夜刀の記憶が消える事件が起こってから、数日が経過していた。

 記憶に支障がないかの様子を見るため次の日は休んでいたが、夜刀は問題ないからとすぐに復帰を決めたのだ。

 「夜刀さん、お弁当を作ってきました」

 紗良はお重を抱え、中央妖魔討伐隊の本拠地にやってきていた。

 「ありがとう、紗良」

 夜刀は紗良の姿を見て淡く微笑む。

 夜刀の記憶は、大体十二時間ほど紗良と離れていると消えてしまう。それを防ぐため、夜刀が忙しく帰宅が遅くなりそうな日には一緒に昼食を食べるという約束をしていた。

 表情を緩ませた夜刀を、隊員たちが驚いたように見ている。

 「黒須隊長って、笑うと印象変わりますよね」

 「婚約者さんにベタ惚れっていうか……見てる方も照れますねぇ」

 紗良が無表情なせいで夜刀の評判を落としてしまわないか心配だったが、(おおむ)ね好意的でホッとする。

 隊長室に移動し、応接テーブルにお重を置いた。蓋を開けた夜刀は切れ長の目を見開く。

 「これはすごい。俺の好きなものばかりだ」

 唐揚げに茶巾寿司、野菜の豚巻きなど、万智や葵から聞き出した夜刀の好物をたくさん作ってきた。普段の夜刀は落ち着いた雰囲気だが、味つけのしっかりしたお肉のおかずを好むと聞いて、若い男性らしいと微笑ましく思ったものだ。

 「味見はしたんですけど、夜刀さんのお口に合うかどうか……」

 「食べなくても美味しいってわかるよ」

 「よかった」

 喜んでもらえたようで嬉しくなる。

 「今日も忙しくて、帰りは遅くなりそうだ」

 「はい……。夜刀さんのためなら何時でも向かいますから、呼んでくださいね」

 「さすがに深夜までには帰れるはずだが」

 食事をしながら取り留めのない話をしていたが、食後、落ち着いたところで夜刀は切り出した。

 「……紗良、大事な話があるんだ」

 「な、なんでしょう」

 「妖魔の話だ。だから、途中で気分が悪くなったら教えてくれ」

 夜刀の顔は真剣で、紗良に最大限の配慮をしてくれているのも伝わってくる。

 紗良も気合いを入れると、頷いて続きを促した。

 「先日、結界内に調査隊が入ったんだが、そこで気になる情報を入手した。そのため、近日中に大規模討伐を行うと決定したんだ」

 「それは……夜刀さんも討伐に参加をするという話ですか?」

 こめかみにズキッと痛みが走るだけでなく、不安のせいか全身から血の気が引き、くらくらしてしまうのを必死で耐えて尋ねた。

 「ああ。戦神の刀を持つ俺は、前線に立つ」

 「き、期間は……」

 「十日から二週間を予定している。……だが俺は、紗良を連れていくつもりはない。君を危険にさらしたくないんだ。安全な家で待っていてほしい」

 それだけの期間を夜刀と離れたら、彼の記憶はまた消えてしまう。それを想像しただけで冷たくなる手を紗良はギュッと握る。押さえようとしても勝手に震えが起こり、止められない。

 「……あ、あのっ!」

 紗良は何度も逡巡し、ようやく意を決して口を開いた。

 「どうか私も連れていってください……!」

 今だって震えが止まらないほど怖い。妖魔に襲われた記憶は欠落しているくせに、恐怖心だけはまざまざと紗良の中に残っている。こんな紗良が一緒に行っても、足を引っ張るだけだろう。

 それでも、紗良にしかできない役割がある。

 (夜刀さんの記憶を守りたい……!)

 「だが、危険だ」

 「危険なのは承知の上です。夜刀さんの記憶を残した方が、きっと討伐でも有利に働くはずです。だから、どうかお願いします……!」

 紗良は夜刀の銀色の瞳をまっすぐに見つめながら懇願した。

 しばらくの後、夜刀は諦めたように、ふうと息を吐く。

 「……わかった。立花先生に相談して、極力負担がかからないようにしてもらう。だから前線ではなく、結界外での待機になるだろう。そばで守ってやれないが、それでもいいか?」

 「は、はい!」

 大きく頷くと、夜刀は唇を緩ませて紗良の髪を撫でた。

 「俺の記憶のためにも、紗良を連れていったらどうかという話は元々出ていたんだ。だが、俺の記憶と引き換えに君を危険な場所に連れていくのはどうしても嫌だった。きっと、心身の負担になってしまう……。だから、連れていかないと伝えて、もし少しでもホッとした様子なら、家で待っていてもらおうと思っていた。だが……君は強いんだな」

 「いいえ。私は強くなんてないです。ただ、夜刀さんの記憶をこれ以上失いたくないだけなんです」

 自分のことを忘れてほしくないというただのエゴ。それだけだった。