紗良は機織り小屋に戻り、徹夜で守布を織った。
休息もわずかしか取っていないため、踏み木を踏む足に力が入らない。それでもなんとか朝までに一反を織ることができた。
合わせて二反の守布を持って奥の間に向かい、伯父に守布を差し出す。
「伯父様、今月の守布です」
「二反だけか?」
「はい……すみません」
伯父は守布を受け取り、痩せた顎に生えた髭を撫でた。
「毎月のノルマは三反だろう。女学校に通っている綾子だって二反を織ってきたのに、一日中家にいるお前がそれだけでどうする。織姫の称号を得たくせに、こんな体たらくで恥ずかしいと思わないのか?」
三年に一度、守布の質を審査される会がある。織井家に引き取られてすぐの頃、紗良の守布が最優秀に選ばれ、織姫の称号を得ていた。
「それとも織姫という称号を舐めているのか? 織女神の加護を持つ家柄の中で、我が織井家の守布が一番優れているという証なんだぞ! しかも最年少での受賞と褒めそやされ、儂も期待していたのに……近頃はどうしてしまったんだ」
伯父は大きなため息をつく。
この一年、織った守布を綾子に奪われノルマを達成できない月が何度かあったため、やる気がないのだと見なされていた。綾子に奪われていると伯父に打ち明けようとしても、当主の仕事が忙しいと言うばかりでろくに相手をしてもらえない。
伯父は綾子がここのところずっと機織りをせずに紗良の織った守布を奪っていることどころか、紗良が伯母から使用人のように扱われていること、使用人からも爪弾きにされていることも知らないのだろう。
伯父は質のいい守布を織るため、桑の栽培や蚕の品種改良、絹糸の紡糸といった仕事に夢中で、家の中には興味がないのだ。それに、ちゃんと話を聞いてもらえたところで、綾子に甘い伯父に信じてもらえるとは思えなかった。
「……申し訳ありません」
ひたすら謝るだけの紗良に、伯父は苛々したように腕を組む。
「申し訳ないと言うなら、もっとそれらしい顔をしたらどうなんだ」
紗良の胸にズキンと痛みが走り、震える手を胸の前で握った。
「わ、私、顔が動かないんです」
「またお前はそんなおかしなことを言って。お前の母親は機織りが得意で、月に五反は織っていたというのは知っているだろう。絹子が生きていた頃、家で織っていた様子を何度も見てきたはずだ」
絹子というのは亡き母の名前だった。名前はわかるのに、毎日見ていたはずの顔は思い出そうとしても朧げになってしまう。
「思い出せないんです。三年前のあの事件から、ずっと――」
紗良はわかってほしいと何度も言葉を重ねたが、伯父は呆れた顔をするだけだ。
「いい加減にしなさい! 愛想がないくらいならまだしも、お前は亡くなった母親への情すらないのか!」
怒鳴られ、紗良は肩をビクッと震わせた。寒々しい諦めの気持ちが心を占めていく。
(やっぱり、わかってもらえないのね……)
紗良は伯父に、両親の記憶が欠落していることや、感情を表に出せなくなったことをこれまで何度も伝えてきたが、理解を示してくれなかった。いや、話したことすら右から左へ抜けてしまい、覚えていないのかもしれない。
「不幸な事件で両親を亡くしたのは可哀想だが、もう三年も経ったんだ。いい加減に気持ちを切り替えなさい。この守布は代わりがきかない大切なものだ。妖魔討伐隊の方々は、この守布で作った軍服で身を守り、我々の生活を守るために妖魔と戦ってくださっている。昨年末にも大規模討伐でたくさん被害が出たそうだから、守布も多く必要になるんだ。いいか、来月こそノルマを達成するんだぞ!」
一方的に言い終えると、伯父は奥の間から出ていった。
紗良だけが部屋に取り残され、震える手で胸元を押さえた。表に出せない感情が体の中でグルグルと渦を巻いている。
悲しい。つらい。寂しい。けれど、紗良の目には涙が滲みすらしない。
(誰か……この気持ちをわかって……)
機織りは好きだ。だから、睡眠時間を削って機織りをするのも、そこまでの苦ではない。それに、家事が嫌なわけでもないし、周囲から厳しくされるだけなら耐えられた。ただ、記憶がない不安や、表情が動かない悩みをわかってほしい。
それだけなのに、紗良の気持ちを理解してくれる人など、どこにもいなかった。
