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 紗良は夜刀のためにお弁当を届けに行っていた。

 守布でお守りを作る話は進行中で、詳しい計画は立花に任せっきりになっている。

 いつも通り夜刀と一緒に昼食を食べ、そして夜刀の休憩が終わる頃に黒須家に戻ってきたのだった。

 「おや、あれは……」

 車で送迎してくれていた葵が、運転席で訝しげな声を出した。

 紗良も後部座席から前方を確認すると、門扉の前に琴葉が佇んでいるのが見えた。車を止めてもらい、琴葉のそばに近寄る。

 「琴葉さん? どうしたの?」

 琴葉はぼんやりしていて、紗良になんの反応もしない。

 「様子がおかしいですね。とりあえず室内に運びましょうか」

 ふたりで客間に運び、琴葉を布団に寝かせる。目は開いているが(うつ)ろで、意識があるかどうかも怪しい。尋常ではないように思えるが、葵も同意見のようだ。

 「これはお医者様に診てもらった方が……」

 「ええ……葵さん、立花先生を呼んでもらえるかしら」

 「今の時間ですと、立花先生はすぐに来られないかもしれません。とりあえず立花先生にも連絡しますが、ひとまずは近所の町医者を呼んで参ります」

 葵はそそくさと出ていった。

 「琴葉さん、すぐにお医者様が来るからね」

 そう伝えると琴葉は初めて反応を示し、むくりと上体を起こしたが、その目は虚ろなままだ。

 「さらさんに……つたえる」

 「え……?」

 「紗良、夜刀様の日記は預かっているから。返してほしければ、今から伝える場所に来て。誰かに伝えたり、ひとりで来なかったら日記は燃やすわ……」

 琴葉はまるで綾子のようなしゃべり方で一気に捲し立てた。

 (日記が……⁉︎)

 紗良は全身の血の気が引いた。

 現状、夜刀の記憶は紗良がそばにいれば保たれるが、前にもあったように、アクシデントがあった場合の重要なバックアップとして日記は必要不可欠なものだった。

 それに紗良が記憶を繋ぎ止める以前の日付もある。

 雪の日に紗良と会った時のこと、紗良につげ櫛をくれた時のこと。そして、守布を紗良が売ったという嫌疑をかけられた時、夜刀だけが信じてくれたこと。今はもう夜刀の記憶の中にはなく、日記にしか残っていないものだ。

 これが(わな)だとわかっているけれど、どうしても日記を取り返したい。

 紗良は恐怖に震える手を強く握りしめた。

 (行くしかない……!)

 けれど、琴葉も心配だった。琴葉は話し終えた途端、再び無反応に戻ってしまった。尋常ではない様子からして、綾子になにかされたのかもしれない。

 (なにか薬を飲まされたとか……?)

 紗良に癒神の加護があるというのなら、琴葉のこの状態も治せないだろうか。

 自分としては実感などなかったが、夜刀や立花の言うところによると、守布や糸に癒神の加護を込めて着用した人物を癒しているらしい。

 「じゃあ、守布があればいいのよね」

 紗良は自分の部屋から織ったばかりの守布を持ってくると、琴葉の肩にかけた。

 「琴葉さん、しっかりして……!」

 どうか、琴葉が治りますように。

 そう祈り、紗良は琴葉の手を強く握った。

 「う……」

 ふと、琴葉の呻き声が紗良の耳に届いた。

 「あれ……私……? ここ、どこ……?」

 琴葉は目をぱちくりさせながら、周囲を見回している。

 さっきまでと異なり、目に光が戻っている様子から、意識が明瞭になったのがわかった。

 「よかった……」

 紗良は胸を撫で下ろし、琴葉を抱きしめた。

 「えっ、さ、紗良さん⁉︎」

 琴葉は驚いた声をあげた。これだけ大きな声も出るのなら、もう大丈夫そうだ。

 紗良自身、治癒の力があると言われても、正直なところ半信半疑だった。けれど、琴葉を治せたということは本当なのかもしれない。

 「紗良様、お医者様を呼んで参りました!」

 その時、葵が医者を連れて部屋に入ってきた。

 琴葉は正気に戻ったが、まだ若干ふらついている様子だ。薬物を飲まされたのだとすれば、体にどんな影響があるかわからない。

 「葵さん、すみません。琴葉さんをお願いします!」

 「紗良様?」

 紗良は葵と医者に琴葉を任せ、黒須家から飛び出した。