気がつくと窓の外が薄暗い。日が暮れてしまう、と紗良は慌てて機織り小屋から飛び出した。

 「ちょっとぉ、なにサボってたんですか!」

 台所に入るや否や(むぎ)()に怒鳴られ、身をすくめる。

 彼女は織井家の家事をする使用人のひとりだ。使用人の中で一番若い二十代後半で、焦げ茶の髪をまとめ髪にしており、いつも紗良を睨むように眉をひそめている。なにか失敗しようものなら嬉々(きき)として責め立てるのが常だった。

 「夕飯の準備がまだじゃないですか! 夕飯が遅れたら、奥様に叱られるのは私なんですよ!」

 「す、すみません」

 紗良は何度も頭を下げる。

 機織りの傍ら、使用人に混じって家事をするのも紗良の務めだった。

 「早くやってくださいよね。それが終わったら、(まき)割りも!」

 「はい……」

 「まったく、言われる前にやればいいのに……使えない女」

 ぶつぶつと麦野は(つぶや)く。

 朝夕は家事、日中は機織りで、紗良は休みなく働いていた。

 夕食の準備をしたら薪割りをして風呂を沸かし、織井家の家族が全員風呂から上がるまで外で薪をくべ、場合によっては水を運び、風呂の温度を調整し続ける。

 それが終わってからも伯母からあれこれと用事を言いつけられ、座ることさえ許されなかった。

 ようやくすべての用事を済ませた頃にはすでに夜の九時過ぎ。疲れきった紗良は、台所に面した使用人用の休憩室の隅に腰を下ろす。

 他の使用人たちはとっくに夕食を済ませており、小さなお膳に乗った紗良の夕食だけが、布すらかけられないまま放置されていた。

 「ったく、トロいんだから。いつまでも片付かないじゃないですか」

 麦野は横目で紗良を睨み、舌打ちをした。

 「……すみません。自分で片付けますから」

 「はぁ? そんな当たり前のことを偉そうに。馬鹿なんですかぁ?」

 麦野に言い返しもせず、紗良は黙って頭を下げた。

 紗良は織井家の養子のため使用人の麦野は一応敬語ではあったが、その態度は信じられないくらいひどいものだ。それでも他の使用人たちの誰ひとりとして、紗良を(かば)おうとする者はいない。

 放置されていた紗良の食事は冷えきり、ご飯は水分が抜けてカチカチになっている。この硬さからすると、今日炊いたご飯ではなく昨日の残りだろう。

 せめて温かいお茶をかけてお茶漬けにしたかったが、紗良が使う前に麦野がさっとやかんを(つか)んで持っていってしまった。

 「ねえ、みんな、お茶にしましょう。奥様からお菓子をもらったわよ」

 麦野が呼びかける『みんな』の中に紗良は入っていない。

 湯気の立つ温かいお茶を紗良は羨ましそうに眺めた。しかし頼んだところで分けてくれないのはわかっていた。

 戻ってきたやかんは空っぽで、すでに台所の火も落ちているから沸かせない。談笑する使用人たちは、わざとらしく紗良に背を向け楽しげに笑い合っている。紗良はお湯を諦め、硬くなったご飯を頬張った。

 ガリッと音がする米粒を()み砕き、具がない冷えた味噌(みそ)(しる)で流し込む。おかずはひしゃげた形の芋の煮っ転がしが二個と干からびた漬物だけ。芋の片面には焦げがこびりついている。

 夕食にはおひたしや魚料理もあったが、紗良には残してくれなかったのだ。こういうことも珍しくない。

 「……ふん、穢れた氷の能面女には冷飯がお似合いよ」

 ふと、そんな囁きが聞こえた。

 「まあ、なにをされても泣きもしないし、確かに能面みたいで薄気味悪いわよねぇ」

 「奥様も早く出ていってほしいって、いつも言ってるわ」

 紗良は聞こえないふりで、せっせと箸を動かした。

 両親を亡くした事件から三年経っても紗良の表情は動かないままだし、両親に関する話も思い出せなかった。

 けれど感情が消えたわけでもなければ、傷つかないわけでもない。綾子に責め立てられれば悲しいし、陰口を聞けば落ち込む。仲間外れにされるのもつらい。

 伯父は紗良の織る守布が必要だからここに置いてくれているが、伯母も綾子も紗良を嫌い、使用人からも疎まれていた。

 なによりつらいのは、こんな時でも紗良の瞳は潤みすらしないことだった。

 「不満なら、さっさとここから出ていけばいいのよ」

 麦野がボソッと小声で当て擦るのが聞こえた。

 しかし、両親を一度に失い天涯孤独になってしまった紗良には、この屋敷以外に行く当てもないのだった。