休息もわずかしか取っていないため、踏み木を踏む足に力が入らない。それでもなんとか朝までに一反を織ることができた。
合わせて二反の守布を持って奥の間に向かい、伯父に守布を差し出す。
「伯父様、今月の守布です」
「二反だけか?」
「はい……すみません」
伯父は守布を受け取り、痩せた顎に生えた髭を撫でた。
「毎月のノルマは三反だろう。女学校に通っている綾子だって二反を織ってきたのに、一日中家にいるお前がそれだけでどうする。織姫の称号を得たくせに、こんな体たらくで恥ずかしいと思わないのか?」
三年に一度、守布の質を審査される会がある。織井家に引き取られてすぐの頃、紗良の守布が最優秀に選ばれ、織姫の称号を得ていた。
「それとも織姫という称号を舐めているのか? 織女神の加護を持つ家柄の中で、我が織井家の守布が一番優れているという証なんだぞ! しかも最年少での受賞と褒めそやされ、儂も期待していたのに……近頃はどうしてしまったんだ」
伯父は大きなため息をつく。
この一年、織った守布を綾子に奪われノルマを達成できない月が何度かあったため、やる気がないのだと見なされていた。綾子に奪われていると伯父に打ち明けようとしても、当主の仕事が忙しいと言うばかりでろくに相手をしてもらえない。
伯父は綾子がここのところずっと機織りをせずに紗良の織った守布を奪っていることどころか、紗良が伯母から使用人のように扱われていること、使用人からも爪弾きにされていることも知らないのだろう。
伯父は質のいい守布を織るため、桑の栽培や蚕の品種改良、絹糸の紡糸といった仕事に夢中で、家の中には興味がないのだ。それに、ちゃんと話を聞いてもらえたところで、綾子に甘い伯父に信じてもらえるとは思えなかった。
「……申し訳ありません」
ひたすら謝るだけの紗良に、伯父は苛々したように腕を組む。
「申し訳ないと言うなら、もっとそれらしい顔をしたらどうなんだ」
紗良の胸にズキンと痛みが走り、震える手を胸の前で握った。
「わ、私、顔が動かないんです」
「またお前はそんなおかしなことを言って。お前の母親は機織りが得意で、月に五反は織っていたというのは知っているだろう。絹子が生きていた頃、家で織っていた様子を何度も見てきたはずだ」
絹子というのは亡き母の名前だった。名前はわかるのに、毎日見ていたはずの顔は思い出そうとしても朧げになってしまう。
「思い出せないんです。三年前のあの事件から、ずっと――」
紗良はわかってほしいと何度も言葉を重ねたが、伯父は呆れた顔をするだけだ。
「いい加減にしなさい! 愛想がないくらいならまだしも、お前は亡くなった母親への情すらないのか!」
怒鳴られ、紗良は肩をビクッと震わせた。寒々しい諦めの気持ちが心を占めていく。
(やっぱり、わかってもらえないのね……)
紗良は伯父に、両親の記憶が欠落していることや、感情を表に出せなくなったことをこれまで何度も伝えてきたが、理解を示してくれなかった。いや、話したことすら右から左へ抜けてしまい、覚えていないのかもしれない。
「不幸な事件で両親を亡くしたのは可哀想だが、もう三年も経ったんだ。いい加減に気持ちを切り替えなさい。この守布は代わりがきかない大切なものだ。妖魔討伐隊の方々は、この守布で作った軍服で身を守り、我々の生活を守るために妖魔と戦ってくださっている。昨年末にも大規模討伐でたくさん被害が出たそうだから、守布も多く必要になるんだ。いいか、来月こそノルマを達成するんだぞ!」
一方的に言い終えると、伯父は奥の間から出ていった。
紗良だけが部屋に取り残され、震える手で胸元を押さえた。表に出せない感情が体の中でグルグルと渦を巻いている。
悲しい。つらい。寂しい。けれど、紗良の目には涙が滲みすらしない。
(誰か……この気持ちをわかって……)
機織りは好きだ。だから、睡眠時間を削って機織りをするのも、そこまでの苦ではない。それに、家事が嫌なわけでもないし、周囲から厳しくされるだけなら耐えられた。ただ、記憶がない不安や、表情が動かない悩みをわかってほしい。
それだけなのに、紗良の気持ちを理解してくれる人など、どこにもいなかった。
