ふと目を覚ますと、布団に寝かされている。すでに深夜を回っているらしく、掃き出し窓から入ってくる下弦の月の静かな明かりが畳を白く照らしていた。
「紗良、起きたか」
夜刀はずっと起きていたのか、目を覚ました紗良を覗き込む。上体を起こした紗良の額に手を当てた。
「熱はないみたいだな」
「はい。ただの睡眠不足だったんです。……すみません。せっかくのパーティーだったのに……」
「気にしないでいい。紗良の方が大切だ。それより、なにか悩んでいるのだろう?」
「……っ!」
図星を突かれ、ビクッと紗良の肩が震えてしまう。
どうして悩みがあるとわかってしまうのだろう。
「ほ、本当に、なんでもないんです」
紗良はなんとかそうごまかしたが、声は震えてしまった。
「嘘だ。そんなにつらそうなのに、なんでもないはずない」
今も感情は表情に出ていないのに、夜刀はいつも紗良を理解してくれる。
「君の悩みは、噂のことでもなければ、俺に好きな人がいることでもないんだろう。俺に言えない悩みか」
紗良は黙ったまま目を逸らした。
「……俺の父の件を知ったんだな」
当てられて、ドキンと心臓が嫌な音を立てる。
夜刀は、紗良のせいで父親が死んだことを知っていたのだ。
「ち、違います……」
夜刀を傷つける気がして、紗良は必死に否定した。
しかし喉が狭まって、ぐうっと苦しくなり、涙は勝手にじわりと盛り上がってしまう。今泣いたら肯定するのも同然だと必死で涙をこらえたが、紗良の目からはらはらと涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。
未だに笑えないくせに涙だけは流れてしまう自分が嫌だった。
「紗良」
夜刀にきつく抱きしめられ、涙が夜刀の胸元に染み込んでいく。
「……ずっとつらい思いをさせてしまってすまない」
「わ、私のせいで……夜刀さんのお父さんが……」
「紗良のせいじゃない。むしろ俺のせいだ」
優しく背中を撫でられても涙は止まらず、後から後から流れてしまう。
「俺はずっと前、子供の頃の君に会った。君はご両親だけでなく、その頃のことも思い出せなくなっているのだろう。でも、間違いなく君だ」
夜刀は紗良の涙を拭いながら、左目の下にある泣きぼくろをなぞる。これまで幾度となくこのふたつ並びの泣きぼくろを確認するように触れていると感じていたが、本当に確認していたのだ。
「その時、妖魔に襲われても、何度でも助けに行くって君と約束したんだ。三年前も、その約束を果たすために助けに向かった。だが……俺は未熟で怪我をしてしまったんだ。そんなふがいない俺の代わりに、父が君を助けてくれた」
「でも……夜刀さんにも万智さんにも申し訳が立ちません……」
紗良を助けるために夜刀の父が亡くなってしまった事実に変わりはない。
「言いたいことはわかる。だが、父は立派な人だった。誰かを守るためにいつも体を張っていた。きっと、紗良じゃなくても目の前で妖魔に襲われる人がいたら同じように命を賭して助けようとしたはずだ。それに、もしも俺が誰かを助けて死んだとしたら、君はその助けられた人を責めるだろうか」
「そんなわけ……っ!」
紗良は首を横に振り、ハッとした。
「……それが答えだよ。紗良」
「あ……」
紗良は口元を押さえた。
なんてひどいことを言ってしまったのだろう。
しかし夜刀は紗良に対して怒るどころか、肩にそっと手を乗せた。
「ずっと抱えていて、つらかったな」
「……夜刀さん。ごめんなさい」
「いいんだ。ただ、正直に言ってくれ。父の件を誰に吹き込まれたんだ? パーティーではそんな話は聞こえてこなかったし、もうずっと前から悩んでいただろう」
紗良は視線をさまよわせるが、もう黙ったままではいられない。
「……綾子さんです」
その名前を聞き、夜刀の眉が寄せられた。
「もしや、大規模討伐の時か?」
「……ごめんなさい」
