両手で包み込み、涙を拭った。

 「私も思い出したんです。三年前のこと……両親は私を深く愛してくれていました。血が繋がっていなくても、お父さんは私にとって本当の父親だった。そして、夜刀さんのお父様が私を助けてくれました」

 あの日、夜刀の父親は迫りくる妖魔から紗良を庇い、ずっと励ましてくれた。口数は多くなかったけれど、妖魔の襲撃の合間に、腕の立つ自慢の息子がいること、息子が紗良を助けに行きたがっていたことを語った。それで紗良は、彼がかつて妖魔から助けてくれた『お兄ちゃん』の父親だと気づいたのだ。

 ひどい傷を負った夜刀の父に、紗良は母からもらった守布を裂き包帯代わりに応急処置をした。すると彼は『楽になった』と微笑んでくれた。その時は紗良を安心させるためだと思っていたけれど、もしかすると多少なりとも紗良の治癒の力が働いていたのかもしれない。

 怪我を負っても紗良を責めるどころか、不器用な笑顔で『息子を頼む』と言ってくれた。その笑みから、夜刀の父が息子を深く愛しており、紗良を助けに来て大怪我をしたことも後悔していないと伝わったのだ。

 「それから、十年前のことも。何度でも助けに行くって約束してくれましたよね」

 もう紗良の氷は完全に溶けていた。唇が、頬が、柔らかく動くのを感じる。

 「……約束、守ってくれて、ありがとう」

 紗良は微笑んだ。

 それを見た夜刀の銀色の目が大きく見開かれ、すぐに崩れて笑みへと変わる。

 「紗良……君を十年前からずっと愛している」

 「はい、私もです……!」

 目尻に残った涙が朝日を反射し、キラッと輝く。それ以上に、紗良の笑顔は輝き、瑞々(みずみず)しい花のように咲き誇っていた。

 そして、手を取り合うふたりを暁の光がまばゆく照らしたのだった。