数日後、大規模討伐の出発日になった。
黒須家の自室で、夜刀は身支度をすっかり整え、いつでも出発できる様子だ。
漆黒の軍服が白皙の肌に映え、いつもに増して凛々しい。討伐前だからか、限界まで引いた弓の弦のような、張り詰めた緊張感が漂っていた。
「紗良、準備は大丈夫か?」
「はい。私はさほど用意するものもありませんから」
紗良はあくまで後方待機なため動きやすい服装にするよう言われたくらいだ。
持っていくのも数日分の着替えくらいで、他に入り用なものは現地にすべて用意してくれているという。
「では、母に挨拶をしてから出発を……」
「あの、そ、その前に……」
紗良は、この数日の間に用意したものがあった。
「左の手首を貸していただけませんか……?」
夜刀はきょとんとした顔をしながらも、素直に手首を差し出した。
紗良は夜刀の手首に、手製の組紐の腕輪を巻く。
「これは……」
「お守りです。守布用の糸を編んで作りました」
組紐は、古くには勝ち紐とも呼ばれ、勝利を祈願するものだ。
「どうか、夜刀さんが無事にここに帰ってこれますように」
紗良は組紐の腕輪ごと夜刀の手首を両手で握り、織女神に祈りを込めた。
「出発前の忙しい時にすみません」
「嬉しいよ。切れないように大事にするから」
「いいえ、もし切れても気にしないでください。切れた場合は、夜刀さんの身代わりになったと思ってもらえれば……」
夜刀の身が心配なのもあるが、後方待機とはいえ、もしなにかあって十二時間以上会えない間に夜刀の記憶が消え、また紗良を忘れてしまうのでは、と心配だった。
「それから……夜刀さんが私を忘れないように、ってお祈りしたんです」
「ああ、ありがとう」
夜刀は紗良を引き寄せ、抱きしめた。
「ごめんなさい。私、どんどん欲が深くなってしまうんです。夜刀さんは私を忘れてしまっても変わることなく大切にしてくれるってわかっているのに……」
紗良は恥じ入るように夜刀の腕の中で俯く。
「紗良……」
夜刀は紗良の頬に手を当て、顔を上げさせた。
「俺は君が望みを抱くこと自体が嬉しい。ましてや俺を望んでくれるなんて、この上ない幸せだよ」
左目の下を親指でゆっくりと撫でる。
記憶があってもなくても、夜刀は同じように紗良の泣きぼくろを撫でてくれるのだとわかっている。けれど、どうしても不安になってしまうのだ。
「紗良、目を閉じて」
そう囁かれて目を閉じると、ふっと唇に柔らかなものが触れ、すぐに離された。
「あ……」
目を開けた紗良の間近に、夜刀の銀色の瞳が煌めいていた。
「紗良、愛している」
口づけをされたのだ、と遅れて気がついた。
「この記憶だけは、なにがあっても、ずっと覚えていると約束するよ」
小指と小指を絡める。
「……はい」
心臓が熱く、激しい鼓動を立てている。それ以上に、体全体に幸せな温かさが巡っているのを感じたのだった。
黒須家の自室で、夜刀は身支度をすっかり整え、いつでも出発できる様子だ。
漆黒の軍服が白皙の肌に映え、いつもに増して凛々しい。討伐前だからか、限界まで引いた弓の弦のような、張り詰めた緊張感が漂っていた。
「紗良、準備は大丈夫か?」
「はい。私はさほど用意するものもありませんから」
紗良はあくまで後方待機なため動きやすい服装にするよう言われたくらいだ。
持っていくのも数日分の着替えくらいで、他に入り用なものは現地にすべて用意してくれているという。
「では、母に挨拶をしてから出発を……」
「あの、そ、その前に……」
紗良は、この数日の間に用意したものがあった。
「左の手首を貸していただけませんか……?」
夜刀はきょとんとした顔をしながらも、素直に手首を差し出した。
紗良は夜刀の手首に、手製の組紐の腕輪を巻く。
「これは……」
「お守りです。守布用の糸を編んで作りました」
組紐は、古くには勝ち紐とも呼ばれ、勝利を祈願するものだ。
「どうか、夜刀さんが無事にここに帰ってこれますように」
紗良は組紐の腕輪ごと夜刀の手首を両手で握り、織女神に祈りを込めた。
「出発前の忙しい時にすみません」
「嬉しいよ。切れないように大事にするから」
「いいえ、もし切れても気にしないでください。切れた場合は、夜刀さんの身代わりになったと思ってもらえれば……」
夜刀の身が心配なのもあるが、後方待機とはいえ、もしなにかあって十二時間以上会えない間に夜刀の記憶が消え、また紗良を忘れてしまうのでは、と心配だった。
「それから……夜刀さんが私を忘れないように、ってお祈りしたんです」
「ああ、ありがとう」
夜刀は紗良を引き寄せ、抱きしめた。
「ごめんなさい。私、どんどん欲が深くなってしまうんです。夜刀さんは私を忘れてしまっても変わることなく大切にしてくれるってわかっているのに……」
紗良は恥じ入るように夜刀の腕の中で俯く。
「紗良……」
夜刀は紗良の頬に手を当て、顔を上げさせた。
「俺は君が望みを抱くこと自体が嬉しい。ましてや俺を望んでくれるなんて、この上ない幸せだよ」
左目の下を親指でゆっくりと撫でる。
記憶があってもなくても、夜刀は同じように紗良の泣きぼくろを撫でてくれるのだとわかっている。けれど、どうしても不安になってしまうのだ。
「紗良、目を閉じて」
そう囁かれて目を閉じると、ふっと唇に柔らかなものが触れ、すぐに離された。
「あ……」
目を開けた紗良の間近に、夜刀の銀色の瞳が煌めいていた。
「紗良、愛している」
口づけをされたのだ、と遅れて気がついた。
「この記憶だけは、なにがあっても、ずっと覚えていると約束するよ」
小指と小指を絡める。
「……はい」
心臓が熱く、激しい鼓動を立てている。それ以上に、体全体に幸せな温かさが巡っているのを感じたのだった。