謝罪を口にする紗良を、夜刀は再度抱きしめて髪を撫でてくれた。
「もう謝らなくていい。君のせいじゃないんだから」
「でも……」
「それなら、ひとつだけ聞かせてほしい。紗良の気持ちを」
「私の気持ち……?」
「あの時、悩みがあっただけでなく、俺に好きな人がいると聞いてショックを受けたように見えた。父の件でもこんなに悩んでやつれてしまうほど君に好かれているのだと、俺は自惚れてしまってもいいだろうか」
夜刀は、紗良の頬にそっと触れる。自惚れると言うわりに夜刀の視線は不安に満ちているように思え、紗良は意を決して口を開く。
「私……夜刀さんが、好きです」
まっすぐに夜刀の銀色の瞳を見つめ、そう言った。
心臓がドキドキするけれど、嫌な高鳴りではなく、どこか甘酸っぱいような心が弾むようなときめきだった。
夜刀のそばにいられないという苦しみから解放されたせいだろうか。自分の心と向き合い、やっと夜刀への気持ちを告げられたのだ。
「紗良……愛している。ずっと前から……。やっと見つけた君はあの時のように笑えなくなってしまった。それは約束を果たせなかった、俺のせいなんだ」
「いいえ、私は貴方に救われました。表情が出ず、氷の織姫と呼ばれ……周囲から冷たくされて、そのまま本当に心が氷に閉ざされてしまいそうになった私を、夜刀さんが温めて助けてくれたんです」
心まで凍てついて、人間の感情がないと綾子からも言われた。
実際、織井家にいた頃の紗良は感情を表に出せないだけでなく、諦めることにばかり慣れてしまっていた。あのままだったら、いつか本当に心は氷に閉ざされ、なにも感じなくなっていただろう。
今もまだ、紗良に笑顔は戻ってこない。それでも……。
「少しずつ、ゆっくり氷が溶けて、いつか私に笑顔が戻ったら……貴方に一番に見せたいって、そう思います」
いつのまにか、紗良の目に涙が浮かんでいた。夜中に耐えていた苦い涙と違い、どこか心地いい気がした。
「紗良……」
唇と唇がゆっくりと重なる。それは長い孤独に蓋をするような、優しい口づけだった。
「紗良、起きたか」
夜刀はずっと起きていたのか、目を覚ました紗良を覗き込む。上体を起こした紗良の額に手を当てた。
「熱はないみたいだな」
「はい。ただの睡眠不足だったんです。……すみません。せっかくのパーティーだったのに……」
「気にしないでいい。紗良の方が大切だ。それより、なにか悩んでいるのだろう?」
「……っ!」
図星を突かれ、ビクッと紗良の肩が震えてしまう。
どうして悩みがあるとわかってしまうのだろう。
「ほ、本当に、なんでもないんです」
紗良はなんとかそうごまかしたが、声は震えてしまった。
「嘘だ。そんなにつらそうなのに、なんでもないはずない」
今も感情は表情に出ていないのに、夜刀はいつも紗良を理解してくれる。
「君の悩みは、噂のことでもなければ、俺に好きな人がいることでもないんだろう。俺に言えない悩みか」
紗良は黙ったまま目を逸らした。
「……俺の父の件を知ったんだな」
当てられて、ドキンと心臓が嫌な音を立てる。
夜刀は、紗良のせいで父親が死んだことを知っていたのだ。
「ち、違います……」
夜刀を傷つける気がして、紗良は必死に否定した。
しかし喉が狭まって、ぐうっと苦しくなり、涙は勝手にじわりと盛り上がってしまう。今泣いたら肯定するのも同然だと必死で涙をこらえたが、紗良の目からはらはらと涙がこぼれ落ちるのを止められなかった。
未だに笑えないくせに涙だけは流れてしまう自分が嫌だった。
「紗良」
夜刀にきつく抱きしめられ、涙が夜刀の胸元に染み込んでいく。
「……ずっとつらい思いをさせてしまってすまない」
「わ、私のせいで……夜刀さんのお父さんが……」
「紗良のせいじゃない。むしろ俺のせいだ」
優しく背中を撫でられても涙は止まらず、後から後から流れてしまう。
「俺はずっと前、子供の頃の君に会った。君はご両親だけでなく、その頃のことも思い出せなくなっているのだろう。でも、間違いなく君だ」
夜刀は紗良の涙を拭いながら、左目の下にある泣きぼくろをなぞる。これまで幾度となくこのふたつ並びの泣きぼくろを確認するように触れていると感じていたが、本当に確認していたのだ。
「その時、妖魔に襲われても、何度でも助けに行くって君と約束したんだ。三年前も、その約束を果たすために助けに向かった。だが……俺は未熟で怪我をしてしまったんだ。そんなふがいない俺の代わりに、父が君を助けてくれた」
「でも……夜刀さんにも万智さんにも申し訳が立ちません……」
紗良を助けるために夜刀の父が亡くなってしまった事実に変わりはない。
「言いたいことはわかる。だが、父は立派な人だった。誰かを守るためにいつも体を張っていた。きっと、紗良じゃなくても目の前で妖魔に襲われる人がいたら同じように命を賭して助けようとしたはずだ。それに、もしも俺が誰かを助けて死んだとしたら、君はその助けられた人を責めるだろうか」
「そんなわけ……っ!」
紗良は首を横に振り、ハッとした。
「……それが答えだよ。紗良」
「あ……」
紗良は口元を押さえた。
なんてひどいことを言ってしまったのだろう。
しかし夜刀は紗良に対して怒るどころか、肩にそっと手を乗せた。
「ずっと抱えていて、つらかったな」
「……夜刀さん。ごめんなさい」
「いいんだ。ただ、正直に言ってくれ。父の件を誰に吹き込まれたんだ? パーティーではそんな話は聞こえてこなかったし、もうずっと前から悩んでいただろう」
紗良は視線をさまよわせるが、もう黙ったままではいられない。
「……綾子さんです」
その名前を聞き、夜刀の眉が寄せられた。
「もしや、大規模討伐の時か?」
「……ごめんなさい」
謝罪を口にする紗良を、夜刀は再度抱きしめて髪を撫でてくれた。
「もう謝らなくていい。君のせいじゃないんだから」
「でも……」
「それなら、ひとつだけ聞かせてほしい。紗良の気持ちを」
「私の気持ち……?」
「あの時、悩みがあっただけでなく、俺に好きな人がいると聞いてショックを受けたように見えた。父の件でもこんなに悩んでやつれてしまうほど君に好かれているのだと、俺は自惚れてしまってもいいだろうか」
夜刀は、紗良の頬にそっと触れる。自惚れると言うわりに夜刀の視線は不安に満ちているように思え、紗良は意を決して口を開く。
「私……夜刀さんが、好きです」
まっすぐに夜刀の銀色の瞳を見つめ、そう言った。
心臓がドキドキするけれど、嫌な高鳴りではなく、どこか甘酸っぱいような心が弾むようなときめきだった。
夜刀のそばにいられないという苦しみから解放されたせいだろうか。自分の心と向き合い、やっと夜刀への気持ちを告げられたのだ。
「紗良……愛している。ずっと前から……。やっと見つけた君はあの時のように笑えなくなってしまった。それは約束を果たせなかった、俺のせいなんだ」
「いいえ、私は貴方に救われました。表情が出ず、氷の織姫と呼ばれ……周囲から冷たくされて、そのまま本当に心が氷に閉ざされてしまいそうになった私を、夜刀さんが温めて助けてくれたんです」
心まで凍てついて、人間の感情がないと綾子からも言われた。
実際、織井家にいた頃の紗良は感情を表に出せないだけでなく、諦めることにばかり慣れてしまっていた。あのままだったら、いつか本当に心は氷に閉ざされ、なにも感じなくなっていただろう。
今もまだ、紗良に笑顔は戻ってこない。それでも……。
「少しずつ、ゆっくり氷が溶けて、いつか私に笑顔が戻ったら……貴方に一番に見せたいって、そう思います」
いつのまにか、紗良の目に涙が浮かんでいた。夜中に耐えていた苦い涙と違い、どこか心地いい気がした。
「紗良……」
唇と唇がゆっくりと重なる。それは長い孤独に蓋をするような、優しい口づけだった。
